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ちゃんとしなくていい路上の歩き方 ー2歳児の散歩にみるアフォーダンス

ちゃんと歩きなさい!

親であるぼくはこんなふうに子どもに言う。

ちゃんと白線の中を、ちゃんとまっすぐに、ふらふらせずに、目的地に向かって歩けと子どもに命ずる。

しかし、そんなふうに歩くことの何が面白いのだろうか。

子どもが路上を歩くとき、ところどころで立ち止まってなにかに触れたり、登ったりジャンプしたりときに走ったりして、およそ「ちゃんと」していない。

いったい、この「ちゃんとしない路上の歩き方」のなかには、どのような遊びが埋め込まれているのだろうか。路上のどのようなものに誘発されて、この人は遊び始めてしまうのだろうか。ぼくがもし「ちゃんとしなくていい」という態度で一緒に散歩したら、この子はどこまで遊ぶのだろうか。

そんな問いがふと心に湧いてきたので、散歩中の様子を写真に納めてみることにした。スマホのカメラをオンにしたまま右手で持ち、目と耳で周囲の自動車や自転車の気配に注意をしながら、子どもが「ちゃんとしていない」瞬間に向けてシャッターを押した。

ちゃんとしなくていい散歩

昼寝から早く目覚めた娘に「散歩でも行く?」と呼びかけた。散歩や公園に行くことが大好きで、娘がアンパンマンのキャラクターとして登場するなら「お出かけマン」として出てくるだろうと、妻とよく話している。

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「リカちゃんと一緒にいく」といって、2歳の誕生日に叔母からもらった人形を手に持って出かけた。

自宅のアパートの階段をおり、少し歩いたところにある横断歩道をわたる。信号がないのでハラハラする。

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住宅の脇に咲いている花をみて「パパはどれが好き?ママはどれかな?」と会話をする。自分はピンクが好きなんだと言う。手袋ごしに、花びらに触れてみる。

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道の脇の砂利をみつけて、踏みつける。そして、目に留まった「いいかたち」の石をひろい、ぼくに手渡す。静かに、これを数回繰り返す。

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ちょっとした段差があれば、すかさず登る。自分のからだがすこし大きくなったように感じるのだろうか。

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駐車時にスムーズに自転車を運べるようにするこのブロック、「段差プレート」というらしい。

踏んでみるとすこしブロックが動いて「ガタン」と音がする。そして体も揺れる。そのフィードバックが面白いのか、段差プレートを見つけると繰り返し乗って歩く。

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レンガや、外壁の模様にもよく触れる。スイッチをおすように触れることもあれば、凹凸をたしかめるようになぞることもある。何か、壁を別のものに見立てているのだろうか。それとも多々素材を確かめているのだろうか。

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そして、穴があれば覗く。

写真に収められなかったが、道の脇の排水溝を覗き込んだり、拾った砂利を投げ込んだりしている。道路の下には水が流れている。川もまた、排水溝とつながっている。そのことは、歩いていればなんとなく直感される。道路の下に流れる見えない水を目で確かめられる時間は、貴重なのかもしれない。

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斜面があれば、身体の加速度を味わわんばかりに走り出す。

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名前の知らない草がしげっていて、咲いている花をむしり取る。

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地面に埋め込まれた石を触る。

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埋め込まれたビー玉を見つけ、自分のものなのに、取れない!と主張する。(リカちゃんはここに置き去りにされそうになった)

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自転車が迫ってくる。「あぶないから道の端にいこう」とぼくがすぐさま声をかける。

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ベンチで一休みする。

そしてまた駆け出す。

恐ろしい路上

駆け出した先で散歩中の犬に吠えられ、大泣きする。抱っこを要求されたので、抱きかかえて家に帰る。路上を我が物のように触れ、さまざまなモノと戯れた散歩は、一匹の芝犬の咆哮によってあえなく終了した。

散歩をふりかえってみれば、ぼくも終始、自動車や自転車の気配にビクビクしながらも、娘の活動をさまたげないよう配慮していた。

そう、路上はまた恐いものでもあるのだ。

路上から考えるアフォーダンス

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こうしてみてみると、路上にはさまざまな線やかたち、段差がある。さまざまなものが行為を呼びかけてくるので、娘は次々にそれに応答しているのだ。

ギブソンの生態心理学の言葉で言えば、路上のあらゆるモノたちから「アフォーダンス(行為誘発性)」を抽出している。

この線をジャンプして超えてみる。マンホールの円のなかに入ってみる。段差プレートに乗ってみる。地面から遊離した砂利を拾い集めてみる。壁面に付着した凹凸に触れてみる。地下に流れる水を感じる。斜面を駆ける。

名称未設定のアートワーク 8

こうしたあらゆるモノたちへの応答の連鎖が、娘にとっての散歩なのだった。それはぼくが思っていた以上に、刺激に満ちた探索活動だった。今度からは、いいアフォーダンスを探しに出かけようとおもう。

路上における遊びの居場所とはいかなるものか

こうしたアフォーダンスは、子どもならではのまなざしによって引き出されるのだろうか。

たとえば、スケートボーダーや、ストリートアーティスト、あるいは自分の敷地をはみ出して園芸をしてしまう人は、もっと別の仕方で路上での自由の可能性を楽しもうとしているかもしれない。

ぼくがエディターチームの一員として関わっている雑誌「Tired Of」には、そのような「ちゃんとしなくていい路上」のさまざまな実践が綴られている。

「ちゃんとする」という常識にとらわれない、思考と行動の世界にふれる、オムニバスになっている。娘との散歩を通じて、路上の可能性を身を以て感じたこともあり、あらためて「Tired Of」を手にとって読むのが楽しみになった。

特集『ちゃんとしなくていい路上。』
008 [Interview]ストリートプレイのための条件_Alice Ferguson、嶋村仁志
020 [Report]あたらしい日常のための非日常_於:松陰神社通り商店街
030 [Dialogue]余儀なくされた関係が道をひらく_久保健太、溝口義朗
048 [Interview]身体を通じて都市に刻む_田中研之輔
056 [Interview]スケートボーダーに出会った。_大畑翔
074 [Column]アムステルダムの路上に「東京」を衝突させる遊び_木原共079 [Interview]見つからない。あと、事故らない。_菊地良太
084 [Photograph&Column]植物には関係ない。_村田あやこ
090 [Essey]「つついさん」_狩野ワカ
044、072、088 [Play]Just 1 Thing_Playfool
106 [Column]趣味のささいな、でも偉大な芽生について_杉山昴平
112 [Column]ココロ、此処に在らず_臼井隆志
118 [Artwork]After I Left_EI
124 [Voice]Good Day?
127 [Table talk]注釈の多い座談会_松永伸司、桐田敬介、渡辺龍彦
136 [Photograph]反射する袖幕 _山本華、柿沼キヨシ
145 [Manga]「換気扇」_川勝徳重
154 [#]「名のない遊び」図鑑 



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