見出し画像

アナログな日々とデジタルライフ

先週8mmフィルムのカメラを買ってから、アナログな物が与えてくれる時間の流れを楽しんでいる。

久しぶりの雨が降った日の夕方、雨上がりの光がとにかく綺麗で、一目散にカメラを携え公園へ出かけた。記録をするだけならば、スマホをかざせばいいだけなのだが、フィルムを回した。

画像1

当然ながら、捉えたての映像を見る事ができない。しかしその事が、妙に胸を高鳴らせる。「今の感動が一体どんな形で残されているのだろうか?」という期待とか、余韻が生まれる。

スマホでは、その「期待とか余韻」が生まれない。それを思った時、あまりにも即決なデジタルな世界が加速していく中、僕の中で少しずつ枯渇していった感情の正体を見た気がした。

サブスクの音楽サービスを手にしてしまってからは、CDをかけるのも億劫になった。音楽を作る仕事をしているのにスタジオには今CDを聴ける環境が無かったりするのだ。

そんな時間の流れの中で、コロナも追い風となり生活の中でますますデジタルに接する機会が増えた。今年に入っても相変わらずな日々が続き、1月の後半から2月の頭にかけて、どうも精神的な疲労の蓄積が顕著になり、いよいよどうしようかと悩んでいた。

そんな時、不意に昔8mmで作ったMVのことを思い出したので、改めて見てみる事にした。

映像自体は、ほぼピンが合っていなく、当時は現像で上がってきた物を見て落胆したが、それはそれでいい思い出だし、それ自体が個性となっている。取り返しのつかないアナログ感があり、ほとんどが修正可能なデジタルには無い潔さが気持ちい。

「これだ」と思った。

どうやら、8mmを回すところまでアナログ回帰する事が今の僕には不可欠だったみたいで、それからというもの生活のリズムというか温度感が少し変わった。その少しが劇的だと言えるのはもう少し先かもしれないが、この「少し」が劇的だったと言える日が来てくれたら嬉しい。

少々の遅延でもタッチスクリーンの前でイラっとしてしまうほど「待つ」という事が出来なくなっている事を考えると、8mmが現像所から上がってくるまでの時間など途方もない。
途方もないはずなのだが、カタカタと回る8mmフィルムが回るその音を聞いていると、その途方もない時間が愛しいものに変わっていくのを感じた。うまく撮れているかも定かではない、その音のない景色に、僕は音を付けたいと思ったりして。それが楽しみでならない。

こんな風に何かに胸を高鳴らせる様なことは、もう暫く無かった。そんな感情があったことすらも忘れていたのだ。

それから、少しずつ生活の中に眠っているアナログが目につく様になった。

ずっと放置していたオープンリールデッキを復活させたりもした。

画像5

再生はできるが、録音できなかったデッキをもう一度クリーニングし、説明書をきちんと読んで、それからダメ元で録音ボタンを押してみると、見事に録音できた。その修理はTEACで3年待ちと言われたので途方にくれていたが、そんな必要はなかった。

録音したものを一度テープに流し込み、それを再び再生させ録音する。結局デジタル化するのだが、アナログを経由した音には得もいえぬ艶というや空気感が生まれた。

ただ、それを再現するべくデジタルがあったりするのだが、アナログのアナログたる所以は、経年変化をした個々の個体差だったりを楽しむ事にもあったりするから、一筋縄では無い。アナログをデジタルで再現するということは一つの事象を再現するだけであって、アナログの多様には関与できない。それが出来たとしても、偶然を与えてくれることは無いだろう。いっ時、その気分は与えてくれたとしても。

それと、もうかれこれ数年は放置してあった壊れたマイクも分解して修理をした。どうやら中でカプセルが外れているらしくカタカタしていて、そのうちラボに出そうと思っていた。
ネジを緩めて開けてみると、なんてことは無く、カプセルと台座の接着が剥がれているだけで130円のセメダインで見事に復活した。音も問題無し。

画像2

そしてそのマイクで初めてドラムの素材録りなるものをし、新しい曲に(それも初めての試みである)打ち込みのビートを付けてみたりもした。これまで、どうも打ち込みには懐疑的だったが、こんな風に手作りな物を経由したことで、デジタルに移行していく時間を楽しむ事が出来たのかもしれない。

画像3

曲の作り方も、これまでとは違い、よりデジタルの恩恵を受けながら進めている。少しずつフレーズを積み重ねては聞き返して、ビートに寄り添う様にメロディーを作ることも楽しめるようになった。

僕にとって、この時代が、何もかも即決で進むデジタルの時代が素晴らしいと感じるためには、どうしてもアナログな時間が必要なのだと思った。

僕に限らず、そう感じている人が沢山いるだろう。レコードやカセットテープが息を吹き替えしているというのも頷ける。

そうやってバランスを取りながら、世界は前に進むべきなのかもしれない。

画像5

8mmカメラを買ったレトロエンタープライズの帰り、歩いてスカイツリーまで行った。ほとんど日本語だけが飛び交う観光地がとても新鮮だった。

画像6

1500円で買った地球儀を眺めながら、コロナの夜明けをじっくりと待つ事にした。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?