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芒ーすすきー

 庭のすすきが夕陽に当たって輝く。風が吹くたびに黄金色に波を打つ。
 穏やかな日差し、涼やかな空気。
 一年で一番嫌な季節がやってきた。

 この町に移住してきてからもう5年になる。
 ということは、妻がいなくなってはもう7年。
 すすきとわずかな植栽だけのシンプルな庭。低いブロック塀で土地の仕切りがあり、その奥には空き地が広がり、向こうの山に日が沈む。
 こんな場所に一人で住む人生になるとは思わなかった。

 「朝晩、だいぶ涼しくなりましたな」
 突然話しかけられて、飛び上がるほど驚いた。 
 庭先に近所に住む初老の男が立っていた。
 私と十ほど歳が違うそうだが、髪が真っ白なので二十は歳上に見える。
 そのせいか、やたらとおせっかいで世話を焼きたがり、時々不愉快なほど上から目線だ。  
 「しかし、こんな季節はお寂しいでしょうなあ」
 「ええ、まあ。でも、気楽でいいもんだと思うことにしてます」
 私に妻がいないということを知ってからは、度々寂しさの押し付けをしてくるようになった。 
 「お一人になってからどれくらいになるんでしたかね?」
 田舎者はこんな不躾で普通は言いにくいことを平気で聞いてくる。
 でもそれもここで暮らしてきたら慣れた。
 私は質問には答えずにわざと暗い顔をして庭のすすきに思いを馳せるふりをした。
 「お暇ならこの辺りの史跡でも巡らはったらどうです?私ね、ボランティアで地元ガイドしとるんですよ」
 その話は何遍も聞いた。早く会話を切り上げたい。しかし、Iターン移住の成功の鍵は、地元の人たちとの適度な交流だ。 
 「いやー、風情のあるすすきだ。でも、すすき以外にあんまり見どころのない庭ですな」
  私は庭の手入れをこれ以上するつもりはない。秋にすすきが揺れ続けてくれたらそれでいいのだ。
 その時、ぼそぼそと聞き取りづらい声が風に乗って私の耳に届いた。 
 「なんておっしゃいました?」
 「はい?」
 男は不思議そうな顔をした。
 「あ、いえ、何か私に言ったかと」
 「いえ、何も」
 「声が聞こえた気がして」
 「私には聞こえませんけどね。ああ、すすきの声…といえば、この話は言いましたかな?」
 男は思わせぶりにこちらを見る。
 「小野小町のお話」
 小野小町といえば、平安時代の絶世の美女だったという。聞いたことがない。興味が湧いた。 
 「いえ、知りませんね。ぜひ聞かせてください」
 「この辺りに昔から伝わる、まあ、民話みたいなものなんですけどね。在原業平が…知りませんか、伊勢物語の主人公だった、平安時代のプレイボーイ…ご存じない…まあ、いいですわ。その在原業平が高貴な身分の人妻と駆け落ちしようとして失敗したんです。京都にいられんようになってしもて、追われるように逃げて逃げて、東北地方まで行ったそうです。あるすすきの野原を寂しく歩いていたら、どこからか声が聞こえてくる。よくよく耳を澄ませてみると、どうも歌を詠んでいるらしい。
 秋風のふくにつけても あなめあなめ
 これ、意味はね、 秋の風が吹くたびに ああ、目が痛い、ああ、目が痛い
 この上の句だけを繰り返して誰かが言っている。
 不思議に思って業平が声のする方を探してみると、草むらに一つのシャレコウベを見つけました。しかもシャレコウベの目玉のところからすすきが1本生えていて、風が吹くと骨に擦れるように揺れるんです。
 たまたまそこに村人が通りかかって業平に言ったそうです。『それは小野小町のシャレコウベですよ。昔は美人だったかなんか知らんけど、地元に帰って来てからは年を取って誰にも相手にされず、今は骨のまま打ち捨てられてます』って。
 在原業平はイケメンのプレイボーイだっただけやのうて、歌人としても有名でしたから、あのべっぴんで男泣かせだった小野小町が今はこんなになってしまったのかと不憫に思って、下の句を詠みました。
 をのとはいはじ すすき生けり 
 これがあの小野小町とは私は言いますまい ここにはすすきが生えるだけです 
 下の句を読んだら、シャレコウベはもう声をあげることはなかった、ということです」

 途中から胸の鼓動が早まっていくのが自分でもわかった。冷たい風に吹かれながらも額に汗が浮く。
 もう7年も前のことだ。

 私たち夫婦はうまくいっていなかった。いつものようにお互いを罵り合っているうちにエスカレートして、私は妻の首を締めたのだ。
 やがて妻はぐったりとして動かなくなった。
 とんでもないことをしてしまった。しかし、世間体を気にする私たちは表面上は仲良く見えたはず。誰にも気が付かれるはずがない。
 私は、車を走らせ、当時は空き地だったこの土地に妻の死体を埋め、明け方警察に捜索願いを出した。
 些細なことから口論となり、妻が着のみ着のまま家を飛び出した、車で一晩あちこち探したが見つからない、と。
 死体を埋めた場所をまた確認しに行くわけにもいかず、その後私はここをGoogleマップで検索してみた。暗い中知らない土地だったので、思ったより集落に近かったのは誤算だったが、どうせ過疎の町だ。誰もここには来ないだろう、と胸を撫で下ろした。
 だから、1年後に再びGoogleマップを覗いた時に思わず声を上げた。
「売出し中」の看板が出ていたのだ。
 土地を他人に買わせるわけにはいかない。いや、むしろチャンスかもしれない。
 
 こうして私は移住を決めたのだ。
 妻が眠る土の上には一面にすすきが生い茂っている。

 「どうかしましたか?」
 男が怪訝そうに私を覗き込む。
 「いえ、何も」
 「あなたもこの町がお好きで移住してきたんでしょう。町の図書館に地元の歴史コーナーがありますから、行ってみてください」
 余計なお世話だ。こんな田舎町など好きではない。
 「では失礼」
 ようやく男は立ち去った。 

 耳を澄ました。風がすすきの穂を揺らす。
 そうだ、よく聞いてみれば、人の声なんかじゃない。ただの綿毛が擦れる音だ。
 もう視線を感じない。最初から誰にも見られてはいなかったのだ。 
 全ては気のせいだ。
 こうやってありもしないものを怖がるすすきを使った歌があったな。 
 幽霊の正体見たり、枯れ尾花…だったか。

 すすきの穂が擦れる音に混じって、風に乗ってサイレンが聞こえた気がする。
 道の向こうから先ほど別れた地元の男が見慣れぬ男たちを伴ってこちらにやって来る。
 ああ、そういうことだったのか。 

 私は、一体誰の正体を見たのだろう。

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