書評:『ホタルノヒカリBABY』
今回ご紹介するのは、綾瀬はるか&藤木直人主演ドラマの原作で「干物女」という言葉を有名にした人気漫画『ホタルノヒカリ』の続編です。
干物女だった蛍が、高野部長と結婚し、念願のBABYが誕生! 高齢出産を心配していた部長だが、母子共に元気で一安心。これから始まるグータラ蛍ときちっり几帳面な部長の初めての子育てとは・・・!? BABY目線で紡がれる(!?)、蛍と部長とBABYの『ホタルノヒカリ』新シリーズ開幕!!
ぼくは普段少女漫画を読むことは滅多にないのですが、この本は読まなければならなりませんでした。
なぜなら、この漫画の第2巻の巻末に、拙著『意外と知らない赤ちゃんのきもち』の名前が書かれているからです。
なんと、以前から作者のひうらさとる先生がぼくのnoteを読んでくださっていて、作品の参考にしてくださっていたのだとか。いやぁ、生きていると何が起こるかわかりません。
ね?嘘じゃないでしょ?
マジでびっくりしましたよ。
担当編集の方からメールをもらい、驚き急いで1巻をKindleで買って読み、ご献本いただいた2巻を大事に大事に読ませていただきました。
妻と娘が眠っているすきに、1ページずつ、ゆっくりめくって、声をこらえるのが大変なほど笑ったし、こっそり泣いたりしました。
男性保育士「三浦先生」
本当は一話ずつレビューしたいぐらいなのですが、どうしても書きたいことを2つあげるとすれば、1つは、蛍たちの息子「一(はじめ)」が預けられる保育園の「三浦先生」の話です。
三浦先生は、髭でメガネで髪の毛ぼさぼさの男性保育士。男性であるというだけで未だに「大丈夫かな・・?」と心配される世間にあって、ヘラヘラと楽しげ、シャツはヨレヨレ、髪はぼさぼさ、という不安要素。さらには、保護者の1人が偶然目撃した情報によれば、赤ちゃんたちのおもちゃを舐めてニヤニヤしていたとか・・・。
いったいこの先生が何者なのかは本編で明らかになります。
正直、男性で、赤ちゃんに関わるということで、警戒の眼差しを向けられたことが少なくないぼくにとって、「ああああ!!!!こんな風に描いていただいて!!!ありがとうございます!!!!!!!!!!!」という感謝しかない展開が待っていました。
三浦先生をめぐる話でブワッと涙が出ましたよぼくは。
登場人物であり、語り部である赤ちゃん。
そしてもうひとつ書きたいのは、赤ちゃんが登場人物であり、語り部である、という、この物語の最大の特徴です。
赤ちゃんの脳内は実は精神年齢40代で、直接会えばテレパシーで会話し、会っていないところでも脳内ツイッターで我が家の子育てを実況しており、保育園の友達とリプを飛ばし合っているという設定です。
この設定がとっても魅力的だし、物語を盛り立てる大きな力になっているなぁと感じました。
たとえば、1巻では、「部長」が育児と家事をメインにしながら仕事をする「主夫生活」にチャレンジするシーンがあります。その部長に対して生後数ヶ月の赤ちゃんはどうしても泣くことしかできず
「す すまん部長父
空腹 排泄以外にも何やら満たされぬものがあると
嗚咽が止まらぬようなのだ」
(ママ宮の場合パイで解決できるんだが)
と言葉を漏らすも、部長父は
「情けない・・・」
「我が子の鳴き声ひとつ解決できんとは・・・」
と挫折感を味わう・・・という展開があります。
2巻では、保育園で友達が、母親がしていたオムツに名前のハンコを押す作業を手伝おうとするが、逆にオムツを散らかしてしまい、遊んでいると勘違いされてしまったことを思い出し、悔し泣きをするというシーンがあります。しかも、周りの赤ちゃんも情動感染して泣いてしまうという。
保育士目線で見れば、集団で泣き始めてしまうよくある現象に過ぎないのですが、この物語では、赤ちゃんたちなりに大人に協力しようとしてできないという葛藤が描かれているところが素敵です。
赤ちゃんと大人、交わらない2つの気持ちが重なる奇跡
そんなふうにして赤ちゃんの事情と、大人の事情の交わらなさを面白おかしく描かれていきます。
しかし、白眉は、各巻の最後に、語り部としての赤ちゃんと登場人物としての赤ちゃん、そしてドタバタする部長と蛍、それぞれのきもちが重なる瞬間が描かれるところです。そしてその瞬間が、とっても感動するんです。
赤ちゃんの感情と行動、そして親たちの感情と行動が、予想しなかったかたちで偶然に重なり合う。面白くておかしくて、驚きもあって、いやぁ、よかった・・・。(ボキャ貧)
具体的には是非本編を読んでみてくださいね!
