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彼が急に「イッココマッココスココンノコーン」と言い出してから(さばえまつり)

鯖江から山形に蜻蛉返りしてきた翌朝、大量の荷物がリビングに広がっている。荷解きは本当に苦手、荷造りはそれ以上だ。

鯖江って福井にあります。レッサーパンダいます

とりあえず洗濯物を洗濯機に放り込もうかなと思い、森さんの白いボトムスを拾い上げる。森さんはいつも裾を折り曲げて履いているから、ここに汚れがたまりやすい。折り曲がった裾を伸ばすと、おそらく西山公園の芝生であろう草がたくさん出てきた。まつりのおわりをしみじみと感じた。

多分ここの芝(背景:トイプー様だったもの)

「イッココマッココスココンノコーン」という不思議な呪文みたいな、合言葉みたいなものを唱え続けて無事開催された「さばえまつり」。

エレクトロニコス・ファンタティコス!( 📷namiki )

結論、自然と涙が出るほど素敵だった。そして決してネガティヴな意味ではないけれど、自分との境界をしっかりと感じられた。(まだここは深く言及できないけれど) 

馬喰町バンド( 📷namiki )

元々土日二日開催の予定が、土曜日は雨予報で中止に。日曜日の単日開催となったさばえまつりだったけど、土曜日を中止にしたのはいろんな意味を込めて英断だったと思う。

産業廃材でつくられた動くトイプー様

日曜日、西山公園の芝生広場では、何かと何かの絶妙な関わり合いと、そこから生じるさまざまな波紋が広がっていた。

おどらなそんそん(📷namiki)

地元の人も、そうでないひとも、大人も、子供も、そうでない人も。みんながそれぞれ思いのままに過ごせる空間と時間。勝手に何か救われちゃった人もいたんじゃないだろうか。

まるで自分のお子のようにベイビーの面倒をみるえんちゃん(📷namiki)

本来であれば、何かをはじめてみることに誰かの許可を得たり、過度に意向に沿うこともしなくていいはずなんだけれど、知らぬ間にそっちにいっちゃうんだよね。無意識下の自分の危うさに問いを向けてくれたような。

ふぉんふぉんラジオのブースのおこたで寝てるじょりちゃん(📷namiki)

そんな感じのさばえまつりなのだが、改めて私個人の偏った目線で振り返ってみると、準備期間に森さんがたびたび「ぐわ〜〜〜〜!!!」と叫んでいた印象が強い。

年始?ぐらいから「やっぱまつりやで」(ここぞの決め台詞関西弁がち)と言い始め……

「やっぱまつりヤデ」(📷namiki)

ときに「さばえまつりって結局なんなん?」と逆質問されたり(知らんがな)、全国のまつりの動画を調べては、どこの何かもわからない祭囃子をリビングで大音量で流されることもあった。

彼と日々を共にする私からすると、急に鯖江から山形に連行されることが決まったあとには出産が待ち構えていて、そして次は鯖江でまつりだなんて、まじで本当にウルトラ忙しなすぎるぜと思っていた。(え、これ結構普通の感覚ですよね。そうだと言ってほしい。)

(📷さばえまつり事務局)

気がつくと「さばえまつり一緒につくりましょう」と、事務局の人たちをスカウトし、それ以外にも出店者やとりあえず周囲にいる人全員を巻き込んでは、そこからまた人伝いでどんどん仲間を増やしていた。最終、グループラインの人数は200人を超えていた。

さばえまつり準備の根城パトリアーレ

そこからしばらくして、森さんは月一鯖江で行われる寄り合いに参加すべく、片道8時間かけて鯖江に通い始めた。

二拠点生活とはよくいうものだが、それにしても山形↔︎鯖江の子連れ大移動は確実にアホの所業なのである。頭かしこ&アホの絶妙なバランスが森さんには備わっているのだ。(皮肉)

そんなこんなで、たしかに私たちは日常を過ごしてはいるのだけど、まつりの気配をどこかで感じている一年弱だった。

ひとつ残しておきたいこととして、森さんは、さばえまつりを理由に育児に手を抜くことはなかった。

満身創痍育児

ちいさい子供たちのお風呂、寝かしつけ前の絵本の時間など、ミーティングが入ってない限り率先してやってくれていたし、土曜の保育園の行事にも一緒に参加したりした。

日中は、現在彼の中で多くの割合を占めている山形での仕事をし、そして夕方からは私たちの生活に可能な限り日常を捧げる。さばえまつりにどっぷりと浸かっていけるのは夜遅くから、という日も少なくなかった。

(📷さばえまつり事務局)

いろんな面でギリギリな淵を早歩きしながらも、私にその焦りだとか不安を過剰に押し付けなかったこと、そこがほんとにすごいなと改めて思った点だった。

自分で自分を忙しなくするようにわざと仕向けているのに「何もしたくない、本だけ読んでたい」と言うから本当の意味で「忙しい人やな」と思っている。思考することをやめられない目まぐるしさ、いつか真面目に脳みそを休めてほしい。

(📷片岡杏子)

とはいえ、法被を着て、せかせか動いて、誰かとガハハと笑い、大声を出して歌って飲んで、きちんと疲れ切ってその辺で寝転がってる、そういう姿が森さんにはとてもとても似合ってるなと改めて感じた日だった。

(📷namiki)

生き方やあり方をあまり仰々しく考えていないように見える今の彼。山の頂上を目指すというよりかは、自分の周縁にたしかに揺蕩う金木犀の香りを、純粋に誰かと共に感じて愛でているだけなのかもしれない。

(📷namiki)

内輪のめちゃくちゃ偏った感想になったけど、来年も、いそいそとさばえまつりができあがることを願って。道草しながら草花をひょいひょい拾い上げて完成した花束みたいな、そんなあたたかくて奇跡的な一日をありがとうございました。

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