田中ヤコブ氏のYouTubeチャンネルに新しくアップされた「きかい」と題された曲を聴く。聴いた。めっちゃ聴いた。めっちゃくちゃ聴いてるぞ。 概要欄には“2ndアルバムの選考から漏れた曲だyo(2018年作)”とある。マジかよである。超いい曲やんけ。 自分幸せかなあと藪から棒に思ったときに、まあ不幸のズンドコではないし総合すると幸福だろう、的な感覚で、総合するとそこそこ楽しい日々。だったとして、その合間隙間に寂しさとか虚しさがあり、停滞とか燻りがあり、それらの境界は極めてシー
2020年も70年代を中心にプログレ・ハードロック・サイケデリックロックなあたりをSpotifyと首っ引きで探り探り聴いているだけの毎日だったので、好きで何度も聴いたやつをまとめた。何故なら楽しいから。98%自分のためだけど読む人がいるかもしれないからちゃんとSpotifyのリンクも張るぞ。 これはTwitter用に書いたやつ。 順位とかないのでジャンジャンバリバリ行こうじゃん。 昨年めっちゃくちゃ聴いたといえば田中ヤコブ。webの対談記事で知ったのであった。人間椅子の話
気付けば12月も半ばに差し掛かっている。気付けばというか気付いてはいたが、そして今年のうちに済ませなくてはならないこともいくつかあるのだが、往々にして後回しだし何もする気が起きない。漫画は読めるし音楽も聴ける。家事も最低限はやっている。仕事にもいっている。それに加えて更に労力を要するようなことをわざわざやってられるかよ。やらないといけないんだけど。まあ掃除とか掃除とか掃除なんだけど。 ともすれば忘れがちであるが、酒を飲み歩いたり友人と出掛けたりするようなことを日々の楽しみと
北海道に住んでいる。 毎日新型コロナウィルスの新規感染者数を目にしては陰鬱な気持ちになる。ド内陸部のド田舎に住んでいるが、もはや札幌在住とかそうでないとかの問題でもない。数字だけ見て騒ぐのもな、とか思ったりもするが、こういうわかりやすい数字くらいしかわからないのに数字見て鼻で笑うような人間にはなりたくないものである。 あらゆる病気と感染症が普通に怖い。自分が罹るのも嫌だし家族が罹るのはもっと嫌だ。小さい子供もいるし、同居はしてないけど割と近所に両親もいる。母は今年肺がんの手
田中ヤコブをずっと聴いている。2nd Album「おさきにどうぞ」を初めて聴いてから2週間。1stを聴き、所属するバンド・家主を聴き、YouTubeでしか聴けないものもずっと聴いている。 特にこれとか、完全に歌詞を聞き取れてはいないのだけどとんでもなく切なくなり胸が潰れそう。共感か。共感なのか。それもあるがなんかそんな感じでもない気がする。ちょっと違う。どういう感じの音楽か説明したいけれどちょっと表現するのが私には難しい。聴いてほしい。 なんとなくだが、田中ヤコブ氏の音楽と
とても好きなものに出会ってそれに対して何かを記したい時、すらすら出てくる時と何もわからない時がある。説明がしたい。自分がそのものに対して何がどう良くてどんな気持ちになり、そこにどういう理由があるか、自分で知りたい。“気付き”は気持ちがいいからだ。どうも陳腐だな、と思っても、陳腐でオッケーな時といやほんとにこれで正しく表現できてる?と気になる時とあり、今すごく後者で、脳にかかるこの靄が晴れるのを待ってるだけでいいのか、どこかにヒントやスイッチがあるのではないか。などと焦って動い
自分が年とって一人になった時に思い出を反芻して噛みしめるために子供と過ごしてるのかもしれない、と思ってしまった。正しさに関してはわからない。それが全てでもないとも思う。でもそういう部分とても多いと思う。