肋骨凹介『宙に参る』
えー、擬音が凝ってる漫画はいい漫画とはよく言ったもので、ノートパソコンを打つ擬音「ぱそ ぱそ」や後光が差す擬音「ゴコァァ…」を発明した『宙に参る』が傑作なのは疑う余地がないところ。
宇宙船が今で言うセスナ機ぐらい身近になった世界のお話。
機械やプログラミングに妙に炊けている主婦・鵯(ひよどり)ソラは、病気で亡くなった夫の遺骨を義母に届けるため宇宙へと旅立った。
道中のお供は人工知能を搭載したロボットである息子の宙二郎(ちゅうじろう)。
長期渡航を目的として作られた巨大宇宙船、経由するコロニーやテラフォーミングされた星、いつか訪れそうな宇宙時代への期待が膨らむ、近未来サイエンスフィクション。
(トーチwebの紹介文)
第一話の恒星間「遠隔葬儀」を実現するために「焼香ロボ」を開発してしまうという発想からして、壮大さと日常のディテールのギャップに満ちている。この落差から生まれる脱力感があって『宙に参る』は読んでいて心地良い。宇宙旅行の目的が義母に遺骨を届けるためなので、「地球へ」に(テラへ)ではなく(実家へ)とルビが振られていたりする。
壮大な設定と日常のディテールを両立させる難しさは常に話題に上がる。
つい先日古本屋で投げ売りされていた『幻影城』を見付けて読んだが、新人賞の選評で李家豊(田中芳樹)の作品に中井英夫がこんな注文をつけていた。
①の『緑の草原に……』はなぜSFでなければならないのかが第一の疑問で、それも手法はずいぶんと古めかしい。さらに国家がなくなって二世紀も経つ時代を設定しながら、まだドアのチャイムが鳴ったりウイスキーで酔っぱらったりという未来社会への展望がなさすぎる点が閉口である。
(中井英夫「第三回〈幻影城〉新人賞・小説部門選評」見えない翼」,1978年)
『緑の草原に……』を『銀河英雄伝説』に置き換えればそのまま批判として通用してしまう。田中芳樹はSFの皮を被った歴史物という力業で、「未来社会への展望」がなくてもSFは書けることを示したが、『宙に参る』は「未来社会への展望」に溢れまくっている。ロボ噺家の四五六やスペースおでんチェーン暖缶亭、コンビニのコンパスみてぇな店(「何でもある」感を売っている)……。
ハイボールで酔っぱらう場面はあるけど、車に教習車のアドオンがインストールされていて酒気を検出するとうるさく言ってくるし。
そういえば銀英伝にもシェーンコップが自動運転を切ってハンドルを握ったから酒気帯び運転だ、という場面があったなと思って読み返してみたが見当たらなかったので、あれはアニメ版オリジナルシーンのようです。
ともかく『宙に参る』はいい漫画。ボディはマット加工でサラサラな宙二郎の模型が出たら買うぞ私は。