「あなたの痛みは、僕にはわかりません。でも、」
こんにちは。水瀬うたです。
今日は七夕の前日ですね。とはいっても、これを書き始めているのはそれよりも何日も前のことです。何日もかけて、この記事を書くことにしました。
投稿するのは7月6日と決めていますが、それまでに何度も書いたり消したり書き足したりと書き直すと思います。それくらいに今私の頭の中はごちゃごちゃといろんなことが溢れて散らかっています。どこに何があるのか、自分でも今探しながら、整理しながら、必死に生きているところです。
「生きている」、と書きましたが、特に今年度に入ってから、私は何度も「生きる」ことに嫌気がさして、苦しくてたまらなくなってしまって、そこから逃げ出そうとしました。
何ならこの記事を書き始めてから公開するまでの間にですら、本気でどうにかして死ぬことはできないものかと思いました。正直7月6日まで自分が生きている確証すら持てません。公開されている、ということは、とりあえずやり過ごしたんですね。それが良かったのか悪かったのかは私にはわかりません。
最初は、「死にたい」ではなかったんです。ただ、「この耐えられないような苦しさから何とかして逃れたい」という思いでした。
でも他に一番近い言葉がなくて「死にたい」と言っていたようですが。
その時に話を聞いていた友人に後から「あの時死にたいとばっかりしか言わないからどうしようかと思った」と言われました。
他人事のようですみません、本当に自分ではあまり覚えていないんです。あの時の記憶にもやがかかっているような感覚で、ずっと自分でも怖いし迷惑をかけた周りに申し訳ないなと思っていました。今も、正直年度が変わってからの時間の感覚や記憶が曖昧です。
年度が変わる前後から、特別なことが何かあったわけではないのだけれど、でもずっとどんどんどんどん糸を張りつめていっていたような状態にいたのだと思います。
その最中に前回の記事を書きましたが、自分でも読み返してみてそれでもまだ自分がまた堕ちていっていることを認めずに抗ってる感じがするなあと思いましたね。
でもあの直前に、限界で、ブツっと糸が切れるような感覚を二度感じました。そして、いよいよまた休学していた時のようにうつの波に飲まれて動けなくなってしまいました。
Xを見てくださっている方がもしいたら、そこでの方が手軽に腰を据えなくてもその度に言葉にすることができるので、ずっと繰り返し言葉にしようと試みてきましたが、当分は闘病日記のようになってしまいそうです。
「この耐えられないような苦しさから何とかして逃れたい」
最初に強くそう思ったのは、休学する直前のことでした。
「耐えられないような苦しさ」、というのを、具体的に表現するのは難しいかと思います。うつを経験した人でないとなかなかわからない感覚だと思います。
本当に、言うなれば死ぬ方が絶対的に苦しくないだろうと思うような苦しさです。
だからうつを患った人間は自らその命を手放したり脅かすようなことをするんだと思います。
少なくとも私はそうでした。
よく、自殺者は男性、自傷者は女性の方が多い、なんて言いますが、多分社会的な性差によって男性の方が腹をくくってしまうんでしょうね。女性はそんな苦しさを持ちながらも、心の奥底でどこか「誰かわかって」「助けて」と共感を期待してしまうのではないでしょうか。
これはジェンダー規範的なものによって無意識に人の考えに根差している部分だと思うし、私も例に漏れないのかなと思います。
具体的に明言することはここでは避けますが、それで休学前にしたのと同じように、自傷行為をしました。繰り返しになりますが、その時は「死にたい」ではなかったような気がします。ただ、ほんの少しの間だけ、このどうしようもない苦しさから逃げ出したかった。それまでは踏ん張っていたつもりだったけど、もう全部投げ出したい。とにかく今この苦しいここから逃れたい。そんな気持ちでした。
その行動について、大学の先生から、
「あなたの周りには、俺なんかよりもずっと、それを怒ってくれた人がいたでしょう」
と言われました。
その言葉の通りで、私はいろんな人からそのことをすごく怒られました。
自分の大切な人が傷つけられたら、その傷つけた相手に対して怒ることは当然だと思います。今回は、傷つけた人も傷つけられた人も同一だっただけで。
お願いだから、自分を大切にして。そんな風に何度も何度も何度も言われて、強く懇願されて、怒られて、でもできなくて。
それならもう、「死にたい」と明確にはっきりと思いました。
周りの人の想いに応えたいのに、今の自分には応えることができない。
私自身だって、大好きなつもりなんです。だから、みんなの気持ちに応えたかった。それで、「みんなはそう思ったとしても、自分ではそう思えない」という自分自身すら最初は受け入れられませんでした。だからそんな自分なんだったら死んだ方が良いと思いました。
どうしてそんなことをするのかわからない、こんなに大切にしてくれと言っているのに、どうして自分から自分を傷つけるようなことをするの?
