雑な生活の探求
世の中の在宅化が進んでいる。私は腰を痛めている。
私の家には折り畳み式の机が1つと椅子が1脚しかない。机は常に斜に構えているし、椅子は3本ネジが飛んでいる。在宅勤務どころか、在に不向きな家だ。それでも無理に在ろうとするとどこかに歪みが生じる。かくして私は常時腰にバクダンを抱えながら在る羽目に陥っている。在宅といえども勤務時間の間は常に連絡が取れる状態でありなさい、と命じられているが、このままでは着信を知らせるバイブレーションでバクダンが爆発してしまうかもしれない。
そこで近頃は布団の上にうつ伏せになって勤務している。うつ伏せ型の勤務体制について安岡章太郎が「自分の体になじんだ敷き布団と、柔らかくて腰の強い枕が一つあれば、あとは何もいらない」と言っていた。床の上が机と同じになるからどんなに沢山の本を広げても一杯にならないし、インキ壺や灰皿を落とす心配もない、とのことだ。かつてはフランスの小説家ヴィリエ・ド・リラダンも床に腹這いになって大作『未来のイヴ』の創作に打ち込んだとかなんとか。インキ壺をノートPCに、灰皿をマウントレーニアクリーミーラテ240mlに入れ替えれば私の勤務体制と同じになる。
今朝はそうして寝そべりながら、けんさんの『雑な生活』を読んでいた。雑な状態で読む本としての最適解だと思う。
大学で同じ町に住んでいた友達のことを思い出す。一人暮らしになると部屋を占める生活の密度が家族と暮らしていたころよりも濃くなるから、家を行き来する仲の意味が変わる気がする。地元の友達とも家を行き来していたけれど、やっぱり大学で同じ町で過ごした友達の家の方が印象深い。
『雑な生活』にも夜の散歩の回がありますが、同じ町に住んでいると互いの家を行き来するときに散歩ができるのもいい。友情が人生ゲームだとしたら「手ぶらで散歩する」は上がりマス。
私はもうすっかり友達のつくり方を忘れてしまって、これから新しく知り合う人と「散歩をしましょう」とはならないと思う。目的がない行為を私と一緒にしましょうと提案するのが恥ずかしいから。同じように地元の友達にも散歩をしようとは言い出せないだろう。10年以上の付き合いなのに今さら関係性を変えるようなことを言うのが照れくさいから。そうなると私が友情の上がりを迎えることはもう一生ない、ということになるのだろうか。唯一の攻略方法として、同じ町に住んでいれば家を行き来するときに散歩が自然発生することは分かっているのだが。
今後は「雑司が谷時間でいきましょう!13‐まちBBS」で友達を募集させてもらいます。
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