教養・努力を身に着けられる社会を目指しての悲しみ
インテリジェンスでゲームを語るゲームゼミ主宰のJiniさんの記事を読んだ。
悲しくなったからこの文章を書いている。
記事の内容を(暴力的に)端的にまとめれば、何かに飽きたのは自分の成長を止めたからだ、教養や知見を増やして物事を面白がれる様になれ。
強者の論理だと思った。
僕は弱者だとの自己意識がある。遺伝的、生まれの恵まれ方、そして経験・体験の乏しさ。
努力や教養を身につけたいと願って、それなりに何かをしてきたけれど今でも物にならない。
自分への高望みや努力の足り無さの自覚はある。けれど、それを補って余りある持って生まれたものの大きさに愕然とする。
何も嘆いて立ち止まっているだけでもなくて、自分なりの努力は続けるけれど、Jiniさんが記事で語ったステージへ自分は上がれないのでは無いかと不安で苦しい。
教養を得ようにも興味が湧かず勉強すればするほど自分の小ささを感じて酷く痛い。努力しようにも僕には達成感というものがかなり損なわれていて、報酬が上手く機能しない。
途方に暮れる。
Jiniさんの文章はとても好きで何度も読んだ。ゲームをメタ・俯瞰的に眺めて、歴史や現在の大きな地図の何処に位置づけられどんなナラティブが宿るか教えてくれる語り口にいつもワクワクした。
でも、でも…。今回の記事は受け入れがたかった。苦い味が舌に広がって、タバコの煙の様に諸器官を汚染する感じ。
この記事はなんなのだろう。苦さを苦いと表現するだけの小学生の作文みたいだ。ただ苦しくて切なくて狂いたくて死にたくて書いている。
読み間違いも多々あるだろうけれど、一度読んだインパクトは焼き付いていて、今後も消せないだろう。
これからもJiniさんの記事は読む。義務とか反抗的な態度はなくて、ただ好きで楽しいから。
でも、強者の論理をそのままインストールして闇雲に実践して潰れるわけにもいかないなと思う。僕にはやりたいことがある。知のユニバーサルデザインの形成・確立。
補足:知のユニバーサルデザインを体現しているのは、現代の図書館などです。けれど僕の言うものはもっと個人に焦点を当て、よりパーソナルに噛み合うものを作ることを目指します。
どんな遺伝や生まれの劣性を持っていようと、知性に不平等があってほしくない。誰でも知性を思う存分、それほどの努力もなく(それが相応しいかはともかく)身に着けられる社会を構想している。
良いように解釈すればその一助というか、絶望感をバネに飛躍する為の出来事だったのかもしれない。
Jiniさんに撤回や訂正を求めている訳ではありません。ただ苦し紛れの心のケアとして書きました。
知のユニバーサルデザインの確立の重要性を強く再認識して、結びとします。