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魔法使いのジュリア5 ガラス山へ!

 今回のお話には、木の上の動物たちは出てきません。これはある晩、ジュリアが相棒の馬といっしょに、世界の果てまで行ったときのお話です。

 ママが若いころに使っていた、桜材のアンティークの小さな椅子は、ジュリアのお気に入りでした。足の一本が少し短くて、背もたれに向かってまたがるとカタンカタン、馬に乗っているような気分になれたんです。
 その日は全速力で馬を走らせて、漆黒の荒野を一路、ガラス山へ向かっていました。囚われのお姫様を助けに行く騎士になっていたのです。
 急いで急いで! 
 …と、
「ガタガタするのやめて!」
 ママに怒られてしまいました。
「どうして?」
 やむなく馬をとめて、ジュリアは尋ねました。
「椅子がいたむから!」
 あーあ、お姫様は助からなくなってしまいました。馬も残念そう。

 その晩、ジュリアが寝ていると、トントン! ドアをノックする音がします。
 開けてみると、そこにいたのは馬です。
「急いで急いで!」
 馬は声をひそめて言いました。
「ガラス山のてっぺんに、王子様が閉じこめられています。助けに行かなくては!」
 そこでジュリアは急いで支度をしました。
「あそこには恐ろしい魔女が住んでいます。武装していきなさい」
 馬が言うので、ジュリアは出掛けざま、キッチンを通ったときに、お鍋のふたとパン切り包丁を持っていきました。
 おもてへ出ると、しんとしずかな草のなかに、冷たい夜露のにおい。遠くでフクロウがホーホーと鳴いています。
「さあ、行きますよ。しっかりつかまって!」
 ジュリアを乗せた馬は、風を切って走り出しました。馬の上はとても寒くて、ジュリアは上着を持ってくればよかったと思いました。

 急いで急いで!
 ジュリアと馬は一路、ガラス山へ向かいます。はやてのごとく荒野を渡り、森を駆け抜け、海を越えてひた走ります。
「ここから先は魔境に入ります。くれぐれも気をつけて!」
 馬が警告するまもなく、魔女の放ったおびただしい数のコウモリの群れがふたりに襲いかかってきました。
 ジュリアは馬の上で身を伏せながら、お鍋のふたで防戦します。と、いつのまにか、お鍋のふたは中世の騎士の持つようなほんものの盾に変わっています。
 なんとかやり過ごすと、こんどは夜空の中から幾千、幾万という銀色に光る蜘蛛の糸が伸びてきて、二人を絡め取ろうとします。
 ジュリアはパン切り包丁を取り出して、めちゃくちゃに振り回しました。と、パン切り包丁もいつのまにか、ほんものの剣に変わっています。
 こんどはガラスのかけらのような、大粒の雹が降ってきました。
 ジュリアはお鍋のふた…いや、盾で身を防ぎ、剣を振りまわして、降り注ぐ雹を弾き飛ばしました。
 こうしてついに、世界の果てのガラス山へやってきました。
 くらい夜空のもと、切り立つガラスはとてつもなく恐ろしく、とほうもなく美しく見えます。
「さあ、さいごのひと丁場ですよ。滑りますからね、ぜったい落ちないようにつかまってください!」
 馬とジュリアは、気を引き締めてかかりました。急勾配の上り坂です。馬の蹄がカチッカチッと、ガラスの表面に当たります。ときどき馬が足を滑らせてガクッとなります。そのたびにジュリアはたてがみにしがみつきます。
 頂上近くはとりわけ険しく、馬は歯を食いしばって必死に登りますが、何度もずるずると滑り落ちてしまいます。
「私、降りましょうか?」
 ジュリアは心配になって言いますが、馬は「何のこれしき」と譲りません。
 とうとう頂上にたどり着きました!

 くろぐろと、脅かすようにそびえ立つ魔女のお城。いくつもの、とんでもなく高い塔が雲の中に消えています。
 ジュリアはお城の門の前に立って、魔法の呪文を唱えます。

 アブラカダブラ、
 ガチャンガチャン
 どんな扉も、開け放て!

 すると、重たい石の扉がガリガリ…と音を立ててゆっくりと開きました。
「こっちですよ、ジュリア!」
 馬の指し示すままに、ジュリアは暗い回廊を走り抜け、狭い石の階段をぐるぐるぐるぐる、塔のてっぺんまで駆け上がります。
 はあはあ、息を切らせていちばん突き当たりのところまでやってくると、小さな扉の掛け金に剣を突き立て、えいやっと突き壊しました。
「助けに来たぞ!」
 暗やみに向かって叫ぶと、部屋の奥からほっそりとした男の子が立ち上がって、やってきました。レースの襟のブラウスに、びろうどのズボン。昔ふうのエレガントな装いです。
 とてもきれいな顔だちをしていますが、陽の当らないところで暮らしていたせいで、透き通るような青白さです。
「だれ?」
と、男の子は尋ねました。
「私、ジュリアよ」
「ぼくはクラウス、高貴なる囚われの王子だ」
「…《高貴なる》って、自分で言う?」
と、ジュリアは突っ込みたくなりましたが…
「ともかく、もう囚われじゃなくなったわね」
 すると、王子はたいへん偉そうなようすで言いました。
「ご苦労だったな。お礼に、君と結婚してあげよう」
「は? いや、いいです」
と、ジュリアが断ると、王子は驚いたようす。
「え? だって、女の子ってみんな王子と結婚したいんでしょ?」
「何なの、それ!」
 ジュリアは呆れました。
「それよりあなた、将来王位を継ぐのだったら政治の勉強でもしたら?」
「ふうん、そうなの。じゃあ、さようなら」
 王子は冷たく言って、ひとりで階段を降りていってしまいました。

