禍話リライト「箒神」【怪談手帖】
「長っ尻って言うんでしたっけ?ほら、なかなか帰らないお客さんのこと」
Aさんは、彼女曰く”空想のタバコ”を挟み込んだ痩せた指先で、トントンと絶え間なく机を叩きながら言った。
「そういう迷惑なお客をさ、箒で追い払う御呪いってあるでしょ?」
「”逆さ箒”、ですね」
箒を逆さまに襖や壁に立てかけて、手拭いを掛けるなどして長居する客の退散を願う。
古い俗信のなかでは、豆知識の類として知っている人も少なくないだろう。
彼女は僕の言葉に頷きながら、トトン、と指先のリズムを狂わせて呟いた。
「たぶんそういう話…それだけの話なんです」
彼女の幼少期、一家で住んでいた小さな家の奥にほとんど使われない納戸に通じる廊下があった。
ある時、家の中で一人で遊んでいたAさんが廊下を曲がると、納戸の前に逆さまにした大きな箒が立ててあったのだという。
「前の日に行った時は無かったから、その日に置かれたんだとは思うけど」
薄暗い廊下の奥、箒の先端部分の穂には、その半分ほどを隠すように布切れが被さっていた。
片付け忘れかな、と思いつつ、彼女の家では普段箒が使われるのを見たことがなかった。
「珍しいとは思ったんだけど、その時は…何か他に思い出したのか、誰かに呼ばれたんだったかな、とにかくすぐに引き返しちゃって」
その後、小学校の図書室で本を読んでいた時、Aさんは偶然”逆さ箒”を知った。
「御呪いとかジンクスとか…そういうのを集めた本だったかなぁ」
嫌な客を帰らせるために箒を逆さまに立てるのだと知った彼女だったが、すぐには家のそれと結びつかなかった。
「だって、そもそも家にはほとんどお客なんて来なかったし…」
ただ、頭のどこかには引っ掛かっていたようで、それから何日かしてやはり家で一人遊びをしている際、回り込んだ廊下の奥にまだあの箒が立て掛けられているのを見て、ふと図書室の本を思い出した。
その時も家にお客は来ていなかったという。
(あぁ、やっぱりただの出しっ放しだったんだ)
そう思った彼女は片付けてあげようと天井の灯りを点けて踏み出した。
切れかけた薄い蛍光灯が納戸の入口をぼんやりと照らし出す。
そして初めて気が付いた。
立て掛けてある、その箒の異様さに。
いや、それは……
「髪の毛だったんです、どう見ても」
人間の髪としか思えない、真っ黒くて艶やかな穂。
それがばらけたり、曲がったりすることなくびっしりと揃って天を向いている。
(静電気で逆立った髪の毛みたいだなぁ)
そして、毛の大本の胴にあたる部分も、黄色く乾いた人の皮膚から直に毛が生えているようだと思った。
「そう思って見ちゃうと、被せられてる布もなんだか変で…」
穂の半分ほどを覆うように乱暴に被せられた、大きな花の縫い取りのある赤い布。
それは手拭いやハンカチの類ではなく、切り裂かれた着物の一部のようであった。
そして、納戸の壁に寄り掛かったそれは、彼女の身長よりもずっと大きかった。
(これ、生きてるんだ…)
理屈など抜きにAさんはそう思った。
こんなものがここ数日の間、家の奥にずっと存在していたのだ。
一気に本能的な恐怖が全身を襲い、——彼女曰く金縛りにかかる前兆のような感じだったというが―—声も出さず踵を返してその場から逃げ出した。
「怖くて、怖くて、私本当に怖くて……それでも」
正体不明の物に対する、枕が皺だらけになるような恐怖に囚われても、彼女はそのことを両親には言えなかった。
ただ一人きりで、内容も思い出せない悪夢を見続けていた。
それから程なくして彼女の父親が失踪した。
外出したきり連絡が取れなくなったのである。
「結局、家から滅茶苦茶離れた知らない街の空き家だかで…変死しているのが見つかったんですけど」
いつの間にか”空想のタバコ”を取り落としたらしく、動きの止まった彼女の指先を僕は見つめていた。
「それからすぐ、私と母もその家出たんですよね…アレから逃げるみたいに」
両親が長い離婚協議中であったことを、Aさんは父親が死んでから始めて知ったそうだ。
この記事は、毎週土曜日夜11時放送の猟奇ユニットFEAR飯による禍々しい話を語るツイキャス「禍話」から書き起こし・編集したものです。
禍話インフィニティ 第二十六夜(2024/1/13)
「箒神」39:00はごろからになります。
『怪談手帖』について
禍話語り手であるかあなっき氏の学生時代の後輩の余寒さんが、古今東西の妖怪(のようなもの)に関する体験談を蒐集し書き綴っている、その結晶が『怪談手帖』になります。
過去作品は、BOOTHにて販売されている『余寒の怪談帖』『余寒の怪談帖 二』を参照していただけると幸いです。
フィジカル版も刊行準備が整いそうだということで楽しみです。
禍々しい怪談、現代の妖怪譚がこれでもかと収録されていますので、ご興味のある方はぜひ。
※「箒神」については、まだ書籍には収録されていません。
参考サイト
禍話 簡易まとめWiki 様
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