龍ヶ淵奇譚 ばけもの列車
これは、なかよしの二人、茶トラ猫のニャンコとブチ猫ブッチーが、学生時代に通っていた鉄道のお話です。
関東鉄道竜ヶ淵(りゅうがふち)線、略して竜鉄(りゅうてつ)は、田貫(たぬき)、狐木(きつねぎ)、竜ヶ淵(りゅうがふち)と、たった3つの駅を結ぶ小さな鉄道です。百年以上むかしにつくられました。
ニャンコとブッチーは、毎朝田貫から乗り、竜ヶ淵で降りて、竜ヶ淵市内の学校に通っています。
田貫駅の駅長はタヌキです。毎朝タヌキ山から出勤してきます。
自販機では葉っぱの切符を売っています。改札でタヌキの駅員が、パチンパチンとハサミを入れます。
あいだの狐木は無人駅です。たまにキツネが乗ってくるそうな。
竜ヶ淵駅の駅長は竜です。毎朝、竜ヶ淵から出勤してきます。
自販機でコロッケの切符を売っています。改札で竜の駅員が口を開けて待っているので、その中にポンポン入れていけばOKです。
窓からのぞむ田園風景、春は桜。
やがて藤のトンネルを抜け、みどりの田んぼが広がります。
秋はもみじ、冬は雪景色。
実にのどかな鉄道です。危険なことはめったにありません。
ただ、夜、田貫駅から乗るときは気をつけなくてはいけません。
たまに本物の列車ではなく、タヌキが化けていることがあります。
酔っぱらっていたりして、うっかりタヌキ列車に乗ってしまうと、どことも知れず神隠しに遭ってしまうそうな。
また、竜ヶ淵駅から最終電車に乗るときは、居眠りしてはいけません。
たまに、竜が自力で帰るのめんどくさくなって、勝手に臨時列車を出して沼の底の自分のうちへ帰ってしまうことが。
うっかりそれに乗ってしまったら、人はまず生きて帰ってこられません。
一度ブッチーが、うっかりタヌキ列車にのってしまったことがありました。
竜ヶ淵市内に住む叔父さんのところへ行ったときのことです。きんつばをお土産に、風呂敷包みで持っていきました。
ちょうどベルが鳴り出して、あわてて駆け込み、やれやれと息をついたのですが、乗ってるうちに何だか変だぞという気がしてきました。夜で分かりづらいですが、窓からの景色がいつもと違います。
ふとドアの上の路線案内に目をやると、
「田貫─狐木─竜ヶ淵」
のはずが
「田貫─ばけもの谷─地獄が池」
となっているではありませんか。
ブッチーは首すじの毛が逆立って、あわてて立ち上がりました。何が何だか分かりませんが、「地獄が池」まで行ってしまったら大変だぞという気がしました。
そこで、次の「ばけもの谷」で列車を飛び出しました。
これがまた、無人駅だったはずが、どういうわけかちゃんと駅舎があって、ぽっつり灯りがともっています。
改札には白いきつねの駅員がいて
「これはこれは! ばけもの谷へようこそ。ばけもの修行にお越しですか」
と尋ねました。
「いえ、実は、ちょっと迷ってしまったらしいのです」
ブッチーは、面くらいながら言いました。
「竜ヶ淵へ行きたいのですが…」
「竜ヶ淵? 聞いたことがございませんが… お客様、路線をお間違えでは?」
「ええっ! ではいったん田貫に戻ります… 次の列車は何時ですか」
「田貫? いや、聞いたことがございません… どこでしょう?」
駅員が首を傾げながら、取り出した路線図には
「打ち首峠─ばけもの谷─地獄が池」
と書かれています。
いや、どちらもいやだー!
