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松田直樹というサッカー小僧
この8月4日で直樹がこの世を去って10年たつという。もはや彼を知らない世代もマリノスサポーターの中には一定数存在するだろう。もうすっかり昔の男なだ。でもなぜいまだに語りつがれ、ゴール裏には神のように叫ぶ彼のフラッグがはためくのか。
1995年に彼は入団した。高卒ルーキーだった。当時のDFと言えば井原が壁として君臨し、顔面戦士小村、それに加えてGKには松永というそのまま日本代表でもプレーする最高のDF陣だった。そんな中に好き好んで飛び込む無茶な野郎だなというのが第一印象だ。たぶんすぐにいなくなるだろうと、薄っぺらい知識しかないゴール裏の輩だった僕はそう思っていた。
忘れられない光景がある。まだ書斎の机にはってある1995年優勝の時の集合(っていってもぐしゃぐしゃに集まっているだけ)の写真だ。クールにしている井原のそばでなぜだか忘れたが坊主にしている安永と直樹がこれ以上ないはじけた笑顔で顔をくしゃくしゃにして喜んでいる。控え目に言っても良い写真だ。当時ファンクラブで配布されたポストカードを30年近くも画鋲で無造作に貼ってある。日本リーグ末期から続く黄金期が終わりに近づいてはいたがマリノスは今でいう「常勝軍団」だった。その中ではちきれんばかりの笑顔の直樹は素直に可愛かった一方で「そんなに喜ばなくても」というのが彼を意識したはじめてのことだったのかもしれない。
告白すると松田直樹というDFに関して「すげー上手いな」と思った事はほとんどない。三ツ沢でそして横浜国際競技場のゴール裏でシステムとか戦術とか無縁であり「デフェンスのマリノス」のサポであった身ではボールを持って前に上がっちゃうし喧嘩早いし不安定だと見ていたし、いつのゲームだか忘れたがキャプテンマークとユニフォームをピッチに投げ捨てて退場した時はたまたまメインで見ていた事もあり激昂のあまり周りに止められた事もあるくらいだ。
大好きというわけでもないし、たしかに代表には選出されていたけどその頃のマリノスではさほど珍しい事ではなかったので自分にとってはスーパーな存在ではなかった。そう、あの時までは。
2010年12月4日。その日は松田直樹がマリノスを去った日。当時は理不尽だとか言われつつも何処か冷めていた事は事実だ。それまでも数え切れない選手との別れを経験していたからだろうか。ゲーム終盤に途中出場を果たした彼は数分でゲーム終了の笛を聞く。
そしてあの言葉をその場にいた者は聞く事になる。
「俺、ただサッカー大好きなんですよ!マジでもっとサッカーやりたいっす!」
涙が溢れた。こんなに泣けることがあるんだと自分でも驚いた。なぜこの松田直樹に?
そしてわかったことがある。彼は単に「サッカーがやりたかった」だけなんだと。だから中途半端なプレーやジャッジが許せなくて、慣れないポジションでもちょっと不器用にこなして、後輩や相手を怒鳴り散らす。そうか。サッカーって単純で純粋なものだったんだと彼は教えてくれた。それまで何かサッカーを見るということに対して純粋に楽しむことが出来なかった自分はこの日を境にはっきりと変わった。彼の言葉で。
そして彼は横浜から去った。そしてその10ヶ月後にはこの世からもいなくなった。韓国ドラマでもこんなできすぎたシナリオは書けないだろう。なんて事だ。
だから松田直樹という男は2011年8月4日という日から歳を重ねることなくいつまでも純粋な男として我々の中で生き続ける。ちょっと爺になった彼を見たかった気もするけどちょっと想像が難しい。
マリノスのサポーターの多くが「サッカーを純粋に楽しむこと」に優れている事は彼の存在が大きいのかもしれない。
悔やまれるのは彼が現役の時代にゴール裏で暴れる事ばかりを考えていてどれだけ素晴らしい技術だったのかを語ることができる立場ではない事だ。
今日も机の前で破顔の松田直樹をぼーっと眺めている。こんなに嬉しい顔をしたことが最近あったかなぁと考える。すると写真の向こうから「サッカー、楽しいじゃないッスか?それ以上何か必要?」と歳下のくせにタメ口で声が聞こえてきそうだ。
これからのサッカー人生を楽しくしてくれて本当にありがとう。松田直樹、感謝しています。
2021/08/3