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禍話リライト「ボウコ」【怪談手帖】

20代のAさんが、社会人になってから何年かぶりで実家に帰省した時の話。

「仕事でいろいろあって…ちょっとだけ逃げたくなったんです……」

両親との会話もほどほどに、シャワーだけを済ませ自分の部屋のベッドへと倒れこんだ。
ずっと拭えない全身の倦怠感と、頭に纏わりつくモヤモヤとした感覚。

「体力には自信あったんですけどね、ずっと運動部だったし」

社会で必要なのは、体力だけではなかった。
同僚や上司とのちょっとした衝突や行き違いの会話が、いつまでも頭の中をぐるぐると巡る。

「よくあることだと割り切るのが、下手だったのかな」

次の日は早く目が覚めた。
本当のところは、ほとんど眠れなかった。
倦怠感とモヤモヤが残ったまま、彼女は気晴らしの散歩へと出た。
霧の深い朝だった。
白く霞む近所の風景を、ぶらぶらと当てもなく歩いていたが、ぼんやりしていたせいだろうか。
ある家の前へ差し掛かったとき、不意に出てきたものとぶつかりそうになったのだという。

「あ、すいません」

彼女が謝ったその相手というのが、人ではなかった。

「それが…古い洗濯物の山、みたいな……」

山型に積み重なった、大人の背丈よりも高い色とりどりの古着。
そんなものが、門柱の内側から道へとせり出している。

(なに…これ?)

見上げた一瞬、そのてっぺんから小さな顔がぽつんと出ているように見えた。

(女の…子?くるまってる?でもあんな高いところから顔が……)

混乱し、視線を逸らしながら、疑問符が澱んだままの脳裏を埋め尽くす。
けれど、まだ半分寝ぼけていたせいだろうか。
彼女の脳は、妙な出力をした。

「…おはよう!」

久しく出していなかった、はきはきとした大声で、彼女は挨拶をしたのである。
彼女自身理解できないまま、反射的に出た言葉だった。
はっと我に返った視界の隅っこで、その時、服の山のてっぺんに付いた小さな子どものような顔が、目を丸くした気がした。

「はっきり見たわけじゃないですけど……」

次の瞬間、その古着の山がばさばさばさと音をたてて道の方へ崩れてきた。
訳も分からず、彼女は逃げ出した。
十数メートル離れたところで、「やっぱり何かの見間違いではないか」と振り返ったところ、道路の上にはしっかりと古着が積み重なっていたという。

逃げ帰った家で、朝食の支度をしていた母に身振り手振りと支離滅裂な早口で、今見たものを説明したところ、近所中のちょっとした騒ぎになった。

「空き家のお化けを私が退治したらしい、って……」

事情を知らない彼女へ母親が説明したところによると、例の家は去年まである家族が住んでいたが、末の子が不幸な事故で亡くなったあと、空き家になったのだという。
それ以来、Aさんの見たという「古着の山のような何か」が、朝方や夕刻に往来で目撃されるようになったらしい。
不明瞭な声が聞こえて飛び上がったり、出会い頭に卒倒したり、あるいは遠目にその姿を見つけて腰を抜かしたりと、近隣住民の被害も少なくなかった。

「お祓いでも頼もうかってみんなで話してたんだよ、それがまさかねえ」

と、しきりに感心する母と違って、「退治した」などと言っていいものかと思ったAさんだったが、結局その朝の出来事を境に、お化けは二度と現れなかった。

「私の方も、ショック療法っていうのかな、頭の中のモヤモヤもそれで消えちゃって」

それは良かったのだが、休みの間Aさんは、近所の人と会うたびにお化け退治の話をされて閉口したという。

「凄いツワモノだ、なんて言われても困るんですよね、全然違うのに」

なにより、朝靄に紛れて視界を過ぎった小さなあどけない顔の印象。
それを思い出すたびに、今更になって鳥肌が立つような気がしたのだ。
そして、それと同時に疑問が湧いてきた。

「なんで消えちゃったんだろう、って……」

一家が越したあと、空き家となった件の家の中には、まるで辛い記憶を置き去りにするように、亡くなった子どもの玩具や子ども服が大量に散乱したままになっていたという。

「単に脅かしちゃったからかなあ、それとも…もしかしたら元気に「おはよう!」って挨拶できたからなのかなあ、って……」

後者だったら良いな、とAさんはなんとなく、そう思っているそうだ。



この記事は、毎週土曜日夜11時放送の猟奇ユニットFEAR飯による禍々しい話を語るツイキャス「禍話」から書き起こし・編集したものです。

禍話インフィニティ 第四十七夜(2024/6/8)
「ボウコ」は18:50ごろからになります。

『怪談手帖』について
禍話語り手であるかあなっき氏の学生時代の後輩の余寒さんが、古今東西の妖怪(のようなもの)に関する体験談を蒐集し書き綴っている、その結晶が『怪談手帖』になります。
過去作品は、BOOTHにて販売されている『余寒の怪談帖』『余寒の怪談帖 二』又は各リライトをご参照ください。

電子版はいつでも購入可能です。
禍話放送分の他にも、未放送のものや書き下ろしも収録されています。
ご興味のある方はぜひ。

※「ボウコ」については、まだ収録されていません。

参考サイト
禍話 簡易まとめWiki 様

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