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禍話リライト「古いテレビ」【怪談手帖〈未満〉】

「私はそのころ、今もそうかも知れませんが、とにかく物知らずで愚鈍な子でした……」

現在イラスト関係の仕事をされているAさんの幼少期の記憶は、彼女が云うには「灰色の記憶」であるという。
物心もつかぬうちに病気で母親を亡くし、父子家庭で過ごしたAさんだったが、小学校に入ってほどなく父親も事故でこの世を去った。
その後は親戚の家に引き取られ、そこからようやく彼女の日々は人並みの色づきかたをするようになった。

「それまではそうじゃなかったんです。母のことはほとんど憶えていなくて。要するに、父との数年間の生活が……」

Aさんの父親は理系の大学を出て、技術職に就いていたらしくあまり家にはいなかった。
保育園の迎えは事務的にこなしていたが、基本的に娘のことは放置で、会話らしい会話の記憶もない。
何かを話すときは必要な事だけを一方的に喋るだけの人だった。

「顔はあんまり憶えていないんです。写真はありますけど…あんまり見返さないし。見ても他人みたいっていうか。私むかしから視力が低くて、頭の中の父の顔もボヤボヤしてるっていうか……」

幼少のころからあまり目の良くなかった彼女のことを、父親は眼科に連れて行くこともせず眼鏡を作ってくれることもなかったそうだ。
彼女はそのことを不思議とも理不尽とも考えていなかった。
そういうものなのだと察していた。

「だから…ずっとそのままでした」

そんな父親の死が、事故といいつつ実際のところはほとんど自死に近いものだったということを、大分あとになってから知らされた。

「叔母さんたちはずいぶん気を遣ってくれましたけど、特に何も感じませんでした。父が嫌いだったとか、そういう訳ではないんですけど。私の感情はそんな段階にも達していなかったと思います。小さな私はほんとに愚鈍で…何も分かっていなかったんだと思います」

「愚鈍」という単語を、彼女は話の中で何度も繰り返した。
聞けばそれは、いつも父親に言われていた言葉だったという。
視力の件といい、それは明らかに……。
初対面にも関わらず会話の中で感じてしまう、Aさんの自己肯定感の極端な低さの原因は余りに明白に思えた。
怪奇体験とは別のところへ僕の懸念が向いているのを察したのか、Aさんは

「あぁ、大丈夫です。そういうのいいんで」

と断ってから、幼い彼女の無彩色の日々、そのちょうど終端に位置するというひどく異様な出来事を語ってくれた。

Aさんは家では基本的に一人で過ごしていた。
乳児の頃に与えられたオモチャや文具などを組み合あわせて、ママゴト染みた遊びに興じる日々。

「絵、ですか。そのころはぜんぜん描いていなかったですね。あとは……」

卒園から小学校に上がって父親が亡くなり家を出ていくまでの一年にも満たない期間だけ、テレビをよく見ていたという。

「テレビぐらい見るだろ、って思いますよね。でも、いわゆる普通のテレビがうちには無かったんですよ、もともと」

父親の方針だったのか経済的な理由だったのか、長い間Aさんの家にはテレビが無かった。
ところが彼女が卒園する年のある日、何の前触れもなく持ち込まれたのだという。
それも、保育園で見ていた薄型のテレビとは全く違う、小ぶりで分厚く、嵌ったガラスも曲面を描いている黒い箱型。それはずっと昔のテレビだった。
彼女の父親はそれを家の奥、和室の一角に据えて、日中は点けっぱなしにしていた。
『見てもいいけどテレビには絶対に触るな』と彼女は言われていた。
一度、うっかりほんの指先で触ってしまった時には酷い折檻を受けたそうだ。
それでもママゴト以外他にやることもなかったので、気付けばそのテレビを見ていた記憶があるという。
といって、彼女の見たい番組などを見せてもらえたわけではなかった。

