「あいちトリエンナーレ」に行ったら、「表現の不自由展・その後」に入れた話。
タイトルの通り、なんとも運良く「表現の不自由展・その後」の作品群を、その限られた時間の中で見てきた、わたしです。
名古屋について、まず最初に抽選のリストバンドをもらい、「あいちトリエンナーレ」に出展されている作品を見ながら、時間が来たので公式サイトで番号を確認したら、すんなり当たっていました。すんすんです。
同意書を書きました。不自由展はあいちトリエンナーレの会期が終了するまで、写真も動画も投稿NGでした。入場の際は、金属探知機でのチェックもあります。そこまでの準備をしないと再開はできなかったということ。再開してから事件が起これば、それこそ問題だし。しかし、そこまでしてでも中止のままにせず、再開することには大きな意味があったということだと思います。
まず最初の20分は各々自由に作品を観賞。
展示されている全ての作品ではないですが、写真を掲載します。人それぞれ、強く何かを感じる人もいれば、それほど感じない人もいるんだろう。僕はどの作品もいいなって思う。作者の深いところはわからないけど、何かは伝わる。作らざるを得なかった力みたいなもの。作品の前で足が止まるもの。横尾忠則さんは前からファンです。
作品群ももちろんなんだけど、この年表や資料をどう見るかは、とても大きなことのような気がする。この物量の裏に、企画者の並々ならぬ思いを感じるわけです。自由は少しずつ、しかし確実に蝕まれているのだろう。いや、不自由の範囲が大きくなっているというのか。
次の20分は、同意書の2に書かれている大浦信行さんの映像作品「遠近を抱えて PartⅡ」を皆で座って観賞。まあよくわかんないんですけどね、真意は。見て感じたことは「戦争で死んだ人がいるから、今の日本があるんでしょ。僕らは、先に生まれた人たちの屍の先に今生きていて、そこには良いも悪いもないでしょ。」みたいな事。多分、作品はもっと深くてパーソナルなのではないかと思います。
他の回はそれで終わりだったようですが、僕が抽選で当たった回はその後、観た人同士でディスカッションをする時間が20分ありました。生まれも年齢も性別も違う4人とスタッフの方と5人で、なんだかんだと話しました。僕としてはこの最後の20分がとても有意義だったと思っていて。映画でも絵画でも音楽でもTVでもなんでも、見て感じて自分の中で終わるんじゃなくて、感じた事や考えた事を誰かに伝える、誰かから聞くって、とても大事だなと思っています。しかもTwitterとかで文章化するより、相手の目を見て口から言葉にするっていうのがいい。体験がより深くなるというか。話していると自分の考えが纏まっていくし、話を聞くと他の人の感じたことが自分の中に流れ込んできて、頭の中がまた一つ先に進む感じ。同じ時間を過ごした人と話ができて本当によかった。
表現の自由とは一体何なんだろうと考えます。
全く不自由ではないという人もいる。確かに不自由ではない。作品を作ったこと自体が罪となり警察に捕まる。という事にはなっていないから。個人で作って楽しむ分には、日本は自由だ。
しかし、公が捕らえなくても、一部の私(わたくし)には社会的に抹殺しようという意思があるようには感じる、志があってかなくてかは別として。この「空気」に口や手や足を封じられてしまうのは、もしかしたら公が禁止するよりもタチが悪いことなのかもしれないなとも思う。もしそうなれば、それを救うのは公しかいないのだろう。でも結局、「公」って「私」の鏡だからね。鶏が先か、卵が先か。
海外では、公的機関に芸術の支援をされそうになったアーティスト達が、「作りたいものを作れなくなるからやめろ!」と言って拒否したらしい。
その話はもっともだと思う。しかし日本とその国ではまた事情が違うだろうから、それがそっくりそのまま通用するとも思えない。
来年は「ひろしまトリエンナーレ」もある。(もうすでに燃えかけてるみたいだけど。)議論はこれからもずっと続くだろう。一部の芸術家と、そうでない一部の人たちの溝がこれ以上広がらないように、どうすればお互いが歩み寄れるのか。そのことばかりを考える日々だ。自分の意見を伝えるだけでなく、目の前の相手が今言おうとしていることを、今聞こうとする力がもっともっと必要なんではないか。なんてことを簡単に思ってしまうけど、そんな単純なことでもないだろう。
たぶんこれから、目の前にあるものを見て見ぬ振りしたり、臭いものに蓋はどんどん出来なくなっていく。暗黙の了解に疑問を投げかけてくる人はどんどん出てくる。その時に、考えてなかった。とか、それはそういうもんだから。じゃすまされないんじゃないかな。
僕は考える日々を続ける。
何はともあれ、事件、中止、再開ありきでしか「表現の不自由展・その後」を見ることができないのは、とても悲しいことだった。もっとフラットな気持ちで出会うことができたらよかったのになと今になって、思う。
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