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熱海未来音楽祭 の思い出
少し前、熱海に住んでいる巻上公一さん主宰の"熱海未来音楽祭"に出かけた。演目は初日の夜に行われた巻上公一さん、町田康さん、佐藤正治さん、他による、「詩、そして電子音」。これは…これは逃せない!と一念発起して、仕事の後に新幹線に飛び乗った。文字通り、巻上さんや佐藤さんらの笛やテルミン、クラリネット(クラの人のお名前失念…)そして打楽器演奏、そしてオーストリアから来た二人のアーティストによるなんとも不思議な電気を使ったノイズなどの電子音と、町田康、巻上公一による詩の朗読というパフォーマンス。果たして、恍惚の電子音に乗せて、町田康さんが最初に朗々と読み上げたのは、「昭和枯れススキ」…いや、ぶっ飛んだ。
言葉の重さが、変わるのね。裸にしてみたら、めちゃいい女だった的な。どうしてかわからないのだけれど、思いがけず涙がこみ上げた。
「いっそきれいに死のうか」だなんて。町田康さんに囁かれたら、ね?
町田康さんがまだ町蔵と名乗っていた頃、彼の美しい顔と声が大好きな友達がいて、彼女に押し付けられるように彼の音楽を聴き、詩集を読み耽った時期があった。私は、アイドルはもちろん、俳優でも、ロックミュージシャンでも、およそ誰かのファンになって追っかけをするようなタイプの女の子じゃなかった。音楽も本も好きだったし、アイデンティティの55%くらいはそれで占められているはずだったが、にも関わらず、10代の私は、全てに白けていて、ボケーっとしていて、草をくわえて砂漠のバスに乗ってる方が似合っている…と自負するヒネクレ女子だった。町蔵も、だから、彼を大好きだという友達に押しつけられるようにして知った…が、本人を一度見てからは、ファンだ、と言えるような行動はしないまでも、町田町蔵の特別な存在感は、強く意識するようになり、彼の音楽や詩集に深くのめり込むようになった。
時は流れて、そんなこともすっかり過去の記憶に埋もれてしまっていたが、このたびの熱海でのパフォーマンスで、そんなことを思い出した。10代の終わり。自分の髪がキラキラと太陽に透けるのが楽しくて、陽に晒した。通りがかった近所のおばさんが、「いやー、ツヤツヤだねぇー」なんて言って眺めてく。
幸せだったんだなぁ。まだ何も知らない。何も分からない。何も持ってない。だから、どこへでも歩を出せる。ドキドキする。ワクワクする。知らないことは、あの頃は全部楽しみなことだった。
町田康さんは、あの頃よりずっとお年を召された。しかし、むちゃくちゃカッコ良かった。微妙におかしな緊張感も、違和感も、そのまんま。いびつなおじさん。格好ではないパンクな生命を、感じたよ。