【1】2022.6/14妻の乳がんが発覚しました。不妊治療を経て、やっと授かった息子が産まれた矢先の出来事です。
2022.6.14から遡ること2.3週間くらい
妻が自身の胸のしこりに気づきました。
相談され、受診するよう促しました。
そこまで深く考えてはいなかったようです。授乳中だしその関係の張りかな?
僕もそんな感じで、乳がんの可能性はそこまで考えていませんでした。
いつも通りに毎日の時間が流れ、検査結果が出ました。
夫である僕も病院に呼ばれました。その時点で「何かあった」と悟りました。
厳かな先生の表情、張り詰めた空気 … それが全てを物語っていました。
医師から告げられたのは僕にとって受け入れがたい言葉の数々でした。
以下医師から告げられた言葉(覚えていない&解釈が間違っているかも)
・詳細な検査をもう一度するがほぼ間違いなく悪性腫瘍
・早急に手術が必要
・授乳中の手術は難しく、治るかわからない
・最短10日後に手術可能
・今後は受精が難しいため、子どもが欲しいなら受精卵を冷凍?保存しなくてはならない
・胸を全摘出と一部摘出を比較した場合、一部摘出は再発率が上がる
等でした。
泣いている妻を隣に、僕は無表情で淡々と返事をしていたと思います。
「手術が難しい」という医師の言葉の意味がはっきりわかりませんでしたが、聞き返す勇気がありませんでした。
10日後の手術日を受諾し、入院説明で病棟、入院する部屋、手術室、食堂など看護師さんに案内され、妻と見て回りました。
食堂に飾られていた「あなたは大切な人です」と書かれた大きな額装…
この言葉を大きなサイズで設置しなくてはならない程に、入院生活が精神的、肉体的にも厳しいものかがこわく感じました。
説明もすべて聞き終え、妻の実家に預けたこどもを迎えに行きました。
医師から告げられたことを義理の母に伝えたとき、大きな動揺や感情的にはならなかったものの、かなりのショックを受けたのは僕から見ても明らかでした。
その時、義理の母に抱っこされている大人しかった7ヵ月の子どもが今までにないくらいにとてつもなく泣きじゃくり出しました。
その後、妻と子どもの3人で帰宅しましたが、妻との会話など一切覚えていません。
今後の生活をどうしていくか、子どもの世話やそれに伴う住む場所、入院前のスケジュールなど話し合ったと思います。
2022.6/14、僕ら家族の人生が今後大きく変わっていきそうな、そんな1日でした
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