無糖

平凡な医療系社会人

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最近の記事

ドラマや映画で、コンビニの前でお酒飲みながら誰かと語らうシーンが好きだ。「姉ちゃんの恋人」で主人公の女の子が親友に恋の悩みをぽつりぽつり泣きながら話したりするシーンがあって、自分も話を聞いてるような気分になって泣きそうになった。 夜になると心が弱くなるのはなぜ。

    • 師走になに思ふ

      12/27でようやく仕事納めだった。 年の瀬に近づくにつれ仕事も大詰め、今までの蓄積された疲労も重なり、私は毎年休みに入った途端気が緩み体調を崩していた。 が、昨年はそんなことも言っていられず、実家から出て一人暮らしをするための引越しという一大イベントがあった。世間は忙しくも和やかな年末ムードを楽しんでいる最中、家族が集結して引越しの手伝いをしてくれて家族のありがたみを改めて感じていた。 28歳で初めての一人暮らしはかなり遅いのだが、これでちゃんとした意味で自立できた気がし

      • 死にたくないと生きてほしい。

        身内の死というものが余りにも自分から遠いことだと思っていた。 それをふと思ったのは、ドラマ「コントが始まる」の第4話で親の死について触れられていたのがきっかけだった。 いつまでもあると思うな親と金とよく言うが、本当にそうだと思う。そのことを分かりつつ、仲が良すぎるが故にどこか他人事のように思ってしまう。 そういえば年明けのめでたいムードの中、私は年明け早々泣いた。 母方の祖父から年賀状が送られてきた。いや、年賀状は今までも毎年のように送って来てくれるのだが今年は明らかに

        • 誰かのいちばん、自分のいちばん

          いちばん好きな花というドラマを観た。 silentを観ていた人間として、あの製作陣が作ったドラマは観ないわけにはいかない。 実際silentを観て、想と紬や周りの人間模様、その人達の様々な視点での言葉や、言葉に表すのが難しい想いの様なものを感じる事ができて、切なさややるせ無さと共に多くの気づきを得た。 でも、すごく大好きなドラマなのに毎話観るたびに苦しくてその気持ちになるのが怖くて2回目を観る事がなかなかできないでいる。 でも、この季節になると観たくなってしまうな、どうした

        ドラマや映画で、コンビニの前でお酒飲みながら誰かと語らうシーンが好きだ。「姉ちゃんの恋人」で主人公の女の子が親友に恋の悩みをぽつりぽつり泣きながら話したりするシーンがあって、自分も話を聞いてるような気分になって泣きそうになった。 夜になると心が弱くなるのはなぜ。

          幸せの価値はもちろん人それぞれなんだけど、やっぱり10代の頃と30代近くじゃ幸せのハードルがなんとなく上がっているような気がする。SNSの発達と共に自己顕示欲と承認欲求が膨れて昔の自分を保てなくなってる人が今の大人には多いと感じる。SNSは怖い。

          幸せの価値はもちろん人それぞれなんだけど、やっぱり10代の頃と30代近くじゃ幸せのハードルがなんとなく上がっているような気がする。SNSの発達と共に自己顕示欲と承認欲求が膨れて昔の自分を保てなくなってる人が今の大人には多いと感じる。SNSは怖い。

          20代最後になって思うこと

          noteを更新しようと思い立った時には、もうすっかり世の中は夏に変わっていた。 本当にこうして文を書こうと思ってからなかなか行動に起こせず今に至ったわけだけど、noteを書くにあたって昔の自分の記事を改めて読み返してみたら、まぁ若いこと書いてるなと笑ってしまった。もちろんあの時に書いていたことは嘘ではないし、変わらずに思っていることもあるわけだけど、恋愛に関しての記事はもう全く忘れていたことばかりで、苦しんでいたことを忘れるほど今が充実していることの喜びを改めて感じる。 そ

          20代最後になって思うこと

          世の中はクリスマス

          ホワイトクリスマスじゃない街にはもう慣れてしまった。 雪が降らなくても世の中はクリスマスに彩られて、私だけが物足りなさを感じている。 小さい頃、私は物を欲しがらない子供だった。 だから親は毎年クリスマスプレゼント選びに困っていた。 サンタクロースが存在しないことも、子供ながらプレゼントに値段設定がされている時点で何となく気が付いていた。 だからサンタの正体を聞いた時も特に心に傷を負うことなく夢を見ることなく育った。 冬といえば私の故郷は"なまはげ"という鬼の見た目をして

          世の中はクリスマス

          大人なんかに

          秋になった。 あの頃好きだったバンドが全然興味無くなってしまったとか、昔よく聴いていた曲の歌詞が今はもう響かなくなったとか、そういうことをふと思うのがこの季節だったりする。 それでも久しぶりに聴いてみると「あの頃自分は確かにちゃんと生きていたんだな」と死んだわけでもないのに感じるのだ。 歳を重ねて感じるもの見るものが変わるのは普通のことだと思うのに、それを"大人になっただけだ"と純粋に受け入れられずにいる。 私はこの歳になっても尚、当たり前の感情や感覚に抗おうとしている。歳

