アートエデュケーションにおける「両利き」のねじれ
4月が、風のように過ぎ去ってしまった。寒い日と暑い日を交互に繰り返す、なんだかヘンテコな4月で、終始調子の出ない月になった。
加えて、娘は幼稚園に入園するやいなや風邪を引き、その風邪が息子に移り、気管支炎で深夜に病院に行くなどバタバタとした対応をした。花粉症の対策にハーブティを飲み始めたこと、4月の終盤に寝具を変えてみたことで、体調が上向きになってきた感じがあるものの、いやはや、なんだかパッとしない1ヶ月だったなと思っていた。
YCAMチームが(非公式に)立ち上げたアートエデュケーションYouTube
ところが、ある時ふいに、調子を取り戻すきっかけがおとづれた。それはYCAMのエデュケーションチームが任意で立ち上げたYouTubeチャンネル「みてみんとす」の「対話型鑑賞」に関するYouTube番組が立ち上がったことだった。
対話型鑑賞はずっと以前から、やってみないとわからないものだと言われ続けていた。わかる人にしかわからない、良さの伝わらない活動とされてきた。それを打開する一筋の光を描き出した、パンクな活動だと思った。
この動画を編集したのはYCAMのエデュケーター山岡大地さんで、初めて会ったのはいつだったか忘れてしまったが10年ぐらい前だろう。初めて会ったときに初めて会った感じがしなかったので、ずっと友達だったと思っている。しかし、実際に対面であった回数なんて10を下回るほどで、山口で数回、東京は新宿で数回程度だ。だが彼とずっとなにか同じ関心を分かち合ってきた感覚で仕事をしてきた。そんな彼がはじめたものが、対話型鑑賞の文化をYouTubeに持ち込むことだったので、これは最高だ!と思って連絡した。
すると山岡さんからもリプライがあり、すぐにZOOMでおしゃべりをすることになった。そのときをきっかけに、アートエデュケーションの実践に関わる人たちの溜まり場としてDiscordのサーバーが立ち上がり、日夜関心を分かち合える場ができあがったことは、ぼくにとってとても幸運だった。
アートエデュケーターのキャリアについて
Discordでのやりとりを通じながら、ここ数日ぼくのあたまのなかには「アートエデュケーターとは一体誰のことなのだろうか?そしてその人たちには、どんなキャリア形成が可能なのだろうか?」という問いたちがぼんやりと頭に浮かんでいる。
このnoteにも書いたが、「アートエデュケーター」とは、もともとは美術館の教育普及の役割の名称として存在しているが、学校で美術を教えるいわゆる美術科教育の実践者はもちろん、演劇ワークショップを実践する俳優や演出家の方、本業はアーティストだが教育に高い関心を持っている方、デザイン教育やSTEAM教育に関わる実践者の方も広義のアートエデュケーターだとぼくは考えている。地域の絵画教室やダンス教室の講師・主宰者もそうだろう。美術予備校の先生もそうかもしれない。
改めてこうしてリストアップしてみると、アートエデュケーションの目的はビジネスや営利ではなく、芸術の公共性の探究だ。芸術がより多くの人の生をエンパワーするものであるために、芸術を見たり、芸術表現を実践したりする機会を社会の中に生み出していくことが目的なのだと感じる。
それ自体は素晴らしいことであり、共感もするのだが、逆にその純粋さにとらわれてしまうのも少し怖く感じることもある。
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