「他者」を知ろうとして間違えること
こんにちは。ワークショップ・ファシリテーターの臼井隆志です。今日は「アートの探索」のコラムを更新します。
自分の仕事を言い表わす言葉についての悩みから、一冊の本を読んで得たヒントについてです。その本とは?
このマガジンは、アートワークショップの設計を専門とする臼井隆志が、ワークショップデザインについての考察や作品の感想などを書きためておくマガジンです。対話型鑑賞イベントの実施に加え、週1~2本、2500字程度の記事を公開しています。
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正直悩ましいのだけど、ぼくはnoteで赤ちゃんについて書いていたころ、赤ちゃんの人として認知されていた。
しかし、最近は「ワークショップ」「ファシリテーション」「対話型鑑賞」などをキーワードにしている。だが唯一の著書は「意外と知らない赤ちゃんのきもち」である。
どうすれば、アート、赤ちゃん、ワークショップへと分散したキーワードを接続できるのか。(あるいは、どうすれば分散したまま心地よく共棲させられるのだろうか)
「他者」を知ろうとしてエラーを起こすこと
ずっと探求しているのは「どうすれば私たちは他者と他者でありながら共に生きることができるか?」ということなのだ。
ファシリテーションとは「他者と他者との創発と合意」のプロセスだし、対話型鑑賞とは「アートあるいは鑑賞者という他者とあなたのギャップを知る」プロセスだ。赤ちゃんについて考え関わることもまた他者と生きようとするプロセスである。
いずれも、「私やあなたはどう他者なのか」を観察することから始まる。観察しながら他者のことを知ろうと探索し(あるいは探索するよう他者を促し)、探索の中でエラーを起こしながらいびつに踊る。
これが冒頭の「どうすれば、アート、赤ちゃん、ワークショップへと分散したキーワードを接続できるのか?」という問いへの回答だ。
さて、ぼくにこんな言葉を語らせるに至ったのはこの本を読んだことだ。
『伴侶種宣言 犬と人間の「重要な他者性」』
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