オンラインで抽象画の対話型鑑賞やってみた
7/25(土) オンライン対話型鑑賞イベントを開催しました。
今回は抽象絵画の大家、ヴァシリー・カンディンスキーの初期の作品を扱いました。
今日はその対話のなかで発見された3つの点について書きます。
1. 「パレイドリア効果」を引き起こす抽象画
みなさんもぜひ、こちらの作品をじっくり見てみてください。
タイトルを意識せず、ボーッとみてみるといろんな形状が見えてくるようです。たとえばこんな感じ👇
「真ん中にピエロの顔が見える」
「お茶碗に見える」
「顔のついた新幹線みたいなものがある」
などなど。
「え?ん?どういうこと?」と、お互いに見えたものを共有していきます。
みなさん、最初はぱっと見で想起したものを語ってみたようです。
こんなふうに目や耳からの感覚刺激をもとに、実際そこにそれが描いてあるわけではないが見知ったパターンを思い浮かべることを「パレイドリア(英: Pareidolia)」と言います。
これは、心理現象の一種で視覚や聴覚による刺激から、普段からよく知ったパターンを本来そこに存在しないにもかかわらず心に思い浮かべる現象のことです。
見知ったパターンとはつまり「ピエロ」「お茶碗」「顔」「新幹線」などです。
抽象絵画をぱっとみた印象から瞬時にさまざまなものを連想する人間の認知能力の強さに驚きます。
一方、タイトルが最初に目に入った方、あるいは冒頭でぼくが「Impression Ⅲ(Concert)という作品です」と言ったことを気に留めていた方は見方が違ったようです。そのタイトルから「コンサート会場」のイメージをこの絵に重ねたため、そうとしか見えなくなっていたという感想がありました。
タイトルについての言及が場に共有されてから
「あ、コンサートっていう情報見逃してた」
「そう言われてみると、なんとなくそう見える」
といった感想も聞こえました。
2. このコンサートで描かれているのは舞台か、客席か
とはいえ「コンサート」という感想によって全員の見方が一致したわけではありません。
たとえば、この対話のなかで「この絵のどこが舞台で、どこが客席か?」という問いが生まれました。
この絵全体がコンサート会場を描いたものだとすると、画面・左・中央部に描かれた突起状のものや赤茶、濃紺、黄色、赤に塗られたかたちから、なんとなく「人」とその集まりを想起します。
その点は一致しているのですが、興味深い見方の違いが現れました。それは、「ここにいる人々は観客か、それとも演者か?」というものです。
これはファシリテーターをしていたぼくにとっても驚きでした。ぼくは、この黒いものをグランドピアノだと思っていたからです。しかし、演奏者であるとする意見もわかります。
参加者の意見はこんなふうでした。
画面左端の黒い直線部分がピアノなのではないか?
その手前にいる人々はなんらかの楽器の演奏者で、服や顔の色が違うのは、音色の違いを表現しているのではないか?
画面右側を覆う黄色の部分の筆跡が、中央から外側に流れるように描かれているように見える。この流れが音の流れなのでは?
といった感想が語られました。
3. この絵画が描いているのは、楽しさか、不安か
また、もう一つ興味深かったことが、この絵のもつ「楽しさ」と「不穏さ」の双方についての意見があったことでした。
その背景には、ぼくが作品について情報を提供したことがあるかもしれません。この作品が描かれたとき、カンディンスキーはドイツのミュンヘンにいて、第一次世界大戦が始まる3年前だったという情報を提示しました。
この情報によって、「ドイツ」「第一次世界大戦」というキーワードが、なにかしらのイメージを想起させたのでしょうか。
左上の赤や青から、不穏な空気を感じる。戦争の爆撃や人々の不安のようなものなのだろうか?
真ん中の黒い部分が何か無情なものを感じさせる
右下の黒とグレーの色はなぜ塗ったのだろう?かならずしも、コンサートの楽しい雰囲気だけを表現したものじゃない気がする。
このような感想も見られました。
作品を構成する要素が持つ「力=緊張」とは?
今回の対話では、作品に描かれた部分に対して、見方によって意味が反転する面白さがありました。つまり、絵画の要素の意味が、他の要素とどう関係付けるかによって変わっていくのです。
たとえば、真ん中の黒い部分を「グランドピアノ」だとすれば左側の突起や赤や青の形状は「観客」ということになる。また他方で、左端の黒い線で描かれたものを「ピアノ」だとすれば、左側の突起は「演奏者」ということになる。
あるいは、この絵画が「戦争の不安」を投影して描かれたものだとすれば、左上の赤い部分に「戦火」や「不安」を見出します。しかし、もしこの作品の背景に別のアクターがあるとすれば、解釈はまた新たに変わったかもしれません。
作者であるカンディンスキーは、著書『点と線から面へ』のなかで、このように述べています。
絵画作品の内容を具体化するのは外的な形態ではなく、この形態の中に生きている力=緊張である。(中略)作品の内容はコンポジションにおいて、つまり、そこに必要な緊張の内的に組織された総体において表現されるのである。
「作品の構成要素がどんな形をしているか?」ではなく、「その形のなかにどんな力が宿っているか?」を鑑賞せよ、という言葉であると読み取れます。そしてその「力」は「緊張」という言葉で表現されています。
言い換えるなら、かたちとかたちの間にある張り詰めた関係性の糸のようなものでしょう。要素間の緊張関係が、形や色に「温度」や「感情」、「運動感」といった生命感をもたらすのだと考えることができます。
こうして考えると、やはり、カンディンスキーの作品は個々の要素を「アクター」とする「ネットワーク」を画面上に表現しているのだと考えることができそうです。(下記記事参照)
次回の対話型鑑賞でもまた、カンディンスキーの作品をめぐって対話していきたいと考えています。
次回は8/29(土)の開催を予定しています。お知らせをお楽しみに。
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