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本音を言いにくい福岡。

本当のことを言いにくい福岡。

福岡という街は、大きいようで小さい。
知り合いの知り合いは知り合い、みたいなことはしょっちゅうで、SNSの共通の知人、めっちゃいるやん、もよくある。天神ぷらぷらしてたら、知り合いにばったり、も結構ある。

よく言えば、横のつながりも縦のつながりも濃くて、打てば響く街、それぐらいのスケール感だと思う。

でも一方で、その大きさは批評的な構造を持ちにくい街だとも思う。

あれってちょっとどうかねー、、あれは無しよねー、もっとこうしたらいいのにねー、、飲みの場では出てくる話も、公の声としては出てきづらい。

あの人も、この人も、そこの人も、みんな繋がってる。ちょっと批判的なことを言おうものなら、嫌な気持ちになるであろう誰かが透けて見える。

結果、本当のことを言えない街、
言いづらい街になってるんじゃないか、と。

そのことを特に感じたのは、
去年8月にその幕を下ろした、
イムズの閉館のとき。

閉館までのセレモニーやイベントは、
流石のイムズという感じで、これまでのイムズの歴史、そしてそこに関わる人たち、訪れる人たちの想いが、本当に丁寧に、かっこよく最後の最後まで発信されていた。

こんなことしてたんだーという昔のイベントに驚いたり、あー、こんな素敵に天神の未来を語る人がいるんだーと感動したり、そうだよねー、無くなるの皆んな寂しいよねーと共感したり。

最後の吹き抜けでの展示は、コロナ禍にしては沢山の人で溢れていいて、それぞれがそれぞれの思いで展示を見て回る、だけどなんとも言えない連帯感があるような、不思議な空間だった。

だから今更そこに水を差したい訳じゃない。
あれは誰がどう見ても、施設のクローズとして格好よかったし、無くなるのを寂しく思うイチ市民としては、ありがたい時間だったなと思う。

だけど一方で、竣工から30年ちょっと。
そんなちょっとで取り壊されるのかと。なんで?え?という気持ちもどこかにあった。そして、そんな若造ビルも無くなっちゃうなんて、天神ビッグバンとか言うそれは、大丈夫なやつなのかなと。好きだった場所が、こんなふうに無くなっちゃうんだと、正直思った。多分同じように思った人は、私だけではないはず。

とは言え市有地でもなければ民間の建物、誰に何の権限もない。知った時には決定事項で、おしまイムズ、お疲れイムズを受け入れるしかない。一企業が今後の企業利益のために好機と捉えて判断されただけ。別に反対運動を起こしたいとか、そういうことでもない。

だけど聞こえてくるのは、ありがとう、お疲れさまという言葉ばかり。なんだかうまく言えないけど、モヤモヤした。

なかじーがMCで行われたギンギラ太陽's のLAST SHOWも盛り込まれた閉館セレモニーのlive配信。最後の挨拶、イムズの館長が泣いていた。ありがとうございましたと泣いていた。

素晴らしい閉館セレモニーだなと思った。と同時に、あぁここには閉館を決めた人は居ないんだなと思った。居ないのは当たり前で、むしろ居なくて良かったのかもしれない。あぁそうか、モヤモヤしたのは、別の場でも良いから、いち企業としての言葉が聞きたかったんだと分かった。

天神ビッグバン、時代の流れだねー、次が楽しみだねー、というのも大いにあって良いと思う。だけどこの街が良くなるために、言いにくいことも言える仕組み、言いにくいことも説明される仕組みがもう少しあったらなーと、勝手に妄想する。どうやったら出来るんだろーと、無い頭の中が今日もぐるぐる。

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