食の偏愛遍歴 「私は味覚のベンジャミン・バトン」編
食べることが好きである。
生きる為に食べるというよりも、
食べる為に生きている。
そもそも母の影響が大きく、母も食への執着が人一倍大きかった。
母は幼い頃、カゴいっぱいの茹でたエビをひとりで食べて蕁麻疹になったことがあるそうで、それ以来エビが食べられなくなった程である。
母は冬期だけ地元の牡蠣工場で働いていた。
親戚や一緒に働く方から食材やお惣菜をお裾分けで貰って帰ってくることも多くあり、夕食で母が準備したものが白飯だけという日もよくあった。
貰って帰ってくるものは牡蠣工場ということもあって牡蠣はもちろんのこと、そのほとんどが魚介類であった。
牡蠣はカキフライ、蒸し牡蠣、生牡蠣、牡蠣チリ(エビチリの牡蠣バージョン)など、牡蠣に関しては食べ方の全てを制覇している自信がある。
また売り物にならない小さな牡蠣は「クズ牡蠣」と呼ばれ、これをよく譲り受け、味噌汁や鍋には当たり前のように入っていた。
その為、一人暮らしするようになって自分で鍋を作ると何か物足りないと感じ、牡蠣の出汁の偉大さに気付く。
牡蠣の他に貰って嬉しかったのは魚のボラ。
ボラというと町の川に大量発生する時もあり、
臭みがあり、あまり美味しくないというイメージを持つ人も少なくない。
しかし、冬の海で獲れる「寒ボラ」は脂がのっていてとても美味しい。
特に好きな食べ方はボラのしゃぶしゃぶ。
薄く切ったボラを鍋でしゃぶしゃぶして、ポン酢につけて食べる。
刺身でもサッパリしていて十分美味しいのだが、
火を通すとふわふわして、トロトロで旨みもしっかりあってたまらない。
あとカツオも最高。
刺身やタタキはもちろん大好きなのだが、カツオのハラモといってお腹の部分を塩焼きにして食べる。これがあるとご飯が何合あっても足りることがない。あー、食べたい。
他にもカワハギ、太刀魚、アッパッパ貝など、
例を挙げるとキリがない。
そんな食生活を送っていた為、
家族で居酒屋に夕食を食べに行っても、マグロカマの塩焼きや白子ポン酢、魚介類以外にも砂肝炒めやキノコのホイル焼きなど、酒のアテのようなものばかり好んで食べる子どもであった。
また後から両親に聞いた話だが、
外食時に牛肉のたたきを食べたがる風邪気味の幼い私に食べさせて、蕁麻疹を出させてしまったことがあるらしい。
今だったら炎上必至の激やばエピソードだ。
そしてどんだけ蕁麻疹を出せば気が済む家系なんだ。
その反面、父と兄は食への興味が薄く、
特に兄はフライドポテトと唐揚げとゲームだけが好きというような人であった。
(大人になってお酒を覚えたからか、最近は兄も食への執着が強い)
しかし、母はそのような子どもウケするジャンクな料理を好まず、当然私もその影響をダイレクトに受けていた為、夕食のメニューはいつも父と兄用と、母と私用で明確に分かれていた。
例えば揚げ物をする際にもチキチキボーンとカキフライというような感じで必ず2種類用意されていた。
それから幾ばくか経ち、今ではそれなりの歳。
私は最近、無性にフライドポテトが好きである。
あとケチャップも好きである。
きっかけはフードエッセイストの平野紗季子先生の『味な副音声』というポッドキャスト番組を聴いてから。ファストフード店のフライドポテトを食べ比べする回と、モスバーガーを深掘りする回。
(詳しくは何らかの術を使って、是非とも聴いてほしい)
芋と塩と油の美味さ、シンプルなのに手が止まらないフライドポテトの凄さを平野先生の教えによって認識させられた。
再認識ではない、本当に初めての認識であった。
これはフライドポテトの開眼である。
あと、モスバーガーでは1分長めに揚げてもらう「よく揚げ」という無料のオプションがあることも教えて下さった。私は固めが好きなので、「よく揚げ」はまさに伊東家超えの超裏ワザ。
フライドポテトの道を開く、私にとって平野先生は食のモーゼである。(他にも京都の中華、ロイヤルホストなど平野先生には影響を受けてばかりなのだが、それはまた別の話)
あとこれは友人に教えてもらったことなのだが、
モスバーガーはケチャップも言ったら無料で付けてくれる。そしてモスのケチャップはちょっと良いケチャップなのだ。
このちょっと良いケチャップに「よく揚げ」したフライドポテトをディップしてみなさい。
もう絶対不味いわけがないのだ。
ボラのしゃぶしゃぶやカツオのハラモを愛していた子ども時代から、段々歳を取るようになってようやくジャンクフードを好きになっていく。
まるで私は味覚のベンジャミン・バトンのようだ。
(ちなみにマクドナルドもここ数年でようやく行くようになった)
このままだと爺さんになるにつれて、
ひょっとすると離乳食や粉ミルクが好きになっていくのではないか。
そんな予見を危惧しながら、私は今日もポテトを食べる。
おわり