ブッチーは青くなって、「ありがとう、誰か別の人に聞きます」と言うなり駆け出しました。こんな恐ろしい列車からは、一刻も早く逃げなければ。
駅を出て、森の中をつづく一本道をたどっていくと、ばけものたちが木々のうしろをのしのし行き交い、梢の上をざわざわと飛びすぎます。
「おや、猫が来たよ」
「猫又かな」
「いや、ふつうの猫だ」
「ばけもの修行かな」
そんな会話が聞こえてきます。
びくびくしながら、しばらく行くとまたぽっつりと灯りが見えて、近づいてみると小さな神社のよう。
きつねの狛犬のあいだを抜け、お堂の扉をコンコンしてみると、出てきたのはまたも白いきつねです。
「すみませんが、竜ヶ淵へ行きたいのですが」
「おやおや、これはこれはお坊ちゃん。どうぞどうぞお上がりください。まあお茶でも一杯」
きつねは愛想よく座布団を勧めてくれました。
ブッチーがお茶を飲んでいるあいだに、狐は両手にいっぱいの巻物を抱えてきました。
「坊ちゃんは猫さんですね、そうするとばけもの修行のコースは、猫又養成コースかまたは九尾の猫養成コースとなります。来年から新設で、五尾猫養成コースというのもできるんですけどね、現在はこちらの2コースのみとなっております。どちらになさいます?」
ええっ、どうしてこんなことに。
「いや、その、ぼくはただ道に迷って… 竜ヶ淵の叔父のところへ行きたいだけなのですが」
ブッチーは、ほとほと困りながら言いました。
「さようでございますか、しかし九尾の猫コースというのはまあ、相当難易度が高いということになっておりまして、はい。いきなりはまあ、無理ですね。猫又コースのほうが、初心者には無難です。皆さん大半の方がこちらになさいます。難しいと思ってらっしゃる方も多いみたいですが、なに、マニュアル通りにきちんと取り組めば、決して遠い狐火ではありませんよ」
なんだか、どうにも逃げられない空気です。
ブッチーは相手のペースにのまれて、つい
「では猫又コースで」
と言ってしまいました。
「承知いたしました、ありがとうございます。それでは、お茶を召し上がったらさっそく始めますよ」
きつねは嬉々として手をこすり合わせます。
あっというまに机がしつらえられ、巻物が開かれ、熱心な講義が始まってしまいました。しまったと後悔しても、後の祭り。
そのころ竜ヶ淵市では、ブッチーが行方不明というので大騒ぎ。なにしろ忽然と姿を消してしまったのです。
ブッチーの叔父さんは、警察に捜索願を出しました。
警察は田貫駅にもやってきましたが、タヌキの駅長は
「ブチ猫? いやーちょっと分かりませんね。猫はたくさん通りますからね」
としらを切るばかり。
ニャンコの知る限り、ブッチーはいつもGPSをオンにしていたはずなのに、表示が出ません。LINEも既読になりません。おかしい!
ニャンコは、これはタヌキ列車の仕業とにらんでいました。そこで、槍やまさかり、刀剣などで武装して鏡の前でえいやっとかまえます。
しかしこれでは改札を通れないと考え直し、拳銃一丁だけ、ピカピカに磨いて弾を込め、カバンに隠し持って出掛けます。
改札口でさりげなく、
「今日はこのあとも臨時列車がありますか」
と聞いてみましたが、
「さあどうでしょう」
どこまでも食えないタヌキです。
ニャンコはちぇっという顔で改札を抜けると、待合室に腰を据えます。そして、コロッケそばを食べながら、時刻表通りに出発する何本かの列車を見送りました。
やがて、変な時間に一本の列車がやってきました。よく見ると、うしろにタヌキのしっぽがついています。よしっ!
ニャンコはカバンの拳銃を確かめると、素知らぬ顔で乗り込みます。
発車してまもなく、路線案内はぼやんとぼやけて
「田貫─ばけもの谷─地獄が池」
の表示に変わりました。
「おっ、あっち側に入ったらしいぞ」
スマホを確認してみると、はたしてブッチーのGPS表示が出ました! 位置からすると、次の「ばけもの谷」駅からしばらく行ったところにいるようです。
そこでニャンコは次の駅で列車を降りると、白いきつねの駅員に
「少し前、ぼくと同じくらいの背かっこうのブチ猫が降りませんでしたか」
と聞いてみましたが、
「さあどうでしょう」
と、これまた食えないきつね。
「これは、降りたな」
そう確信すると、改札を抜けました。
「大丈夫か」
ブッチーにLINEを送ってみると、すぐさま既読になりました!
「けっこう困った状況になってる」
「すぐ行くぞ」
GPSの示す地点を目指し、森の一本道をたどっていくと、まわりでばけものたちが、またひそひそ。
「おや、また猫が来たよ」
「あいつもばけもの修行かな」
「今年はばけ猫の当たり年だね」
やがてニャンコは、小さな神社のところへやってきました。
きつねの狛犬を見ると、用心ぶかく迂回してはじの方からこっそり境内へ。灯りのともるお堂、そっと近づいて覗いてみると、《必勝》の鉢巻きをしたままひっくり返って伸びているブッチーの姿が!
小さくコンコン叩くと、すぐ気づき、起きあがってニャンコのほうへやってきました。
「大丈夫か、毒を盛られてないか」
「毒は盛られてないと思うけど、猫又養成コースの講座受けさせられてる」
「は? 何で? お前猫又になりたいの?」
「なりたくないよ! ただ、猫又と九尾の猫とどっちにするかって迫られて、九尾のほうはめっちゃ難しいっていうから」
「いや、おかしいだろそれ! デート行くって言ってないのに、中華にするかイタリアンにするかって迫られるようなもんだろ」
「そうだけど…とにかくいま閉じこめられてて、どっちか受かるまで出してくれないって言うんだよ!」
ブッチーは泣きそうな顔です。
「よし、分かった。そいつが戻ってきたら、トイレに行きたいからちょっと出してくれって言って、隙を見て逃げろ。門の外のところで待ってる」
「OK!」
ブッチーは言われた通りにしてニャンコと落ちあい、ふたりはこっそり逃げ出しました。
まもなく、気づいた白ぎつねが追ってきます。
「坊ちゃん! 何してるんです? 猫又試験をパスするまでは、外に出てはいけませんよ! おや、そちらのお友だちはどなた?」
ニャンコは振り向くと、拳銃を取り出してバン! きつねはどうと倒れます。
すると、銃声を聞きつけたばけものたちが、谷じゅうからどんどん集まってきてふたりを追いかけ始めました。
ニャンコは走りながら、ダダダダ!と拳銃を撃ちまくります。
が、弾があたったばけものはその場でひゅんと消えるものの、すぐに別の場所からぼわんと姿を現して、ぜんぜん、らちがあきません。
「だめだ、奴らを振り切るまで走るしかない」
ふたりはとにかく、死にもの狂いで森の中を走りました。
「向こうの坂上まで行けばバスの発着場があって、竜ヶ淵行きのバスが出てる。さっきグーグルで調べた。だけどあと3分で終バスだ。急げ!」
走って走って、坂道を抜け…
エンジンをかけて、今にも走り出しそうにしていたバスへ、ふたりは息せき切って駆け込みます。
それと同時にドアが閉まり、バスは走り出しました。ブオ~ン!