そんな風に、その度に、動揺して、困惑して、幻滅して、疲れ果てさせてしまうのなら、私が私をどうしてもそんな風にしか思えない姿をずっと見させて、その都度傷つけて苦しめてしまうようなら、そしてそんな私に結局離れていかれてしまうのなら、この一瞬悲しませたとしても、みっともなくジタバタしてみんなを振り回すよりも、少しでも綺麗な思い出で私を残して、私はみんなの前からいなくなるべきだ。
今この一瞬は悲しいかもしれないけど、私がいることによる負担と天秤にかけたら、私は生きていちゃいけない。ここにいちゃいけない。
みんなの気持ちに応えることができないのなら、もう死ぬしかない。
でも、それでもやっぱり、そんな風に思いながらも、どこかまだこの世に未練があるから、何度も私は死に損なっているのかもしれません。
まだどこかそれでも、こんな私にでもやれることがあるのなら、もう少しだけできることをしたい。
最初にこの「水瀬うた」を始めた時には、全力で創作を楽しむ、なんて、とてもそんな綺麗な思いではありませんでした。
好きなこと……ではあるのかもしれないけれど、きっともっと切実で、藁をもつかむ思いで、私は私の胸の内を何とか言葉にしようとしていました。
休学中、自分の痛みや苦しさで動けなくなっていたところから、少しだけ回復した時、自分をそんなにも痛めつけたほとんどこの世の全てのものともいえるほどに対し、強い強い憎悪の感情が湧きました。
何かしら別の形でこのエネルギーを外に出さないと、私は殺人犯になる。
そう思って、これまで私が抱えてきた痛みや苦しさを、何とか昇華しようと書いたのが「梯子」でした。
あの時は本当に何かに取り付かれていたようと言っても過言ではなかったと思います。三日足らずで「梯子」「わたしのヒーロー」「コロナ禍の~」など複数作品をぶっ続けで書き上げ、エネルギーを貪るように食事を取るというよりも食物を身体に入れるというような感じで何かを食べ、感情を動かすことに疲れ果てて電池が切れたように眠る、というような狂った生活をしばらくしていました。そうして生まれたのが「水瀬うた」です。
「水瀬うた」は、ある意味で「(本名)」の私以上に私の本質となる核の部分で、より心のやわらかい部分、かつ危険な、闇の部分でもありました。
これまで、主に父から、何度も何度も何度も何度も、
「お前になんか無理だ」
というような言葉を、それに準ずる言葉を、浴びせられながら生きてきました。
そんな父に対して反抗しながらも、でも心のどこかで、繰り返し言われ続ける言葉に刷り込まれ、自分でも自分にそんな言葉をかけるのが常になっていました。
状況が自分に向かい風になって吹き付けるような時、例えば大学受験が終わったらせっかく楽しい大学生活が送れると思っていた時にコロナ禍に見舞われてほとんど家から出られない演劇なんてとってもできないような状況になった時、「ほら見ろどうせお前なんか無理だ」と言われているようでした。
でもそれと同時に、どうして私ばっかりこんな苦しい思いをしなくちゃいけないんだ、と憎しみの感情も強く持っていました。
自分を否定し、認めることのできない気持ちと、そうやって自分を傷つけるものに対する強い憎悪の気持ち、どちらも強く深い負の感情でした。
それは、これまでずっと私の奥深くにあった、根強いものでした。そしてとても掴み切れないような、相反する、でもどちらもすごく大きなものでした。
進学と両親の離婚を機に父とは離れましたが、その毒はしっかりと私に回っていて、私の奥深くに根をはびこらせるものになっていました。
でも、それも含めて、
そんな自分を、自分で認められるようになりたい。
そんな自分の姿を、言葉を通して、何とか自分で捉えたい。
そしてそれと同時に、それでいてどこか、私の言葉を、気持ちを、本当の私を、誰かに見てほしい。聞いてほしい。認めてほしい。
