魔法使いナンジャモンジャと空飛ぶバイオリン 2/7
2.ブラウンさんのバイオリン
その夜、ユマはトマス・ブラウン氏について検索して、市内で開いているバイオリン教室のサイトを見つけた。
その話をリオナにすると、「面白そうね、それ」とのってきた。「ちょっと一緒に乗り込んでみない?」
ブラウン氏の教室は、駅からあまり遠くない、アパートの一室だった。
「こんにちは、いらっしゃい」
ベルを鳴らすと、ご本人と思しき人物がにこやかに現れた。
「バイオリン教室の見学ですか?」
「いいえ、違うんです」
「あの、ラ・フォンテーヌがさいきんよく空を飛ぶことはご存じですか?」
「え? ラ・フォンテーヌ? あぁ…もちろん知ってますよ、ニュースになっていましたからね。それが何か?」
「私たち、それがあなたのバイオリン演奏会と何か関係があるんじゃないかと思ったんです」
「?」
「これまでのところ、ラ・フォンテーヌが空を飛んだ日と、あなたの演奏会の日が一致するんです」
ブラウン氏は明らかにぽかんとしていた。
「ただの偶然かもしれないんですけど、私たち、一応調べてみようと思って」
「これまで、演奏会の日だけやっていて、ほかの日にはやっていない、何か特別なことはありません?」
「ええっ」
ブラウン氏はしばし考え込んだ。
「そうだな、演奏会で使うバイオリンは、ほかの日には使いませんね」
と彼は言った。
「音はすばらしいのだけど、チューニングがしづらいし、気難しいところのある楽器だから…。ふだんの練習用には、音の質は80点くらいだけど安定していて弾きやすい、別のバイオリンを使います。でも、そんなことがラ・フォンテーヌが空を飛ぶのと関係があるとは思わないけど」
「そのバイオリンは、どこで手に入れたんですか?」
とユマがきくと、ブラウン氏は答えた。
「古道具屋で埃をかぶっていたんだよ。大切に扱われていなかったようで、けっこう傷がついていた。なんだか悲しそうで、弾いてくれと訴えているようで… でも弾かせてもらうと、すばらしくいい音でね」
「ちょっと実験してみましょうよ。試しにそのバイオリン、いま弾いていただけません?」
「ええっ、いま?」
「いいからいいから…」
「いや、ほんとに関係ないと思うけど…」
ブラウン氏は渋い顔をしながらも、問題のバイオリンを持ち出してきて、チューニングし、おもむろに弓を当てた。
それから、ちょっと考えて、アイネクライネナハトムジークを弾き始めた。
ユマとリオナは拍手かっさい。
「こんなものでいいかい?」
ワンパッサージュを弾き上げると、弓をとめた。
「いやいや、もっと! もっと続けて!」
仕方なくブラウン氏は続きを弾き出した。
ほどなく、窓の外を指さしてリオナが叫んだ。
「ほら! 飛んでるわ!」
町の上に、ラ・フォンテーヌがぷっかりと浮かんでいた。
「やっぱりそうよ、あなたのバイオリンのせいなのよ!」
「何てことだ…」
彼が弓をとめると、ラ・フォンテーヌはまたゆっくり、元の地上へ戻っていった。
今やブラウン氏は人が変わったように青ざめ、わなわなと震えはじめた。
「何てことだ、誓っていうが、こんなことは知らなかったぞ! 私に責任を問われても困る… しかしどうしたらいいんだ、これではもう、こいつは演奏会では使えない…こんなにいい音色のバイオリンなのに…」
「ちょっと、その古道具屋さんに話を聞きに行ってみましょうよ」
「そのバイオリン持っていっしょに来てもらえません?」
ユマとリオナがショックも冷めやらぬブラウン氏を引っぱって訪ねて行った古道具屋は、さびれた商店街の一画にあった。
「このバイオリン、ここで買われたそうなんですけど…これってどこから来たんですか?」
「それはどうしたんだっけなぁ…」
