肉体と心の間にあるものが、言葉なのだと思っている。言葉を話さない生き物は、心と肉体が一つになっている。言葉の代わりに音を発するのはもちろん、美しい羽や模様を持ったり、身体の一部を変化させたりできるのだ。私たちにはそれができない代わりに、言葉がある。
会社員であるとか、女であるとか、編集者であるとか、母であるとか、おばさんであるとか、そういうことではなくて、自分でしか居られない情けなさよ。
空が広い朝。ウリ坊みたいな雲が一つ。寂しいことと、美しいこと、わたしの中ではよく似てる。昼間の星のこと、考える。わたしに見えないだけで、今この瞬間も燦然と輝く星たちのことを。
灰色の空。雨のトンネルをくぐると、そこは夕陽の国でした。ねえ、カミサマ、あなたがそこに居るのなら、ほんの少しでいいから姿を見せて。
空を見上げるのは昔からの癖だったと思うけど、心動かす雲ばかり見つけるのは、居なくなった人のことを想うようになってから。
少し前、熱海に住んでいる巻上公一さん主宰の"熱海未来音楽祭"に出かけた。演目は初日の夜に行われた巻上公一さん、町田康さん、佐藤正治さん、他による、「詩、そして電子音」。これは…これは逃せない!と一念発起して、仕事の後に新幹線に飛び乗った。文字通り、巻上さんや佐藤さんらの笛やテルミン、クラリネット(クラの人のお名前失念…)そして打楽器演奏、そしてオーストリアから来た二人のアーティストによるなんとも不思議な電気を使ったノイズなどの電子音と、町田康、巻上公一による詩の朗読というパフ
twilight という言葉が好き。 英語のtwiは、two, halfから来ている。夜と昼の間。半分の明かり。 日本語でいう黄昏時の「たそがれ」は、薄闇で人の判別がしづらいことを意味する「たれぞかれ」から来ているのだそうだけど、この当て字の言葉よりtwilightという言い方が好きなのは、夜と昼を分ける狭間の、その分かれ目の一瞬を正確に指しているように感じるからかもしれない。 昨日の夕暮れは、まさにトワイライト。 高速道路を走っていたけれど、居てもたってもいられずに、P