2019.5.24~30 「階段とスロープ」日本語と英語の決定的な違い
先日の顎の発見で、発声については一歩進んだ。
しかしこれもまた、悪くはないけれど、毎回すごく良いとは言い難い。
録音してみても、なかなか思うようにいかない。
これまでをまとめてみると、
1、歯の位置
2、舌の使い方
3、咽頭扁桃周辺の意識
4、口と鼻、7:3で吐く(意識として。実際は9:1くらいかも)
5、共鳴させる
6、装飾音符を意識する
7、イとエは舌の形を意識する
8、顎は適度に引く
9、歌の求めている本当のビートの中で歌う
歌は普通に歌えるけれど、なにかが決定的に欠けているけ気がして、何がかけているのかが見えてこない。
頭を悩ませながら、歌う、何度も歌う。
録音して、聞く、何度も繰り返す。
ふと、音符を繋げられるところは繋げてみる。滑らかに、音をスライドさせる。
そこに録音されていたのは、抑揚だった。
メロディーの一つ一つの音を見るのではなく、連続させて繋げることで、なんというか曲が見えやすくなった気がする。
これまで「階段」みたいだったメロディーを「滑り台」のように捉えてみる。
そうか、
日本語のような母音発声は、音で言ったら階段のイメージ。
英語をイメージすると、音そのものが滑り台、というか、スロープのようだ。
突然、僕の細胞が、10年以上前のファーストアルバムを作ってときのことを思い出す。
あの頃、
ひたすらオケに違和感のない歌い回しを探す中で、確かに、同じようなアプローチをした記憶がある。。
その歌唱法には、パッと聞くだけでは解読できないウネリがある。
しかしそのウネリこそが、音楽的な要素なのだが、
日本語自体にそのウネリが存在しないのが、最大の落とし穴。
最近は一つの音をしっかり出そうとするあまり、そのウネリを意識していなかった。
日本語にない顎の位置による発声をしても、日本語の扱い自体を音楽的にしなければダメだ。
これからまた録音を重ね、さらに検証をしてみよう。
日本語の中にもウネリを。
そうすればもっと、この国の言葉は美しい音楽になると思う。