そんな風に思ったから、わざわざ不特定多数に自分が表現したものを見せたのでしょう。でもそれと同時に「(本名)」で「水瀬うた」を見せることの怖さもありました。だから私だけど私じゃないというか、「(本名)」を知らない人たちの渦の中に「水瀬うた」を放り込んだんでしょう。
いや、違うかな。
もちろん、見てもらえて、聞いてもらえて、認めてもらえたらこんなに嬉しいことはないけど、そうじゃなくて。
受け手がどう捉えたとしても、私は私の中にあることをなかったことにはしたくない。できない。
どんなに否定されたとしても、私は私がこうだと思うものを表現したい。表に出して現したい。たとえどう思われたとしても。
そんな、剝き出しの「私」を、良いと言ってくれた人がいました。
よく、私は「言葉が強い」と言われます。良い意味でも悪い意味でも言われたことがあります。
対して、私(本名)の容姿は、一見すると人当たりが良く、人畜無害そうに見えるんだと思います。もうこれは遺伝だと思いますが、私の母は旅行先でも道を聞かれるような人です笑。その顔面の印象はしっかり私にも受け継がれています笑。
それに、私の場合は、ある種自分を守るために愛想がいい、ある意味偽善的というか、打算的な部分があるんだと思います。にこにこ笑って相手に好かれるように振る舞う方が、攻撃されたり嫌われたりして傷つくリスクが低いから。まあすべてが演技とは言いませんし生まれ持った性格というかキャラのようなものもあるのかもしれませんが、そこにあるのは、決して人当たりが良いとは言えない。むしろ、人を信じていないからこその防衛のための笑顔です。嫌ですね。
そのため、私の中身と見た目にはギャップがあるようで、どちらを先に知っても大体「印象と違う」とか「こんな子だと思わなかった」と言われます。
見た目やそこからの雰囲気を先に知った多くの人は、「もっとおとなしい子だと思ってた」とか、「こんなうるさいと思わなかった」とか言います。
逆に、私の言葉や内面を先に見ていた人には、「思っていたより普通の感じの子だった」というようなことを言われました。
そんな私ですが、過去に一度だけ、「見ていた言葉から受けていた印象と浮かべていたビジュアルが合致してた」と言われたことがあります。これまでは真反対のことを言われる方がほとんどだったので、この人は私の言葉からどんな印象を受けて、どんな姿を思い浮かべていたんだと面食らいました。
今回の記事のタイトルにもした
「あなたの痛みは、僕にはわかりません。でも、」
「わかりたいと思っています。」
というセリフをご存じでしょうか。
これは、朝ドラ「おかえりモネ」の中で、被災経験を持つ主人公のモネに対し菅波先生がかけた言葉です。このドラマを見ていた人には、最も印象深いシーンの一つなのではないでしょうか。
「おかえりモネ」は、私が生きてきた中で大きく影響を受けた作品の中の一つです。休学中にNHKオンデマンドで一気に見て、そこからも何度も何度も繰り返し見て、その中で自分で言葉にするのと同じくらい、作品を通して自分の傷と向き合いました。
私には被災経験はありませんし、作品の中で出てくる人物たちが抱える傷と私の抱える傷はだいぶ種類が違うものだとは思います。それでも、傷ついた人の心にそっと寄り添いながらも、綺麗事だけを言うんじゃない、無理に乗り越えさせたりしない、でもその傷の存在をなかったことにしない。
そこに寄り添う人の苦悩なども含めて繊細に丁寧に描かれた作品で、自分自身の傷とも向き合う上で、すごく良い作品でした。
人間関係において、「あなたのことが100%わかる」、なんてことは、絶対にありえないんだと思います。まして、相手の痛みや傷を、完全に理解することなんて不可能です。逆に、全てわかってくれというのも無理な話だと思います。