古道具屋の店主は、頭をかきながら記憶を探った。
「たしか、どこかのアパートの大家に頼まれて引き取ったんだ。家賃を滞納したあげく夜逃げした住人がいて、そいつの残していった荷物を始末したいから、引き取れそうなものを引き取ってくれと言われてね。それで取りに行って、引き取ったなかのひとつだったと思うよ」
「そのアパートって教えてもらえますか?」
「ええっ? ええっと…」
バスを乗り継いでたどり着いたそのアパートは、隣町との境近くの辺鄙な場所にあった。
「奴は、魔法使いナンジャモンジャだよ」
一階に住む大家は、うんざり顔だった。
「気難しやで、気に入らないことがあると怒鳴り散らすし、やかましく鍋を叩いたり、夜中までバイオリンを弾き散らかすので、隣近所から苦情が出ていた」
「その人が前の持ち主に違いないわ!」
リオナは手を叩いた。
「引っ越し先は分かるかしら?」
「分からん。家賃を4か月も滞納したあげく夜逃げだ。むしろこっちが知りたいよ」
「ほかの住人に聞いたら、何か分かるかも。行ってみよう」
彼らは、ナンジャモンジャが住んでいたという部屋のお隣さんを訪ねた。
「全く迷惑な男だったよ」
洗濯物を干していたマダムは、腰に手を当てて、首を振り振り、憤懣やるかたなしという様子。
「音楽のセンスもかけらもないくせに、音の出るものが好きでねー。片っ端から手を出しては昼夜構わず打ち鳴らし、そのうち飽きてぱったりやめて…その繰り返しだった。
カラスを飼っていたよ。喋れるカラスで、これがまたやかましくてねー。
出掛けるときは、空飛ぶ洗濯釜に乗って出掛けていた」
「バイオリンをやっていた頃のことを覚えていますか?」
「ああ、あの頃は最悪だったね」とマダム。
「耳がおかしくなりそうにキーキーうるさくてさ。同じフレーズを、一日に百回くらいやるんだもの。こっちも窓から、いい加減にしてちょうだい!って怒鳴ったものよ。そしたら、
『だって弾けないんだ!』って怒鳴り返してきた。『こんなに練習してるのに、弾けるようにならないなんてどういうことだ! 頭おかしいわ!』って。
頭おかしいのはどっちよ全く、毎日聞かされるこっちの身にもなりなさいよってね。しまいにある日、
『もううんざりだ! こんなクソバイオリン弾いてられるか! 呪ってやる! 呪ってやるぞ! 今後お前を弾くやつがあれば、ラ・フォンテーヌが空を飛んじまえ!』
それからドンガラガッシャン!!って、凄まじい音がした」
「それだわ!」
と二人は大喜び。
「これですべての説明がつくわ。このバイオリンを弾くたびにラ・フォンテーヌが空を飛ぶのは、彼のかけた呪いのせいなんだわ!」
「なんてこった!… 何をやってるんだあの男は! せっかく魔法を使えるなら、もちっとましなことに使ったらどうかねぇ」
と、隣のマダムは呆れた。
「でも、何でラ・フォンテーヌが呪われてるんだろう?」
とユマ。
「彼がこのバイオリンを買ったのがラ・フォンテーヌなんじゃないの? あそこ、楽器屋入っていなかったっけ」
「そうかも! 私、楽譜を買いに行ったことがあるわ」
「よし、じゃちょっと聞きに行ってみよう」
こうして、彼らは再びラ・フォンテーヌへ向かうことになった。
ラ・フォンテーヌの中には<スター楽器>という楽器屋が入っていた。
この日も突然空を飛ぶはめになって、色々と傷がついては困る高価な楽器も多かったから、あたふたと対応していたところだった。
ユマたちの話に、楽器屋の支配人は露骨にイヤそうな顔をした。
「そんなメーカー、うちでは扱っていませんよ! だいいち保証書もないのでしょう?」
「でもここのお店では、中古品も置いていますよね? その中のひとつだった可能性は?」
