うす トリ

軽薄な視点を徒然に。むかしむかしのものがたり。

うす トリ

軽薄な視点を徒然に。むかしむかしのものがたり。

最近の記事

The Voice

ふとしたきっかけから、地域FMで約1時間マリノスに関して話すことになった。 まだ、だいぶ先の事なんだけど、パーソナリティのマリサポの方から 「ゲーム前に聞いて気分を上げる曲があったら教えてください。話の途中でいれますから」と言われたのだけれど、そういう習慣はあまりないので、ちょっと考えてPay money To my Painの「Voice」という曲でお願いすることにした。 これにはちょっとした理由があるので、番組内で話す前に忘備録としてまとめておこうと思う。 ◻️「Voi

    • 南風COFFEEという稀有な存在。

       神奈川県三浦郡菊名町。三浦海岸沿いにそのカフェはある。東京からは車で約2時間。横浜からでも1時間と少し。京浜急行の終点の一つ手前、三浦海岸からも海沿いに歩いて15分ほどかかる。正直不便な場所にある。佇まいも流行りのものではない。店前の電球街灯がその古さを物語る。でも、この上なく心地よいのだ。なぜか。なぜだろう。  天気がいい日にはこのカフェに行くには車よりも電車と徒歩で向かうことをおすすめしたい。横須賀中央駅から先は一気に都会感は薄れる、そんな赤い電車に乗って三浦海岸駅か

      • 【マリノスサポ向け】横浜FCについて知っておかなければならないいくつかのこと。

        ■FCを知っておかなければならない理由  先日OJさんのキャスに参加した際に同じ席にいたmasa君に 「最近のFCを侮ってはいけないと思うんです。このままではいけないと危機意識を持っています」 といった内容を話していた。  その時は「FCなんて認めない」的な論調を突き通したが、彼のその言葉がその後もどこか引っかかっていた。  まずFCの事をその成立ちの経緯以外、敢えて知ろうともしていなかったので、知っている事が少なすぎるのではないかと思った。  ここでは敢えて成立ちについ

        • マリノスという生き方。-30周年に寄せて-

          ある日突然今年18になる娘がこう言った。 「私、もうマリサポじゃないもん。」 今からちょうど30年前。1993年。僕は20代後半だった。 バブルはすっかり吹き飛んではいたけれど、軽薄に生きていてもなんとかなる世の中だった。 僕は当時流行の発信地と言われた東京ベイエリアの商社に勤めていて、売り物だったイタリアの車を「リース」という名目で乗って毎日通勤する軽い毎日を送っていた。 そんな年にJリーグは生まれた。「ブーム」だった。当然、ブームに乗った。それがきっかけだ。たったそれだ

          松田直樹というサッカー小僧

          この8月4日で直樹がこの世を去って10年たつという。もはや彼を知らない世代もマリノスサポーターの中には一定数存在するだろう。もうすっかり昔の男なだ。でもなぜいまだに語りつがれ、ゴール裏には神のように叫ぶ彼のフラッグがはためくのか。 1995年に彼は入団した。高卒ルーキーだった。当時のDFと言えば井原が壁として君臨し、顔面戦士小村、それに加えてGKには松永というそのまま日本代表でもプレーする最高のDF陣だった。そんな中に好き好んで飛び込む無茶な野郎だなというのが第一印象だ。た

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          諦めない男、柳想鐵

          한국 여러분께. 이 문장은 일본어로 쓰여져 있습니다. 번역 시스템을 사용하여 읽으십시오. 実は彼は1999年から2000年の2年間と間を挟んで2003年から2004年2年間の「たった」4年間しか横浜Fマリノスには在籍していない。「たった」としているのは彼が私たちに与えた印象は4年間という時間以上に強く,そしてとても濃いものだからだ。 1999年といえばフリューゲルスとマリノスが合併をした最初のシーズンに当たる。マリノスには松田直樹という破天荒な天才がいたものの

          諦めない男、柳想鐵