「そのテレビの画面が映していたのは、ずぅーっと同じ映像でした」

それはどこかの家の中の風景だった。
真ん中に食卓らしいテーブルを真横から捉えた構図で固定され、棚があって、壁には時計や絵などが掛かっているのが見える。
そして、その食卓に一家3人の姿がある。
母親らしい女の人、父親らしい男の人、女の子。
それらが立ったり座ったりあれこれと動き回っている。
場面は転換というものを全くせず、ずっとその構図のままだった。
ただ、例えばループ再生などではないという証拠に人物の動きは見る度に変わっていたし、3人のうちの誰か、あるいは全員が画面内に居ないこともあった。
いわば、舞台劇かなにかに近い絵面ともいえるだろうか。
Aさんはせめて話の筋だけでも知りたかったけれど、音の設定が極端に低いのか、台詞などはボソボソとしか聞こえない。
目の悪さもあって、小物や表情の細部も曖昧にしか分からない。
BGMなども入っていなかった。

「全部白黒で、色がありませんでした」

20代というAさんの年齢を考えれば、当時でも白黒テレビは骨董品に近い代物であっただろうから、彼女の父親はわざわざそんな物を持ち込んで点けっぱなしにしていたことになる。
骨董品のようなテレビが映し出す灰色の室内、灰色の人々、内容の知れぬ舞台劇。
しかしAさんは、子供ながらに一つの疑念を抱いていた。
これは何かの番組ではなくて、どこかの家の中を本当に撮影した盗撮映像のようなものではないだろうか。
それも、記録されたものを流すのではなく、リアルタイムでどこかに仕掛けたカメラからの映像をここに映しているのではないか。

「保育園か、上がりたての小学校でスパイ映画かなにかの話を聞いたからそう思ったのかも。そんなバカみたいな理由だったと思います」

もしそうであれば、父親は犯罪に手を染めていることになる。
そのことはひどく恐ろしい気がした。
けれども、それ以上のことには考えが及ばなかったし、何をしようとも思えなかった。
遠いどこかの誰かの秘密を盗み見るような背徳を感じながら、少し離れたところから古いテレビの画面をずっと眺めていた。
なんとなく、家族構成から自分たちの家庭と重ねて見ていたような気もする。

「私は愚鈍でしたから……」

Aさんはそんなふうに言った。
日の終わりに彼女の父親がやってきて、画面をしばらく眺めたあとテレビの端の古めかしい機械のスイッチを捻る。
すると、狭い世界の窓はあっさりと黒く閉ざされる。
夢から醒めたように、Aさんもゆっくりとテレビの前から離れる。
およそ一年弱の間、奇妙な儀式めいた視聴体験が続いた。
その不可思議な観賞は、彼女の父親が死ぬ少し前に唐突な終わりを迎えたという。

「前触れ、みたいなものはあったんです」

ある時からテレビの中の一家に不和が生じ始めた。
人物が食卓から離れていることが多くなり、目まぐるしく動き回っては何か言葉を投げ合っているようである。
挙句の果てには掴み合うような仕草を見せることもあった。

「テレビ番組なら、そういうシナリオってだけでしょうけど……」

同時に、父親がテレビの前に屈みこむのを見かけるようになり、イライラしていることが増えたという。
そしてある日。
小学校から帰宅したAさんが和室のテレビを見に行くと、灰色の画面の中で一家全員が倒れて動かなくなっていた。
俯せるように壁にもたれている父親。食卓に突っ伏している母親。娘は食卓の上に載せられて仰向けに横たわっていた。

(あぁ、死んでいるんだ……)

Aさんは一目見てそう思った。
直感からではなかった。死んでいるという明確な証拠があったのだ。
壁に崩れた父親の後頭部から、食卓に突っ伏した母親の首の下から、食卓に横たわる子どもの口から、大量の真っ赤な血が流れて辺りを汚していた。