「まずないでしょう。まぁ、百歩譲ってノーブランドのジャンク品ということなら、なきにしもあらずですがね…」
彼は頭を抱えて、ぶつぶつと呟いた。
「…何ということだ! ラ・フォンテーヌにはほかにもたくさんの店舗が入っているというのに、よりによってうちが原因だなんてことになったら…!」
そしてブラウン氏の方に向き直ると、改まって懇願した。
「いずれにせよ、申し訳ないがもうそのバイオリンは弾かないでいただきたい。ラ・フォンテーヌがいきなり空を飛ぶようになって、我々はほんとうに大変だったし、いつまた飛び始めるかとびくびくしながら営業していたのです」
「でも、今回のことでこの町はずいぶん有名になったわ」
とユマ。
「そうそう。さっきだって、この建物の写真を撮ってる人、けっこういたし。これからもときどき飛んだら経済効果が高いんじゃないかしら」
「そうよ、ブラウンさん、あなたもきっと有名になるわ。とりわけ今や、どうやったら飛ぶか分かったのだし!」
「いやいや困ります」と支配人。
「この建物はもうだいぶ古いし、何度も離陸と着陸の衝撃で、かなりのダメージを喰らっている。壁にひびが入って漏水の恐れがあります。もう! 今だって、すでに保険会社とのあいだでごたごたしているんだ! とにかく我々は、今後いっさい空を飛ぶことなく平穏に営業したい!」
「つまんないのー」
「いや、それは私だって同じことだ!」
とブラウン氏。
「有名になるのなら、私はすぐれたバイオリニストとして有名になりたい。空飛ぶバイオリンの単なる持ち主として有名になってどうする? 私が弾くたびにラ・フォンテーヌに迷惑をかけるのはいやだ!」
「でも、空飛ぶバイオリンなんて、誰もが望んで持てるものじゃないわ」
「そうよ、これもきっと運命なのよ! あなたはきっとこのバイオリンに選ばれたのよ、ブラウンさん!」
「それがきっかけで売れるかもしれないのだし」
しかし彼は頑なに首を振った。
「私はただ平和に弾きたいだけなんだ! ただこのバイオリンの呪いを解いてもらえたらありがたいのだが…」
「そりゃ、呪いをかけたナンジャモンジャ本人でなくては無理ね。何とか探し出さないと…」
すると、スマホを見ていたリオナが声を上げた。
「ねえ、彼インスタやってるわ! センス悪いの、食べかけの宅配ピザの写真とか上げてる…」
「今どこに住んでるか手掛かりはないかしら」
「街のようすを写した写真があるわ。同じ街角の写真が何枚も上がってる… これはどこだろう? このピザ屋さんの写真が何枚も…きっとお気に入りなのね」
「画像検索してみたら?」
「あっ、ちょっと待って。この塔… この建物、これストラスブールじゃない? ほら!」
「あっ、ピザ屋さん見つけた! ここよね? ストラスブールだ!」
「いや、大したものだね、君たち」
ブラウン氏は首を振った。
「今はそういうのすぐ分かるんだなぁ…」
「私たちもうすぐ夏休みだわ。休みになったら、ストラスブールに旅行することにしてあいつを探しに行きましょうよ。ここまで解明できたのだから、きっと本人も見つかるわ」
「ついでに前のアパートの家賃も払えっていうのも言わないと」
「言って払うかどうかはともかくね」
「ブラウンさん、あなたもついてきてよ。私たちまだ未成年だから、誰かひとり大人がいないと」
「面白いことになりそう! 私、本物の魔法使いに会ってみたかったのよ。ホウキで飛ぶやり方とか教えてもらえないかな」
「でも、ナンジャモンジャは洗濯釜に乗ってたって言ってなかった?」
「そうかー。ま、言うだけ言ってみましょうよ」
つづく→
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?