見出し画像

死にたくないと生きてほしい。

身内の死というものが余りにも自分から遠いことだと思っていた。

それをふと思ったのは、ドラマ「コントが始まる」の第4話で親の死について触れられていたのがきっかけだった。

いつまでもあると思うな親と金とよく言うが、本当にそうだと思う。そのことを分かりつつ、仲が良すぎるが故にどこか他人事のように思ってしまう。


そういえば年明けのめでたいムードの中、私は年明け早々泣いた。
母方の祖父から年賀状が送られてきた。いや、年賀状は今までも毎年のように送って来てくれるのだが今年は明らかに今までと違っていたのだ。

祖父はいつも手書きで、立派な字を書いていた。だが、今年の年賀状は同じ人が書いたと思えないくらい弱々しく、言葉もちぐはぐで文が途中で終わっていた。衰え知らずの祖父だったこともあり突然の変わりように頭が追いつかず、ハガキを握ったままその場からしばらく動けなかった。その時に、あと何年か覚悟を決めなければならないのかと思ったのが、つい最近の事のように感じる。

私はこの年賀状を読んだ後、湯船に浸かりながら泣いた。どれだけ元気な人でも、ずっと変わらずに生きていくことは出来ないのだという現実を突きつけられたような気がした。こんな紙切れ一枚で、知りたくない現実を知ることになるなんて思ってもみなかった。こんな形で知りたくなかった。母が、ハガキを見て何この文〜と言って笑っていたが、私には泣いているように見えた。辛い顔を見せない母が、変わりゆく父の姿に誰よりも辛いはずなのに気丈に振る舞っている様が余計私には堪えた。

悲しみと喜びは表裏一体だ。
優しい人が沢山いればいるほど同じ数だけ悲しく、辛い思いをするのかもしれない。


1人っ子だと、家族の人数が少ない分別れという経験をするのも最小限で済むが、支えてくれる身内が居ない辛さもある。
反対に家族が多い分身内の別れを多く経験することになるが、兄弟という心強い味方がいる。
どちらがいいとかは無いが、やっぱり思うのは人の死を経験したくはないということだけだ。
親不孝なことを言うが、自分より先に死んでほしくはないなと思う。
私の家族は仲がいい方だと思うし、母親とは趣味も合う友達みたいな関係だ。
だからこそ、ふと何十年後かの未来を想像してしまう。いつまでこの生活を続けられるか、親と会って楽しく過ごせるか、いつまで母の手料理が食べられるか。本当に長生きしてほしい。願わくば、私よりも末永く。


いつまでもあると思うな親と金、ってね。




これは2年前の記事を再編集して公開したものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?