INI「ONE NIGHT」をクィアする―夜闇を選び取ることのクィアネス―
こんにちは~
「INIの楽曲って、めっちゃクィアリーディングできるよねえ!」と巷で話題になっていますが(???)、今回は2024年10月30日発売の7thシングル「THE VIEW」より、「ONE NIGHT」を全力クィアリーディングしていきたいと思います。
はじめに
クィア・リーディングは、非異性愛のコードから作品を読み解くことで、異性愛前提の読解では見えてこなかった/見えなくさせられていた解釈を提示します(夏目漱石の「こころ」や、最近だと髭男のPretenderなんかはよく例として挙がる気がします)。
今回ONE NIGHTってクィアリーディングできるんじゃない?と思ったのは、曲を聴いた瞬間の直感はもちろんのこと、7thシングルのコンセプトが多いに影響しています。
当たり前のような毎日に僕たちが革命を起こす
視点を変えると世界は変化する
僕たちの奇妙な視点で変化をもたらせるんだという意思
めちゃくちゃクィアリーディング/クィア理論と親和性が高いコンセプトだと思いませんか?!! 奇妙なって、それまんまクィアと同義やんか。
ですので今回は「INIの楽曲に隠された意味をを大考察!」というようなものではなく、ちょっと視点を変えてみたら、こんな風にも解釈できてハッピーじゃない?というような、あくまで解釈の一提案として受け取ってもらえたら嬉しいな~と思っています。INIを応援しているクィアな人たちやサポーティブな人たちと、かれらの楽曲のクィアネスについてもっと共有できたらな~なんて思ったりも。
早速行きましょう。
1.「夜」を過ごすクィアたち
いきなりすごいのが来ました。
今回ONE NIGHTをクィアリーディングするうえで、大前提として置いておきたいのがクィアと夜の関係性です。
クィアシーンは、その歴史的にナイトライフと密接な関係にあります。クラブ・カルチャーやバー・カルチャーを語る際に、クィアの存在を無視することはできません。
また、クィアシーンとしての「夜」だけではなく、
堂々と日を浴びて生きられる世界、メインストリームとしての「昼間」と、
視界が悪くなり、他者から視認されづらい時間としての「夜」、という対比の関係が重要になってきそうです。
この昼夜の対比を、シスヘテロ中心の社会と、そのような社会では堂々と生きることのできないクィアのコミュニティ、という暗喩として捉えることができうると思います。
歌詞に戻ると、
静まった世界(=シスヘテロ中心社会であり、夜には眠りにつきます)で当たり前とされていることを、今ひっくり返そうとしているわけですね。
夜だ!私たちの時間だ!という意味はもちろん、シスヘテロ中心社会を揺さぶってやろうという意気込みも感じられます。
「あなたたち(=世間・シスヘテロ中心社会)は、私が何をしているのか(=クィアであること/クィアらしく振舞っていることを)知らない。
そんなシスヘテロ中心の世界での名声などいらない」
そんな宣言に聞こえてきます。自らメインストリームにそっぽを向ける、というあり方もすごくクィアっぽいですね。
「信じた道と時間」は、「自分はクィアである、クィアらしく生きていくと決めたクィアの人生」として取りました。
同性愛感情や性別違和に対して「気のせいだ」「若気の至り」などという言葉が投げかけられることは少なくありません。クィア自身が、自分はクィアだ、と信じることでしか存在し得ないことを表現していると読めそうです。
シスヘテロ中心社会から周縁化されているクィアが、今こそそんな社会構造を変える(回転・交代する)時だ、と言うわけです。
夢=「クィアがクィアらしいままで、暗闇ではなく日の当たる場所で生きられる社会」という風に捉えると、その夢の実現のために社会を変えよう、そんな未来の実現のための手筈を整えよう、という強い意志を受け取ることができます。
ここ、めっちゃよくない??? 音階も切なくて歌詞も相まって毎度ぐっときてしまいます。
さて、街灯も光らない暗い道を歩いている君…ここでは、暗い道をクィアの先行き不安な人生として取りました。
クィアの困難として、人生設計の難しさがありますよね。
恋をして、結婚して、子供をなして、成長し、老いていく、という規範的な人生を辿らない/辿れないということは、自分の将来がどのように進んでいくのか想像したり、判断基準となるもの・人を見つけることが難しいということ。
(「クィア・テンポラリティ」と呼ばれる概念ですね、私も勉強中…)
そんな不安でいっぱいのあなたの将来が光り輝くものになりますように。でも世界は一日二日では変えられない、だからこそ朝までは世間に知られることのない時間(=クィアがクィアらしくいる時間)を過ごさないか?という風に読めてきます。
