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禍話リライト「青い胸像」【怪談手帖】

Bさんが学生時代に見たものの話。

夏の盛り、叔父の経営する養鶏場へ手伝いに行くこととなり、(この暑い中で…養鶏場……)とボヤキつつ、父の運転する軽トラで向かっていた。
容赦のない陽光を降らせる空は腹立たしいほど青く澄み、入道雲がその中央を占領して、下半分には深い森と山々の緑がずっと続いている。
窓を開け、燦々たる日差しに目を細めながら、そんな夏の画を眺めていた彼は、やがてふと気が付いた。
景色の一角に奇妙な物がある。
緑の帯の上、キャンバスの端に近い場所。
それは胸から上の男の姿に見えた。
透き通った青空が、より深い青で───ちょうど美術室にある石膏像のような形、Bさん曰く”空に落ちた影のように”───切り抜かれていた。
俯いているのと、皺がある年齢だということが分かる程度には顔らしき濃淡が付いており、全体の大きさとしては指の長さほどだが、遠くの森の向こうから肩を出していることを考えると、途方もない巨人のようにも見えた。
流れる雲がそこへ交わると、青い輪郭の中へ分厚い色硝子を通したように屈折して映り込んでいく。
そんな物が空の端に見えている。
Bさんはまず、自分の目と頭を疑った。
照りつける日差しでぼうっとしているのだと考えるようにした。
なにより困惑したのは、空に浮かぶその奇妙な像に対して、彼が一種の懐かしさ、あるいは既視感を抱いたということだった。

(自分はあの男を知ってる気がする……)

頭を振り額を叩き、見えている物を振り払おうと悪戦苦闘しているBさんに対し、その時運転席の父が振り返るでもなく、ハンドルを握ったまま

「あぁ、×××××さんか」

と、まるで人名に聞こえない文字列を口にした。

「え?」

思わず声を上げた彼に父はこともなげに続けた。

「この辺りに来るとたまに見えるんよ、昔から。幻覚やない、蜃気楼みたいなモンや」

呆気にとられ

「いや、なんやそれ、親父怖くないんか?」

とBさんが問うと

「昔からのモンやからなあ」

と笑って返された。

「それに…」

と父は続ける。

「お前も知らん顔やないやろ」

まるで胸の内を見透かされるような言葉だった。
「訳が分からん」とか「いや、誰よ?」と言おうとしたが、上手く言葉が出てこない。
そんなBさんをよそに父は

「怖いっちゅうたら、俺はUFOとかの方が怖いけどなあ」

などと、昨日見ていたテレビ番組のことを呑気に話していたが、ふと

「あぁ、でも」

と呟いた。

「あんまり見続けるのもよくないな、ずっと見とると向こうもだんだんこっちを見てくるやろうから」

今でこそスマホで写真を撮るなどの対応ができるかもしれないが、当時は携帯電話の普及以前。
わざわざインスタントカメラを持参しているはずもなく、件の像の証拠はなにも残っていないという。
結局それ以上問い質す機会を失ってしまった。

Bさんがその像に抱いた感覚に思い至ったのは、用事が済んで帰宅した後、自分の部屋で床に着いた時であった。
夢うつつに思い出したのは、父の実家の記憶だった。
古い家の裏手、入ってはいけないと言われていた蔵。
幼少期にそこへ度胸試しで忍び込んだBさんは、埃臭い暗がりの中、いくつかの写真が額に入れられて飾られているのを見た。
その一つに、男性の胸から上を写した物があったのだという。
汚れなのか元からなのか定かではないが、ほとんど真っ黒に潰れていて、辛うじて着物姿だということが分かるだけだった。
脳裏に甦ったその写真とあの時見た青空の輪郭は、ぴったりと一致していた。

「「お前も知らん顔やないやろ」」

父の言葉がぞわぞわと耳に甦る。
写真ではまったく分からなかった面持ちが、空の像では僅かではあるが伺えてしまっているという事実にも気が付いてしまった。

(親父は俺が蔵に入ったこと、知らんはずなんやけどな…)

結局そのあとはなにかが起こるでもなく、それが誰なのかを知る前にBさんの父も亡くなってしまった。
あれから何度も同じ道を行き来したが、二度と空に像を見ることはなかったという。

「もしかしたら、ほんとになんとなくやけど…俺が結婚せんで、子どももできんかったせいかもしれんねえ…だから……」

あくまでそんな気がする、というだけで根拠があるわけではない。
ただ今となっては、記憶の中で森の緑の向こう、こんこんと涌き出る夏の雲を青く溶かして茫洋と浮かぶ巨大な胸像の姿、蒼穹のガラス板をくり抜いたようなその遠い奇妙な輪郭が、なぜかBさんにとってはハンドルを握る父の背中とともに、ひどく懐かしい夏の象徴になっているのだという。



この記事は、毎週土曜日夜11時放送の猟奇ユニットFEAR飯による禍々しい話を語るツイキャス「禍話」から書き起こし・編集したものです。

禍話フロムビヨンド 第六夜(2024/8/10)
「青い胸像」は42:30ごろからになります。

『怪談手帖』について
禍話語り手であるかあなっき氏の学生時代の後輩の余寒さんが、古今東西の妖怪(のようなもの)に関する体験談を蒐集し書き綴っている、その結晶が『怪談手帖』になります。
過去作品は、BOOTHにて販売されている『余寒の怪談帖』『余寒の怪談帖 二』又は各リライトをご参照ください。

電子版はいつでも購入可能です。
禍話放送分の他にも、未放送のものや書き下ろしも収録されています。
ご興味のある方はぜひ。

※「青い胸像」については、まだ収録されていません。

参考サイト
禍話 簡易まとめWiki 様

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