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諦めない男、柳想鐵
한국 여러분께.
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実は彼は1999年から2000年の2年間と間を挟んで2003年から2004年2年間の「たった」4年間しか横浜Fマリノスには在籍していない。「たった」としているのは彼が私たちに与えた印象は4年間という時間以上に強く,そしてとても濃いものだからだ。
1999年といえばフリューゲルスとマリノスが合併をした最初のシーズンに当たる。マリノスには松田直樹という破天荒な天才がいたものの、どちらかというとスマートなイメージがあり、そこにフリューゲルスからのメンバーが加わりどことなくよそよそしい空気があるシーズン前だった。
前年1998年のフランスW杯に韓国代表として出場した柳想鐵という“闘将“はそんなどこか地に足がついていない状態のチームにやって来た。最初は守備的ミッドフェルダーとして。しかし監督のオズヴァルド・アルディレスは彼をGK以外はどこでもこなせるユーティリティプレイヤーとして使い倒した。
2000年にはFWではないのに17ゴールを記録している。しかしその後、大学の先輩である黄善洪の誘いもあり欧州移籍も視野に入れつつ柏レイソルに移籍することとなる。だが2002年日韓W杯後の念願の欧州移籍は実現に至らなかった。
2002W杯が終わり、2003年のシーズンが始まりを迎える際にFマリノスにビッグニュースが飛び込んだ。当時ASローマに在籍したブラジル代表主将カフーの移籍の報である。しかし、移籍直前にその契約は突然に一方的にキャンセルされ、やがてACミランへの移籍が発表された。
まさにシーズンが始まる前のドタキャンにフロントは慌てた。右サイドバックがいない。この年に就任した岡田武史監督はすぐに決断した。柳想鐵を獲得することを。
アポがないままに韓国へと飛んだクラブ幹部は宿泊していると聞いたホテルの下から連絡をし、まさに飛び込みでこれ以上ないストレートな言葉で交渉を開始した。「横浜に帰ってきてほしい」と。
ただ、その時彼は初めは固辞したという。その理由はシーズン直前ということもあり背番号が元々カフーが付ける予定であった彼が好きではない数字「2」しかなかったからだ(本人談)。当時「8」は遠藤彰弘が付けており結局希望は叶わなかったが、粘り強い交渉の末に再びトリコロールの一員となった。ちなみに2番は1年限りであり遠藤は8番を翌年に柳想鐵に譲っている。(2005年には再び遠藤が8番を付けている)
岡田監督の元、2003年、2004年とJ1連覇を成し遂げ黄金時代を迎えたトリコロールの中心に柳想鐵はいた。現代で言うところのポリバレントな変えの効かない選手だった。どちらかというと某一名のやんちゃなDFを除いて、もの静かな空気を醸し出すチームの中で当時の韓国選手らしいといえばそれまでだが、戦う気持ちを強く押し出したプレイヤーだった。背中でチームを鼓舞するタイプの「マリノスらしくない」プレイヤーだった。最後まで諦めなかった。
今でもオールドサポーターの間で語り継がれているゲームがある。2003年セカンドステージ11節、10月26日、場所は国立競技場。
スコアだけを見ればただの引き分けである。現場にいなければその空気はわからないゲームはいくつかあるが、これはその典型的なゲームだ。
繰り返すが、当時のマリノスは「スマート」だった。感情を前に出すことは少なかった。試合はセレッソがリードし一旦は追いついたものの再びリードされる展開。
しかし、その日のマリノスは違っていた。優勝の可能性を残していたこともあるが「誰も」諦めていなかったのだ。その中心には柳想鐵はいた。攻めに攻め続けヒートアップするスタンドとフィールドの熱は上がり続け、もはや気力だけで動いている選手の中で全く諦めることなく前線で動く選手がいた。“サイドバック”の柳想鐵である。
84分に右サイドから那須があげたクロスになぜかゴール前にいた(当時はサイドバックが上がることは稀だった)彼はまさに頭から飛び込みゴールを揺らした。同点のゴールである。
このゲーム後、ロッカールームではあまりのゲームの激しさに体調が悪化した選手が続出したと聞いている。
私はこの四半世紀以上に及んで見てきたマリノスのゴールの中でその場で立っていられないほど二度感動のあまりに号泣したことがある。そのうちの一回はこの柳想鐵のゴールである。
2020年、柳想鐵が来日した際にこのことを幸運なことに彼に直接聞くことができる機会があった。