サビです。
One night stand(一夜限りの関係)という恋愛・性愛のあり方は、ヘテロセクシュアル以上にクィアにとっては身近な関係であるかもしれません。
同じようなセクシュアリティを認識する人に日常生活で出会うことの困難さや、特に日本においては婚姻制度が整っていないことも理由となるでしょうが、関係を持続させることの困難さ、その他さまざまな理由から、いわゆる「ワンナイト」の関係を過ごすことが一部のクィアにとっては身近なものとなっているでしょう。
カッコ書きの箇所に注目します。
「I just get it」の訳出がすごく難しかったのですが、無理やり訳すとすれば、「あ~~私今すっごくクィアだな」とかでしょうか笑。自分のクィアネスを実感する瞬間、的な意味で取りました。
「あなたは知らない、私がこ~んなにクィアだってことを。世間に気づかれない間に、私は君(=私とクィアな関係にある)の心を奪ってる。
私たち、自由でいよう。」
Stay freeというフレーズがあることで、クィアにかなり引き寄せて読み解くことができますね。「君は自由でいてね/私は今自由だ!/私たち自由でいよう」等いろいろ解釈パターンがありそうなのも好きです。
また「One night, within one night」と何度も繰り返すことで、刹那的な関係を繰り返す、不安定なクィア像が浮かび上がってきます。
2.君の明日が光に溢れるように
ペイントをやり直す、と来ました。
クィアの存在や連帯の象徴として虹色が用いられることは日本社会でも段々と浸透してきたと思いますが、その虹色への応答として、ヘテロセクシュアルの象徴として白黒のストライプを使用することがあるんですよね(私はこのカルチャー皮肉っぽくて好きです、クィアらしくて)。
その前提をふまえると、黒い衣を纏う=クローゼットでいる、シスヘテロであるふりをする、という風に読めると思います(あるいは世闇に紛れる=クィアの世界にいる、という風にも読めるかも)。
「それを見逃すな そのSOSを辿る」というフレーズが続くことで、隠したり、偽ったりすることの困難を放置するな、という強いメッセージを受け取ることができます。
隠された道(=クィアの生きる道)でも、君は胸にささやかな希望を抱いている。太陽の光ではなく「月の光」としたのが素敵だなあと思います。世闇を静かに照らす月光のおかげで、私たちは道を見失わずに済みますよね。月には満ち欠けがあるので、時間の経過も知ることができますし、時には見えなくなることもあります。
後に続く「雨」「凍える」という表現から、世間の無理解や攻撃によって、君が月の光=ささやかな希望(=クィアがいつだってクィアらしくいられる世界)を見失っている、という風に読めるのではないでしょうか(この「月の光」の意味、書きながら気づいて大興奮しています、今)。
Hold onもまた訳出がめっちゃ難しいんですけど、「待ってよ」とか、「抱きしめる」とか、そういうニュアンスの言葉ですよね。
直前の「凍える君」というフレーズの応答として考えると、君という存在の消失への不安に怯えているようにも。
悲しいかなクィアの自殺率はクィアでない人に比べて高い、というようなデータもあるし、80年代のエイズ禍の歴史など、死と接近することもあるクィアの存在を、私はここで想起してしまいます。
「私がひっくり返す、物音立てず、正体を隠して」と続くことで、傷ついた君を守りたい、私が世界を変えてみせる、と再び決意した姿を読み取れそうです。ただ、クィアであるということは、オープンにできないままで。
そして続くこの理人の最高フレーズ! 個人的に最もグッとくる箇所です。
クィアの人生や歴史というのは、語られづらい、記録されづらいものであってきました。それでも、クィアはいつの時代にも存在したし、今もずっと未来も永遠に存在し続ける。クィアがクィアらしくいる/あるいはただただ生きる、それこそが革命なのだ、と高らかに歌っているように感じられます。
繰り返しです。
街灯も光らない道ということは、暗い夜がさらに暗くなるということ。もしかすると「君」はクィアコミュニティのなかにも居場所を見つけられずにいるのかもしれません。
たとえクィアのコミュニティであっても、男性中心主義や性愛を前提とした社会から自由でいられるわけではありません。LGBTQコミュニティの意思決定ポジションにシスジェンダーのゲイ男性がつきがち、という指摘もそれなりの頻度でされています(もちろん、表に立つことの多いかれらが苛烈な差別と戦ってきたという歴史がなくなることはありませんが)。