「さて、用事もすんだし、私も帰ろうかな」
とジュリアは思いましたが、
「そうだ! せっかく来たのだから、魔女に会っていこう」
と考え直しました。
 魔女は、広間の玉座に座っていました。背もたれの両側にどくろのついた、おどろおどろしい玉座です。足元には青く光る目をした魔犬がうずくまり、低く唸るのを聞いて、馬はびくっと耳を伏せました。ジュリアも少し怖気づきましたが、勇気を出して
「こんばんは」
と声を掛けました。
 すると、魔女は言いました。
「さっき魔法でわが城の門を開けたのはそなたか」
「そうよ。勝手に入って、ごめんなさいね。ただ、王子を救い出さなきゃならなかったものだから」
と、ジュリアは弁解しました。
「そりゃあご苦労だったの」
「でもあの王子を救ったの、間違いだったかも。まだそんなに遠くへは行ってないと思うから、連れ戻します?」
「いや、いい。わらわもあの王子にはうんざりしていたところじゃ」
「そうよね、分かります」
「そなた、わらわの攻撃をかいくぐってよく来たの」
「あなたこそ、あのコウモリや蜘蛛の糸、すばらしかったわ。あれ、どうやるの?」
「あれは難しいぞよ。知りたいかの?」
「そりゃ、もちろん!」
 すると魔女はやり方を教えてくれましたので、ジュリアはさっそく真似してやってみます。まずはコウモリの出し方です。
 けれど、初めてのことでしたので、先ほどの魔女のようにうまくはいきません。さいしょは手のひらくらいの小さなコウモリが2,3匹出てきただけです。いきなり起こされて面食らったような顔でパタパタそこらを飛び回るので、ジュリアは思わず笑いそうになりました。
 ジュリアはめげずに二度、三度とやってみます。何度も繰り返すうちに、ようやく、迫力あるコウモリの群れを出すことができるようになりました。
「やったー!」
と、ジュリアは大喜び。コウモリたちは渦巻いて天井を飛び回ります。
「それそれ、もう充分じゃ。城じゅうがコウモリだらけじゃ」
 魔女は玉座から立ち上がると、窓を開けて、コウモリたちを外へ逃がしてやりました。
「次は蜘蛛の糸出すの、教えて!」
 これもはじめは切れぎれの糸をちょっぴり出せただけでしたが、ほどなくきれいな銀色の糸をとめどなく繰り出すことができるようになりました。
 ジュリアは面白くて仕方ありません。
「こんどは雹の降らせ方!」
と、飽きもせずにせがみます。
 そのあいだ、馬は横でうつらうつらしながら聞いていましたが、やがて、窓の外が白んできたのに気がついて、慌てて飛び起きました。
「ジュリア、私たち、夜明けまでに家に帰らないといけませんよ!」
「え、どうして?」
「どうしてって、あなた、学校があるじゃありませんか」
「あ、そうだっけ」
 ジュリアと馬は、魔女に名残を惜しみつつ出発しました。
 ガラス山を駆け下り、海を越え、森を抜け、荒野を渡ってひた走ります。やがて地平のかなたに朝焼けが見えてきます。赤く染まる雲のすじが、大理石のような縞模様を描いています。
「ああっ、もうすぐ夜が明けてしまう!」
 馬が叫びます。
「夜が明けると何か困ることがあるの?」
「夜が明けると私は椅子に戻ってしまうのです。もう走れなくなります!」
「ええっ! それは困るわ! どうしよう… 降りて、いっしょに走りましょうか?」
「なに言うんですか! あなた自分が足遅いの分かってます?」
「むぅ…」
 馬は必死に、それまでの二倍もスピードを上げて走ります。
「しっかり! あと少しよ!」
 ようやく窓から部屋へ滑り込んだ瞬間、朝の最初の光が岬の高台に射しました!

 ママがキッチンで朝ごはんをつくっています。
 ジュリアは階段を降りていくと、居間の方へ目を走らせて、椅子の姿を探しました。
 椅子は部屋の隅に何げないふうをしています。まるで一晩じゅう、ずっと椅子でしかなかったみたいです。けれどよく見ると、まだ少し息を切らせているのが分かります。少しひんやりとして、少し湿っています。冷たい露にぬれる、朝焼けの荒野を走ってきたからです。
 と、ママの声がとんできます。
「ジュリア、あなたパン切り包丁を知らない?」
「あっ! あれは…」
 慌てて取りにいってみると、よかった! 剣はもとのパン切り包丁に戻っています。
「使ったら戻してよね! あらやだ、歯がこぼれているわ。あなた何したの?」
 ママはいつもの調子で文句を言いながら、パンを切り始めました…。

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