「そうなんですよ。真っ赤だったんです」

古いテレビの白黒の画面の中で、白黒の家族がひどく鮮やかな赤い血を滾々と流している。
はっきりと目に見える。
あまりに恐ろしくて、Aさんは大声で父親を呼んだ。
娘の叫びから少し間をおいて無言でやってきた父親は、無精髭を散らした顔で小さなテレビの画面を覗き込むと、ひゅっと音を立てた。
おそらく息を呑んだのだろう、しばらくの間そのまま固まっていたが、絞り出すような声で

「うぅ、くそっ!!」

そう呟いてぐしゃぐしゃと髪を搔きまわした。
血の出るような勢いだった。
それから、ゆるゆると下げた両腕で顔を覆てしまうと獣のような呻き声を漏らした。
そしてAさんを無視して出て行ってしまった。

「生きてる父を見たのはそれが最後でした。次に会った時はもう……」

ともあれ当時のAさんにはそんなことが分かるはずもない。
ただ、父親がテレビを消してくれるものだと思っていたので、怖くて仕方がなかった。
自分も部屋から逃げればよかった。
でも、あんな恐ろしい映像が映っているテレビが点けっぱなしになっていることも耐えられなかった。
彼女は勇気を振り絞り、父親の厳命に背いて恐る恐る摘みに手を伸ばした。
そして、それを自分で捻ったのだという。

「でもね、ちゃんと消えなかったんですよ。引っ掛かっちゃって」

Aさんの言葉に僕は思わず怪訝な顔を浮かべてしまった。
引っ掛かった、とはどういうことだろうか。

「幕がね、途中で引っ掛かっちゃったんです。黒い布だったと思うんですけど」

幕?黒い布?
どういうことかと彼女に問いかけた。

彼女は『私、愚鈍だったから』と何度目かの言葉を繰り返してこう言った。

「私ね、大昔の白黒テレビってずっとそういうものだと思ってたんです。スイッチ押してプツンと消えるのが今のテレビ。昔のテレビは摘みを捻ると上から黒い布がくるくる降りてきて画面を覆うものなんだって。ほら、劇場とかで幕が下りるじゃないですか。あんな感じで。うちのテレビがずっとそうだったから。そんなテレビが今も昔も無いって知ったのは、親戚の家に引き取られてからでした。話したら笑われちゃって……」

彼女は自嘲気味に笑った。
えっと、つまりそれって…追いつかない言葉を捻り出そうとする僕には構わず話し続ける。

「それで、途中で引っ掛かった幕をね、なんとか降ろそうと思って初めてテレビを掴んで一所懸命揺さぶったんです。そしたら…滅茶苦茶になっちゃったんです。小さな机も、時計もお皿も、そこで死んでいる人たちも…箱の中身が全部…怖くなって泣きながら逃げたからその後のことは憶えてません。気付いたら父は死んでて、私の灰色の毎日は、そこで終わったんです」

結末までを一気に回想してから、彼女は最後にこう付け加えた。

「次の日くらいから、あの箱がある辺りでひどい臭いがし始めて、二度とその和室には入っていません……」






この記事は、毎週土曜日夜11時放送の猟奇ユニットFEAR飯による禍々しい話を語るツイキャス「禍話」から書き起こし・編集したものです。

禍話インフィニティ 第十二夜 猟奇人vs怪談手帖未満vs忌魅恐怖NEO未満(2023/9/23)
「古いテレビ」は16:15ごろからになります。

『怪談手帖』について
禍話語り手であるかあなっき氏の学生時代の後輩の余寒さんが、古今東西の妖怪(のようなもの)に関する体験談を蒐集し書き綴っている、その結晶が『怪談手帖』になります。
過去作品は、BOOTHにて販売されている『余寒の怪談帖』(DL版はいつでも購入可能)を参照していただけると幸いです。
記念すべき100話目「天狗××」を区切りとして、第二弾も準備中とのことですので大変楽しみです。
珠玉の怪談がこれでもかと収録されていますので、ご興味のある方はぜひ。
※「古いテレビ」については、まだ書籍には収録されていません。

参考サイト
禍話 簡易まとめWiki 様

ヘッダー画像
ぱくたそ 様


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