「やれやれ、助かった!」
窓から見ていると、山の尾根をだいだらぼっちがまたぎ超えていきます。
ぬらりひょんが窓から覗いてきます。
赤風船のようなばけものを追い越しました。
しばらくしてやっと人心地がつくと、ブッチーは叔父さんにLINEを打ちました。
「今、竜ヶ淵駅へ向かっています…と」
それからニャンコに言いました。
「いやー、ほんとに助かったよ。お腹減ってない? きんつばあるよ」
「ありがとう。でも叔父さんのうちに着いてから、みんなでいただこうよ」
ところが、もうずいぶん走ったと思うのに、ぜんぜんどこにも着きません。
景色も変わらず、また山の尾根をさっきと同じだいだらぼっちがまたぎ超え…
「ねえ、ひょっとして」
「ボクも思った」
「オレたちさっきから同じところをぐるぐる回ってない?」
ふと見ると、さっきまで「竜ヶ淵駅行き」となっていたはずの電光掲示が「ばけもの谷循環 打ち首峠車庫行き」となっているではありませんか。
「ちょっと、運転手さん!」
ニャンコは語気鋭く呼びかけました。
「どうかされました?」
振り向いた運転手は、タヌキの顔。
ニャンコはすぐさまとんでいって、タヌキのこめかみに拳銃を突きつけました。
「竜ヶ淵駅へ向かえ! 今すぐだ」
「こりゃまたぶっそうな。お客さん、警察に通報しますぞ」
「できるもんならやってみろ。ブッチーが行方不明だというので警察が探しているんだぞ。お前も逮捕されたいか?」
タヌキは観念してハンドルを切りました。
それからバスは暗い谷を抜け、やがて狐木の田んぼ、竜ヶ淵ニュータウンの家並と、見慣れた景色が見えてきました!
とうとう駅前に着くと、ニャンコはブッチーを先に行かせておいて、タヌキに拳銃を向けたまま、じりじりと後じさりしながらバスを降りました。
ブッチーはバスの外から覗いて、タヌキが脂汗をかいているのを見て少し気の毒になり、
「あの、運転手さん、きんつばいります?」
と声を掛けました。
「い、いらないです!」
タヌキは急いでバタンとドアを閉めると、ブルルン! 夜空へ向かってひとっとび、ほうほうのていで一路、ばけもの谷へ。
待ち構えていた警官たちが駆け寄ってきます。
飛び去ってゆくタヌキバスに向かってバンバン撃ちましたが、器用によけて、逃げおおせたようす。タヌキのしっぽがひるがえって、夜の雲間に消えていきました。
「おれたちうっかりしていたなあ。急いでいてあのしっぽに気づかなかったね」
「やっぱり乗る前にちゃんと見ておくべきだったなあ」
駅へ迎えに来ていたブッチーの叔父さんもやってきました。
「おお、ブチゾウ、無事だったか」
「怪我はありませんか、きつねやタヌキに憑かれていませんか」
警官がブッチーに尋ねます。
「大丈夫だと思います、たぶん…」
ニャンコがブッチーのうしろにまわって、しっぽをビッと引っぱりました。
「いてっ! 何すんだよ」
「大丈夫、猫又にもなっていません!」
ニャンコは、警官にうけあいました。
その晩はニャンコもブッチーといっしょにブッチーの叔父さんのところに泊まり、三人は遅い晩ごはんを食べました。もちろん、食後のきんつばも。
お風呂のあとは枕投げをして大はしゃぎ。
やがて疲れ果て、ふたりは布団の上に倒れ込みました。
「まあ、終わってみるとけっこう楽しかったね。いつかもう一回くらい、ばけもの谷、行ってみたいかも」
と、ニャンコが言い出します。
「冗談じゃない、二度とごめんだ」
と、ブッチー。
「助けに来てくれたのはほんとに恩に着るけど、次また行くのなら、ひとりで行って」
叔父さんがお皿を洗うカチャカチャいう音を子守歌に、ふたりはぐっすり夢のなか。
《おわり》
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