よく考えたらこの展開、少女漫画でよくある展開を活用しているのでは?と思いました。
たとえば告白のシーン。あるいは「好きだ」といわれて自分でも思ってもいなかった言葉を返してしまうシーン。主人公がこれまで脳内で妄想していたけれど、それが現実に現れてしまう瞬間。これに似ているんですよね。
主人公(赤ちゃん)の心の中でぐるぐるしていた感情が、相手(親)に、偶然、勢い余って、不意に伝わってしまい、相手の気持ちも混じり合って、ハッとする情景が生まれています。
これまで、恋の物語をたくさん描いてきたひうら先生だからこそ、こんなにも情感たっぷりに、赤ちゃんのきもちと大人のきもちの交わる奇跡を描けるのかもしれません。
語り部が物語に介入する瞬間
思い返せば、「すまん部長父!」と謝ったり、ハンコを押すのを手伝えなくて泣いたりしている赤ちゃんたちは、親たちの物語の協力者になれなくて、悔しくて泣いていることが多いんですよね。
ぼくがこの物語を好きになってしまったのは、「赤ちゃんは本当はいろんなことがわかっていて、大人たちの会話の意味や雰囲気もよくわかっているけれど、自分の気持ちを伝えたり、行動したりする手段がまだない」という世界観があるからです。この前提に、すごく共感しました。
余談ですが、「これ、もしかしてあれと似てるかも?と思ったのは、舞城王太郎『淵の王』の構造です。
『淵の王』は「1.5人称」と言われる人称で、主人公の背後霊的存在がナレーターとなり、主人公に向かって語りかけるように進んでいく物語です。
たとえば、こんな感じ。
「何となくだけど、俺はずっと君と同い年だと思ってた。俺は君のことしかしらないし、君とずっと小さい頃から育っていて、と言うよりふと気付くと気見といて、俺は君のいる世界から、君の見るもの聴くもの触るもの、そして君と話した人から全てを同時に学んできたのだ。」
(第二章「堀江果歩」の冒頭より)
こんなふうに「語り部」は、登場人物の行動に同意したり、驚いたり、慌てたりします。この語り手が優しくて、かわいくて、そして勇敢です。主人公の行動に手出しできない語り手が、最後の最後に決死の介入をしようとするシーンがもう最高に最高なんですけど、それにちょっと似てるなと。
この『ホタルノヒカリBABY』では、どんな文脈で、語り部である赤ちゃんと、登場人物である赤ちゃんと、そしてドタバタする蛍や部長と、それぞれの感情が重なり合う瞬間が訪れるのか。ぜひ読んでみてほしいです。
恋でも達成感でもない、特別なときめき
この物語全体を通して描かれるのは、部長と蛍の2人のドタバタ育児劇であり、息子一のドタバタ成長劇です。3者ともにうまくいかない葛藤が描かれながらも、ふとしたときにあっけらかんと「こんな感じでいいんじゃない?」と優しく肯定してくれる優しさがあります。
そもそも、この『ホタルノヒカリ』という作品自体が「干物女」という言葉を生み出し、「それもあっていい」と肯定する作品だったわけで。
ぼくもいま育児をしていたり、これまで赤ちゃんと仲良くなったりしてきていますが、そのとき、言葉を語らない赤ちゃんと心が通じたように感じる瞬間があります。
『ホタルノヒカリBABY』は、恋のときめきでもなければ、なんらかの達成感でもない、赤ちゃんとの間にある特別なときめきを感じさせてくれ、読者の感情を肯定してくれる物語です。
偶然、予期せぬ瞬間に訪れるあの独特な感触のときめきを描きだす、物語の力を感じます。
オススメです!
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ひうら先生、講談社のみなさま、この度は本当にありがとうございました。物語の続きを楽しみにしています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。いただいたサポートは、赤ちゃんの発達や子育てについてのリサーチのための費用に使わせていただきます。