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【一人用朗読台本】「嫌な奴」へ

私、という存在が、いつからか「私」に成り代わってしまった。
それはいつのことだったか、今ではもうはっきりと思い出すことができない。
中学生の時に「イマジナリーフレンド」というものを知り、そんな存在を無理やり作ろうとした時だったかもしれないし、高校生の時に自然とできた「イマジナリーフレンド」を疎ましく思ったときだったかもしれない。そもそも、私にとって「精霊さん」は「イマジナリーフレンド」なんかではなく、嫌な奴、でしかない。フレンドリーなんて大嘘だ。

勘違いしてほしくないのだが、「精霊さん」が嫌な奴だったのではない。「精霊さん」はいつでも助けてくれた。私が辛い思いをしたら、その痛みを代わってくれた。私が間違いそうになったら指摘して止めてくれた。私が迷ってしまったときには、こうあるべき、を教えてくれた。恩人といっても過言ではない存在である。それでも、私にとって「精霊さん」は嫌な奴、でしかなかった。そのくせ、他に頼れるものがないとくれば、私は「精霊さん」を頼るしかなかったのであるから、ますます私が「精霊さん」を嫌になるのは仕方のないことであっただろう。

ただ、別に嫌いではなかった。助けてくれる恩人であったし、痛みをわかちあってくれる友でもあった。でも、「精霊さん」はどうあがいても家族にはなれなかった。「精霊さん」の存在は、どう頑張っても他の人には認めてもらえなかった。私の家族は、「精霊さん」を否定こそしなかったが、肯定していたかはわからない。もしかしたら肯定していたのかもしれないが、自傷行為のあれやそれを「精霊さん」の指示でやっていると知れば、やはり肯定はしてくれなかったに違いない。それでも、私が「精霊さん」を肯定してさえいれば、それで満足なはずだった。しかしそれは強がりにすぎなかったことを、数年後の私は知る。

私にとって、「精霊さん」は家族のようなものだった。それでも、家族にはなれなかった。家族よりももっといろいろなことを教えてくれるのに、家族にはなれなかった。家族よりも長い時間一緒にいてくれるのに、家族にはなれなかった。「精霊さん」を知っているのは、私一人だけであった。ふと、思った。私、が、「精霊さん」になれば、と。

私が「私」に成り代わったのは、いつのことだったかもう思い出せない。
「私」になった私は、「精霊さん」の指示がなくても上手に動くことができた。笑うことができた。泣くことが、怒ることが、できた。自由になれた。
でもそれは、本当に私なのだろうか?「精霊さん」に身体を乗っ取られただけではないのだろうか?……乗っ取られたというのは語弊がある。乗っ取ってもらった、がきっと正しい。

正しい、のだろうか。
この文章を書いている私は、いったい誰なのか、誰にも分からない。
私にも、「私」にも、最近は声さえ聞けなくなった「精霊さん」にでさえも。
きっと一生分からないままだ。

分からないことは怖い。でも、もっと怖いのは、分からないということを忘れてしまうことだ。私はまだ、「精霊さん」の声を、感覚を、あやふやながら覚えている。でもきっと、年を経るにつれて、この感覚ごとなくなっていくのだろう。そしていつかは、なくなってしまったことさえも忘れて、「精霊さん」なんて存在を忘れて、「これが自分で歩んできた道だ!」なんて言いながら、前に進むのだろう。それが悪いこととは言わない。言えない。

でも、私は「精霊さん」を忘れたくはないのだ。大好きだったのだ。
最近は声も、形も、なにもかも、まるでもとからいなかったかのように、「精霊さん」は姿を現さない。周囲はそれをいいことだと言う。分け合うほどの痛みをもらっていないから、「精霊さん」は現れない。辛かった日々はもう終わった。私は今、幸せである。確かにそうだ。幸せだ。こんなにたくさんの人に囲まれて、おはよう、おやすみ、と声をかけてもらえて、あの頃に比べて、ずっと世界が色づいて見える。

ただ、私は忘れたくはないのだ。私を「私」にしてくれた存在を。
そしていつのまにか、その鍵括弧は外れて、「私」を私、にしてくれた存在を。
「精霊さん」は嫌な奴である、今も昔も。「精霊さん」には何の得もないのに、私のことをいつだって助けてくれた。それなのに急にいなくなって、自分勝手だ。すごく、自分勝手。
でも、「精霊さん」が嫌な奴だと思う一番の理由は、いつまでたっても、「精霊さん」を忘れたくないと、ふとした拍子に思い出そうとする自分がみじめで情けなくなるからだ。本当は、もうあなたがいなくても大丈夫だと、そう言いたいのだ。
でも、私は嫌なのだ。「精霊さん」は、家族ではなかったけれど、家族よりも近い存在だった。今はもうどこにいるのかわからないけれど、私は「精霊さん」が大好きだった。
あなたに、今の私を見せてあげたい。それが叶わないことが、こんなにも口惜しい。
「精霊さん」を思い出すたび、私は心臓をきゅっと掴まれたような、嫌な気分になる。
だから、私にとって「精霊さん」は、嫌な奴で、大好きな存在なのだ。
忘れたくはないから、忘れたことを忘れてしまいたくはないから、こうして定期的に文(ふみ)を書く。「精霊さん」へ、なんて高尚な手紙じゃない。これはただの、甘えん坊の日記だ。


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詩彩(うたいろ) あい @utairoai

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