それに、近しい存在になればなるほど、相手に対する自分自身の感情も大きくなります。だから、人と、特に傷ついた人と向き合おうとすることには、少なからず痛みが伴います。わかりきらないことを、わかった気にならずに、それでも知り続けようとすること、どれだけ知ったことが増えても、まだわかりきれない部分があって、それをその度に受け入れることは、それだけでもすごく負担です。簡単なことじゃないし、何でもいつでもできることじゃない。そうやって受け入れようとすることは決して当たり前のことじゃなくて、それだけで、有り難いことだったんです。その上、近くにいる人の生々しい傷口をまざまざと見せつけられるのは、相手を大切に思っていればいるほど、見ている方も苦しくなります。
目の前であまりに近くに物を寄せすぎたら、逆にピントが合わなくなって何も見えなくなってしまうように、近づきすぎて、相手のことを何でもわかってると思い込んだり、逆に何でもわかってくれると思い込んだりするのは、おごりや勘違いでしかない。むしろ相手のことが何もわからなくなってしまうことに繋がってしまうのかなと思います。
だから、菅波先生の、「わからない」ということを先に示した上で、それでも、「わかりたいと思っています」という言葉は、これ以上ないほど誠実で、真っ直ぐな愛情表現だったんだと思います。
「おかえりモネ」自体ももちろんすごく好きなのですが、主題歌のBUMP OF CHICKENさんの「なないろ」の歌詞もすごく好きで、特に
「治らない古い傷は なかったかのように隠すお日さまが
昼間の星と同じだね 本当はキラキラキラキラ この街中に」
という歌詞がすごく好きです。
この曲の歌詞全体を通して、その傷が強さだとか、その分成長するとか、そんな風に無理に傷を肯定的に塗り替えようとしていないんです。
でもそれと同時に、その傷を否定したりもしない。
その傷は、普段は忘れているものかもしれないけど、決して消えることはない。いつも自分のそばに、良くも悪くもあるもので。
それは、そんな簡単に乗り越えられるものじゃないし、痛む時もあれば、角度を変えると輝くためのものになる時もある。
そんな風に言ってくれているようで。ずっとすごく好きで、印象的な歌詞でした。そう言いながらも、自分の傷や痛みを認めて受け入れることすら容易ではなかったんですけども。
もう一つ、歌詞の中で印象的な部分があります。これは人に指摘されて気づいたんですけど、
「つまづいて転んだときは教えるよ 起き方を知ってること」
無理に手を引いて、引っ張り起こすんじゃないんですよね。
弱っているからといって、何でもかんでも許すんじゃない。何でもしてあげるんじゃない。あくまで、起き上がるのは本人で。
でも、起き方を知ってることを教えられるくらいには、ただそばにいる。い続ける。
先に私は、近づきすぎて、相手のことを何でもわかってると思い込んだり、逆に何でもわかってくれると思い込んだりするのは、おごりや勘違いでしかなくて、むしろ相手のことが何もわからなくなってしまうことに繋がってしまうと言いました。
でも、そうやって、一度ちゃんと相手を知ろうとしたり、自分を知ってもらおうとしたりすることができなくなってしまったことは、無駄なことなのでしょうか。一度そうやって間違えてしまったら、もうまたその人と本当の意味でちゃんとわかろうとし合うことは出来ないのでしょうか。
最後に。
「サラダ記念日」の和歌でも有名な、七夕の前日の今日、7月6日ですが、私が好きでよく画像を使わせていただいているmomochyさんによると、今日の誕生花はツユクサ(露草)だそうです。
ツユクサの花言葉は、
「小夜曲」
「尊敬」
「変わらぬ思い」
「なつかしい関係」
「僅かの楽しみ」
「豊潤」
「恋の心変わり」
「敬われぬ愛」
「ひそかな恋」。
ツユクサ(露草)の花言葉【7月6日の誕生花】フリーアイコン配布* | momochyのおうち|イラストレーターももちーのWebサイト
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