だからこそこの曲の語り手は、目の前にいる君が光り輝く明日を歩めるように、静かな決意をあらたにしているのかもしれません。
3.だから今は君と夜を過ごすよ
ここでまた曲調がぐっと深みをもったものに変化します。
光り輝く真昼の世界=世間は、決してクィアが安全に存在できる場所とは限らない。クィアにとっては世間が言う闇こそが光だったりするんですよね。そんな世界に追い詰められそうになっている/あるいは、そんな世界を私たちがもう終わりにする、という風に読めそうです(個人的には後者の解釈に希望を感じます)。
そして「比べるなら、そんなの必要ない」。ここから語り手は、世界を引っ掻き回し始めます。
クィアがクィアらしくいられる時間(=夜)は、一瞬だけれども永遠にも感じられる。そんな時間は世間とは逆の時間かもしれない。
でも、灯りも終わりも消える。
ここは、昼間の世界がいつまでも明るいわけではなく、また、クィアの時間が終わってしまうということもない、という風に取りました。
排他的な社会が変化していく、夜の間だけでなく日が昇ってもクィアらしくいられる、そういう世の中が作られていく。
「ああ、夜明けがこんなに早く来ちゃうよ、はは」
クィアらしくいられる夜の時間が一瞬で終わってしまうことの寂しみと、日陰者として生きる、そんな時代はもう終わるよという希望。この2つの感情が、理人の自嘲っぽい笑い声も相まって伝わってきます。
コーラスが増え、より重層的な響きによってメッセージ性が強くなっているように感じられます。
歌詞が「誰一人いない道を歩く君」に変わっています。ここはクィアの孤独感を表していると取りました。自分と同じようなセクシュアリティの人とは出会いづらく、悩みを共有しづらい。時にはクィアコミュニティにも所属意識を感じられないこともある。
でも今だけは、君には私がいるよ。そんな風に歌っているように聴こえます。
「誰一人いない(豊凡)」→「道を歩く君の明日が光に溢れる(匠海)」→「ように Until morning 知られない(京介)」→「時間を(大夢)」と、メインボーカル4人が歌い継いでいくのもとっても素敵。手を差し出し合っているようにも、連綿と繋いできたクィアの歴史性をうたっているようにも聴こえたり。
最後、再びOne night…と繰り返し繰り返し歌っていきます。
これまでの解釈で行くと、最後は一緒に光り輝く世界を作っていこう、という方向性になるのか?と思いきや、「陰に潜む One night」とこの曲は終わっていきます。
君と私のために未来を変えたい。その願いは確かに持っている。
だけど今は、私たちが安全にいられる場所で一緒にいよう。
そんなクィアライフを歌っているようにも思えたり、あるいは「暗闇の存在で何が悪い!」と自ら積極的に暗闇にいることを選ぶ、自らを周縁に位置付けることを選び取る、そんなクィアネスを感じたり。
また、明るい昼間の世界にだって、黒衣を纏ってしれっとクィアが存在している、どこにだってクィアはいるんだぜ、と言っているようにも感じられたり。
最後のフレーズが「陰に潜む」であることによって、このONE NIGHTの歌詞全体のクィア性をより際立たせるものになっているのかもしれません。
おわりに
はい、ここまでINI「ONE NIGHT」を全力クィアリーディングしてきました。
なんと、ここまで約7000字(長い! 去年の今頃卒論をこの調子でやっておけば直前に苦しむこともなかったのに…)。
お付き合いいただき本当にありがとうございます。
私自身、ここまでしっかり楽曲を聴きこんで考えることはほぼ初めてだったので、聴きながらどんどん物語が広がっていく感覚をとっても楽しみながら書き進めることができました。
本当は最後に、Performance Videoの考察もしたかったんですけど、あまりにも長すぎるので今日はいったん終わりにします(後日追記するかも)。
ダンスがもろクィアカルチャー由来のそれだったり、日の差し込みに何か意味が感じられそうだったり…。
INIのメンバーたちも気に入ってそうでうれしい。
普段からクィアフレンドリーな姿勢を示してくれる、許豊凡さんはじめINIのメンバー、
こういう解釈の可能性を提示してくれた運営や制作(特に作詞の武藤弘樹・Hiroki Mutoさん!)の皆様、
クィアリーディングと言いつつ、結構無理のある箇所もある解釈をぶっ放しても大丈夫だろう、と思わせてくれた、あったかMINIの皆様に大感謝!
7thシングル「THE VIEW」発売週ということで、お祭り気分のちょっとした賑やかしとして楽しんでもらえたら嬉しいです!
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