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自由を求めてるんだね

2回目まして。はねです。

わたしってこういうにんげんだよ、ということが少しずつ見えてきた気がしています。今日は自分の特徴のうちの1つについて、書いていきます。

勝手に縛るな

校則

「オ-バーは学生らしく地味なものを用いる。」
「髪かたちは清潔で自然なかたちにする。」
「学用品は実用的なものとすること。」

生徒手帳より







殴るぞ。ふざけてんのかボケナスが。かかってこい。

note界に革命を起こしたい。例えば、こんなのはどうですか?
脈絡のない暴言から始まるnote。

↑「クソボケナス」という歌詞が登場する、米津玄師手掛けるCMソング

みんなはなぜ怒らないのか?


はじめに並べた3つはすべて、私の学校の校則に実際にある文言です。
入学して4年半が経ちますが、校則に怒りを覚えない日はありませんでした。今でも毎日校則を見ては「殴るぞ」と思っています。日に日に怒りは大きくなり、貯まり続けるフラストレーションから50m走を4秒で走れるようになり、シャトルランの回数は世界記録を叩き出し、長座体前屈では3mを余裕で超えられるようになりました。


長座体前屈のイメージ


何を着るかということは、自分の存在をどう規定するかということに等しいと私は考えます。その自己の発露を、なぜ他人に制限されなければいけないのか。

私は物心ついてからずっと、様々なルールに対して、こう思ってきました。「なぜおまえに決められねばならない?」と。実際に中学の頃、スカートしか制服の選択肢がないことに強い憤りを覚えてアクションを起こし、スラックスを履けるようにしたという経験もあります。

しかし私は先日まで考えたことがなかったのです。
「なぜ、は怒っているのか?」ということを。

学校にいて「規則がおかしい」「変えるべきだ」と言い出す人を、私は自分以外に知りません。クラスメイトたちは特に不満なく日々を過ごしている(ように見える)し、愚痴を言う子はいても、「じゃあ変えなきゃ」と言う人は1人もいないのです。

そういう周りと自分とを鑑みて、私は自分がある特性を持っていることに気づいたのです:「なにがなんでも自由でありたい」という特性。

私が人生で一番失いたくないものは「自由」なんだということを、初めて悟りました。

晴空とスーツケース

ダンシング・誕プレ

そう思って振り返ってみると、一つ印象的な思い出が出てきました。

今まで友人からもらった誕生日プレゼントの中で、一晩踊り明かすほど嬉しかったもののうちの一つに、「2つのキーワードをもとに本を選んでくれる」という古書パックがあります。

↑これです。最高じゃない?

友人から「これを贈りたいからキーワード考えて」という旨の連絡がきたときには、最高のプレゼント過ぎて危うく踊りながらその友人と結婚してしまいそうになりました。精神力で踏みとどまりましたが。

私が選んだキーワードは「魔法」「晴空とスーツケース」の2つでした。
この2つのキーワードからどんな印象を受けるでしょうか?読む人によって異なると思います。

私がこの言葉に込めたのは、ここじゃないどこかに旅をしたいという思い、開けた景色への羨望、果てしないワクワク、そして「自由になりたい」という思い。ここでも私は「自由」を求めていたんです。

(届いた本は秘密です、積読でまだ読めてないからです!!!!!

目指す理想

遠くへ

「ここに住むべき」からも、「これを着るべき」からも、「こう振舞うべき」からも、解き放たれたい。押しつけも偏見も常識ももう全部うんざり。

そんなところからは遠く遠く離れて、見たことのない景色と出会いたい。美しい音楽が聴きたい。知らない街で生まれ育ったあなたと2人で、生きることについての話がしたい。

↑海が見たい 人を愛したい


私の海外大志望理由の根底にあるのはこの思いだし、これからの人生の理想とするのも、この思いです。

人と話すことでしか気づけない

アクセラのゼミのメンバーと最近ずっと話していて、この前話しているときに「自由を求めてるんだね」と誰かから言われ、ものすごくはっとしたんです。

↑アクセラって何?と思った人類はこちら


明確に腑に落ちる感覚がありました。ああ、私は自由を求めていたんだ。

今までの奔放な行動とその動機を振り返れば、「この人は自由になりたいんだな」というのはたぶん誰でもたどり着ける言葉だと思います。でもいままで客観的に自分を振り返ることをしてこなかったので、初めてそれがしっかり言語化されて衝撃でした。様々なことに納得がいく感覚もありました。

比較的何でも1人でやってしまいがちな自分ですが、「人の目線を通して自分を見てもらう」ことでしか生まれないものがあるんだということに気づかされた、きわめて得難い経験でした。

おわり

今回あまりまとまらなかったのですが、ちょっとは私のことを知っていただけたでしょうか。次回もっと高クオリティな記事をお届けするために、睡眠という名の自由を40時間ほど謳歌してきたいと思います。

ではまた、起きるときまで!


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