空腹になるまで
2019年
この年は私にとって、とてつもなく長い一年だった。
恋という得体の知れない衝動的な感情から遠ざかった一年だった。
恋は恐ろしい、人を良くも悪くも簡単に変えてしまう。
あの恋を経験して良かったと思うことは多いから、その出来事に対してもう悲観的になることはないけれど出来ることならもう二度と経験したくはない。
恋から遠ざかった理由なんて数えればキリが無い。私の中で単に「引きずっていた」という一言で片付けられることではなかった。
とはいえ、その理由が半分ほど占めているのは事実である。
思ったよりも失恋で受けたダメージが大きすぎて他の異性に意識を向ける余裕が全く無かった。
あの時の私は、今自分に突きつけられている現実を受け止めることに精一杯だった。いや、恋が終わったことすらもあの頃はまだ信じていなかった。
まだどこかで繋がっているんだと思いたかった。
それ以外にも恋が出来なかったのは自分への戒めでもあったと思う。
過去のnoteにも書いたが(現在は非公開)私の恋はとてもじゃないが周りから応援されるような恋愛ではなかった。そんな関係性だった。こんな人間は人様から好意を寄せられて良いはずがないのだ。
所謂出会いがなかったわけではなかったし、ありがたいことに私を好意的に見てくれる人もいた。
しかし私はその好意をどうしても受け入れられずに自分から距離を取ってしまい、自己嫌悪に陥る。その繰り返しだった。
そんなことをしなければ今ごろ私は誰かとのハッピーライフを送っていたのかも知れない。
とは言えハッピーライフは保証されているわけでもないし、数パーセントの僅かな望みをかけて手を伸ばすほど欲しいわけでもなかった。
そんな体力も持ち合わせていなかったし。
「恋人がいるのが普通」みたいな風潮が嫌いだ。
恋をすることは全く否定しないし、自分自身恋人がいたから乗り越えられることも多かったから。
恋愛は人が成長する上でとても大事なことではあるが、だからといって無くてはならないものでもないと私は思う。
現に恋をしていなくても自分を持っている人は世の中に沢山いるし、恋をしているけどそれに頼りすぎて中身が空っぽの人だって同じくらい居る。
いつだって世間は独りの人に冷たい。
恋人がいる人が幸せで、
居ないひとは幸せではない。
恋人がいない人で、
顔が良ければ「性格に問題があるのだ」
と決めつけられ
顔が良くないと「そりゃそうだよね」
と納得される。
そんな理不尽な世の中があってたまるか。
恋人がいようがいまいが、幸せの価値は同じだ。
ある人は言った。
「小説やドラマであまりにも恋愛が価値のあるように描かれすぎているから恋愛しなきゃいけないと思われがちだけど、周りからみればどうでもいい無価値なもの」
この言葉が2019年の私を救ってくれた一つのきっかけになった言葉だ。
そして、こうも言っていた。
「恋が分からないはずない、人を好きになるのは腹が減るのと同じだから」
恋は無理にしなければいけないものではない。当たり前のことを忘れかけていた私に気付かせてくれた言葉だった。
そう言った意味でいえば、あの時の私は沢山食べ終わった後でお腹が空いていなかっただけなのだとようやく腑に落ちた。
最後に過去の鬱憤晴らしを
「全部自分が悪い」
この言葉は、私が二度と言われたくない言葉の一つである。
この言葉を使う人は大抵行動が伴っていない人に多く、「悪い」というのが結果だと思い込んで自己完結して結局何もせずに終わることがほとんどだと思う。
というかそもそも自分が悪いなんてはなから思っていない。
自分が悪いから「こうする」という行動を実行するまでが責任を取るということであり、初めてその言葉に意味が生まれる。
あの言葉は逃げているだけ、楽をしているだけだ。
これを言ったからといって自分のやったことが全て元に戻るわけじゃないし、だからといって跡形もなく綺麗に流せるものでもない。
見せかけの反省をするくらいなら何も言わない方が全然マシだ。
なんて、あの頃言えなかったこと言ったらスッキリした。
あー、
なんか少しお腹が空いてきたな。
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