          大人なんかに

          白と黒

          あれから1週間。 私はまだ、ずっとそのことについて考えていた。 唯一の同期であり、この職場で唯一同じ資格を持っている仲間の緊急事態。 悲痛な思いを途切れ途切れに、懸命に私達に伝えていた彼女の姿を目の当たりにした時、本当に何も考えられなかった。時がただ、過ぎていくのを感じた。 他のスタッフは彼女の姿や言葉に声を詰まらせ、泣いていた。 私は、本当は誰よりも取り乱していたしその場で泣き崩れてしまいそうな気持ちだったが、上を向いて必死に心を鎮めていた。だから、彼女が後半何を話してい

          白と黒

          憧れの果て

          二年前の恋が本物の恋だとすると、私はそれまで本当に人を好きになったことがあったのだろうかと不安になる。 中学の頃、この人以上に好きな人はこの先絶対に現れないと思っていた先輩がいた。 しかし引退して太った姿を見た時、あんなに好きだったのが嘘だったかのように二年間の恋心が一瞬で冷めてしまった。 自分の中の「好き」とは、こんなちっぽけな事で脆くも崩れ去ってしまうものなのかと自分自身の身勝手さに深く失望した。 そしてこの先誰かを好きになり付き合うことになったとしても、またこうした

          憧れの果て

          空腹になるまで

          2019年 この年は私にとって、とてつもなく長い一年だった。 恋という得体の知れない衝動的な感情から遠ざかった一年だった。 恋は恐ろしい、人を良くも悪くも簡単に変えてしまう。 あの恋を経験して良かったと思うことは多いから、その出来事に対してもう悲観的になることはないけれど出来ることならもう二度と経験したくはない。 恋から遠ざかった理由なんて数えればキリが無い。私の中で単に「引きずっていた」という一言で片付けられることではなかった。 とはいえ、その理由が半分ほど占めて

          空腹になるまで

          人の振り見て我が振り直せ

          幼い頃から「こういう人間になりたい」よりも、「こういう人間にはなりたくない」と思って生きてきた人間だった。 昨今、芸能人の浮気だの不倫だのそういった悪いニュースが取り沙汰されているけど私が思うことは総じて「芸能人って大変だな」ということだけである。 そんなニュースが出るたびに当事者のSNSにわざわざ攻撃しに行く人達を見ると相当暇なんだなと思ってしまうし逆に忙しそうだねとも思う。 だって、その人達はテレビに出ているだけで所詮は「知らない人」な訳だよ。この言葉の意味、伝わる

          人の振り見て我が振り直せ

          キミと私

          1月26日、くもり。 半年ぶりに親友に会った。 彼女との出会いは中学生の頃、転校した先の中学校で出会った。当時私達は中学3年生だった。 同じ学校に通っていたのはこの1年だけで高校も大学も別々だったが、とにかくよく会っていたし、気が付けば誰よりも長い付き合いになっていた。 日暮里駅南口。 改札を出てすぐの喫煙所で彼女は煙草を吸っていた。「着いたよ」とLINEをすると透明の壁からひょこっと顔を出し、嬉しそうに手を振っていた。 一昨日急に「日曜の昼、空いてる?」と珍しく連絡

          キミと私

          ビート板と杖

          つい最近、自分の生き方についてツイートした。 失恋直後の私は自分に全く自信がなくなってしまって、これから何を楽しみに生きればいいのか分からなくなる程の絶望の淵に立たされていた。 それから自分以外の誰かに自分を肯定してもらいたくて新しいTwitterのアカウントを作った。お洒落な写真を投稿している人達を何人かフォローして、幸せそうだなぁいいなぁと羨ましがっていた。 私は写真を撮るのが好きだった。それをよく周りの友達からも褒めてもらえる事が多かった。 だから私もそんな人達をリ

          ビート板と杖

          2019/12/31

          今年はどんな年だっただろう。 この時期になると、私含め殆どの人がこうして今年の出来事を振り返ると思う。 何か得るものがあっただろうか。 それとも失うものの方が多かっただろうか。 私はどちらかと言えば前者だったと思う。 過去のnoteを読んでもらえれば分かると思うが、去年失ったものがあまりに大きかった。 それに伴ってそれまで保っていた心がいとも簡単に崩れてしまった。 抜け殻のような状態から、どうにかして這い上がらなければと奮闘した1年だった。 そして私は決めた。 年

          さよなら前夜

          12月21日、最後に会った日から1年が経った。 あれから私は何か変わることができたのか、それともあの日から何も変われずにいるのか。 「あの人の人生に少しでも入ることが出来てよかった」 Twitterの下書きに書かれてあったこの一言が目に留まった。この言葉に嘘はない。でも100%の本心では無いことも確かだ。かなり強がって絞り出した言葉だった。 おそらく、サヨナラを告げた直後に書いた下書きだろう。自分の中で、前向きな別れだと思いたかったんだと思う。 実際、お互いが前を向くた

          さよなら前夜