驚いたのは彼自身がこのゴールがマリノス在籍中に一番印象に残っているゴールと言ったことだ。僕は後にも先にもこれほど「諦めない」ゴールを見たことがない。彼がこの時言っていたのは「優勝がかかったゲームだったし、絶対に負けたくなかった。そういう気持ちがゴールにつながった。それが皆さんにも伝わっていたのかと思うと鳥肌が立つほど感動している。」と。
実際にこのゲームの後、あの有名なジュビロとの最終戦を征し、3位からの逆転優勝を成し遂げている。つまり彼の「諦めない気持ち」がもたらした「勝ち点1」が優勝につながったのだ。
2004年のシーズンではチャンピオンシップには怪我で出場できなかったがスタンドからチームを鼓舞し続けた。もつれた「最後のチャンピオンシップ」はあの有名なドゥトラの時が止まるようなPKで連覇を果たしシーズンを終えた。そしてこのシーズンを最後に韓国へ帰っていった。胸の星は三つになったがその星の数は15年もの間、そのまま変わりはなかった。
その15年後の2019年11月23日松本アルウィンスタジアム。その直前に膵臓癌であることを告白した柳想鐵に向けてマリノス側ゴール裏にハングルで書かれた弾幕が出された。
それがこれだ。
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その弾幕にはこう書かれていた。
「できる、柳想鐵兄さん!」。
「ユ!サンチョル!」の大コールとともにこのことは韓国にもニュースとして伝わり、やがて闘病中の彼の目にも触れることになる。
そして翌年の開幕戦前に信じれないことが起こる。闘病中の彼が日本に、日産スタジアムにやって来るというのだ。そして、今となって思うと我々に「あること」を伝えるために彼はホームスタジアムに再びやってきた。とても大切な事を。
彼は苦しいそぶりなど微塵もなくこう言った。
「私は絶対に諦めない。必ず帰ってくる。」
諦めない気持ちを忘れるな。あの日の国立で見せてくれた姿と同じだった。その言葉はあの日のプレーと変わらず力強かった。
それから1年4ヶ月のあいだ、彼はひとり身体の中の敵と闘い続けた。その間も決して諦めていなかったに違いない。
15年以上前のマリノスと今のマリノスとは少し様子が違っている。アンジェが根付かせたアタッキングフットボールの名の下にファイティングポーズを取り続ける熱狂できるクラブにマリノスは変貌した。そこにかつてのスマートなチームのカラーは微塵も残っていない。
ちょっと大袈裟な考えかもしれないけど、あの日の国立がなかったら今のチームのDNA残る「闘う」クラブにはならなったんじゃないかと私は思っている。
柳想鐵はその中にいた。僕らに「諦めない」気持ちを伝えてくれた。マリノスというクラブに、我々もサポータとして生きていく限り彼の気持ちは繋げていかなければならないと思う。
きっと天国に行っても柳想鐵兄さんはまだ諦めていないかもしれない。だってあの日「必ず帰ってくる」って言っていたから。「諦めない男」は僕らの心にそしてチームに生き続けるのだ。
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追記 2024/04/12
我々が歩んだ事がないACLの道を登って行ったら、そこには蔚山現代が待ち受けていた。準決勝ではあるが東アジアNo.1への「決戦」である。
蔚山現代にはかつて柳想鐵が在籍していた。所属歴は以下の通りである。
1992-1998 蔚山現代
1999-2000 マリノス
2001-2002 レイソル
2002-2003 蔚山現代
2003-2004 マリノス
2005 蔚山現代
14シーズのうち2シーズンを除けば蔚山か横浜にいた事になる。(因みに当時のレイソルには現蔚山監督の洪明甫がいた)
2001年の中央日報の蔚山関連記事にこんな記述がある。
「チームの全勝と毎試合1ゴールが目標と語った柳想鐵。そしてその約束を守り”柳想鐵効果“という言葉も生み出した。」
「金正男監督は”柳想鐵はサッカーが言葉ではなく行動で示す選手だ。黙々と訓練や練習に熱中する姿が後輩の刺激剤となる“と話した。」
どうやら我々が見ていた柳想鐵と変わりが無いようである。
ACLの対決に関してセンチメンタルな気持ちは微塵もない。むしろ「俺たちの方が諦めが悪い」という事を示すタフなゲームになるだろう。
今度は我々があの日スタジアムで聞いた言葉を柳想鐵を知らない世代の者たちに「諦めない気持ち」を、その強い気持ちを伝えなければならない義務がある。
それぞれのスタジアムの空の上から柳想鐵は熱く見ているだろう。俺たちも全力でそれに応えようじゃないか。