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【一人用朗読台本】ダージリンに愛を混ぜて

紅茶はホットで飲むほうが美味しい。

そういってたのは誰だっけ。叔父さんは紅茶よりコーヒーのほうをよく飲むから、きっと叔母さんかな。
小学生の頃から、僕のおやつは温かい紅茶と、喫茶店を経営する叔母さん手作りのワッフルだった。これがとても美味しくて、家ではなくて叔母さん家に帰る水曜日を、僕はいつも楽しみにしていた。

小学生最後の夏休み、僕のお母さんはおかしくなった。中学生になる頃には、僕のことがわからなくなっていた。「私は子供なんて産んでない」なんて言っていたような気がする。でも、僕は悲しくも寂しくもなかった。叔母さんのワッフルと紅茶さえあれば、僕は幸せだった。本当に薄情だったのは、僕を忘れたお母さんでも、僕とお母さんを置いていつの間にか出て行ったお父さんでもなく、なんとも思わなかった僕自身なのかもしれない。

紅茶はホットで飲むほうが美味しい。

ちょうど叔母さん家に引っ越してきた頃、多分、叔母さんがぼそりと呟いていた言葉だ。ううん、ワッフルを食べながら聞いた記憶があるから、きっとやっぱり叔母さんの発言だ。


僕が高校生になる半年前に、叔母さんは事故で亡くなった。多分、僕が人生で初めて大声で泣いた日だった。

叔父さんは毎朝決まった時間に新聞を読んでいたが、叔母さんが亡くなってからはめっきり読まなくなった。政治について、とかいう気難しい話をする相手がいなくなったからだろうか。僕はあんまり新聞を読んだことがないので、そういうのはよくわからない。
叔父さんはもともと口数が少ない方ではあったが、叔母さんがいなくなってからは声を聞くことも殆どなくなった。叔母さんがいた頃は、僕のいないところでひっそりと愛の告白なんかをしていたのを、僕は知っていた。夜、眠れなくてリビングに出ようとすると、たまに2人が抱き合っていた。僕は顔を赤らめながら、また布団に戻ったものだった。

紅茶はホットで飲むほうが美味しい。

叔母さんが呟いていた言葉なんて、数え切れないほどあるのに、なぜかこの言葉だけは覚えていた。当時は全然わからなかったけれど、今ならなんとなくわかるような気がする。

紅茶はホットで飲むほうが美味しい。
そう言われても、そう思ってもアイスで頼んでしまうのはなぜだろう。

「こちらアイスティーになります。シロップはあちらのコーナーからお取りください」
大学生の僕は、大学近くの喫茶店によく足を運んでいた。
「ありがとうございます」
軽く会釈をしてコーナーへ向かう。シロップは2つだ。

「甘ッ」
シロップ1つをまず入れて、混ぜないでそのまま飲む。叔母さんは、ホットのほうが美味しいって言っていたけれど、アイスティーも十分に美味しい。

甘い甘いダージリンは、行き場を失った愛に似ている。
なんて、少し詩的なことを思いついて、笑った。
シロップを混ぜる。

「お前、よくそんな甘いもん飲めるなぁ」
初めてこの喫茶店に大学の友人と来た時、シロップ2個だなんて後悔しても知らないぞ、と言われたのを思い出す。
「大丈夫だよ」
声と顔は裏腹に、やっぱり甘い甘い蜜入りのダージリンは、胸焼けするほど甘く、歪んだ。

紅茶はホットで飲むほうが美味しい。

それでも。

ダージリンに愛を混ぜて。

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