田中ヤコブの「きかい」を聴く
田中ヤコブ氏のYouTubeチャンネルに新しくアップされた「きかい」と題された曲を聴く。聴いた。めっちゃ聴いた。めっちゃくちゃ聴いてるぞ。
概要欄には“2ndアルバムの選考から漏れた曲だyo(2018年作)”とある。マジかよである。超いい曲やんけ。
自分幸せかなあと藪から棒に思ったときに、まあ不幸のズンドコではないし総合すると幸福だろう、的な感覚で、総合するとそこそこ楽しい日々。だったとして、その合間隙間に寂しさとか虚しさがあり、停滞とか燻りがあり、それらの境界は極めてシームレスだったり何かしらのスイッチがあったりするわけだけど、そういうのは後になってからぼやっと記憶をひっぱりだしてる時に急に思いついたりするもんだ。
考え事と言えるほど思考してないけど、ぶちまけたパズルのピースをとりあえず全部オモテにしていく作業してるときみたいな、そんな動きしてるときあるじゃん、脳。脈絡なく拡げていく記憶の断片。形が違うだけでだいたい同じ色のいやな感じのピース多すぎ。めっちゃ楽しかった記憶の後で、その時一緒にいた人たちもう近くに居ないな、とか思う。ああすれば良かったとかこう言えば良かったとか、楽しかった時代は愚かな自分と直結してクソクソ声に出てしまったりする。で、なんとなく最後は、過ぎたことだし忘れなよ今があるじゃん、とかなんとか適当に着地させる。
田中ヤコブ氏の歌詞というのは、脈絡ないようでいて全部地続きなその思いを、飛び石みたいに点々と、部分部分を組み上げたパズルみたいだ。映像を見ていると特にそう思う。映っているものは実に些細でありふれた風景だが、フォーカスのあて方、切り取り方になんかこう、絶妙にきれいだなあと思わせるものがある。ほんとは足を止めて見てたいんだよなこういうの自分の目でさ、みたいな感じがある。そして聴こえてくるすべての音と声がそれを超絶エモーショナルなところへ後押しする。
「きかい」のアウトロのギターソロの入り方がめちゃくちゃ良くて、そこでヤコブ氏(の影 )がこちらに手を挙げる。結構つらい詞なので、いるぜ、と言ってくれているようで救われる。
アルバムに入らなかった曲いくつもあるんだろうな。公開してくれてありがたいと思うと同時に、コメントしてる人もいたけどいつか聴いてみたいものですね。