公園型ワークショップ『家 Yeah Park』ができるまで
札幌にて公園型ワークショップ「家 Yeah Park」のプログラムデザインを担当した。アーティストの深澤孝史さんとのコラボレーション企画である。今日はこのプロジェクトの制作過程を書いてみようと思う。
家 Yeah Parkとは?
「家 Yeah Park」とは、札幌市内の商店や工場から譲り受けた廃材を用いて、子どもも大人も自由に遊べる「公園」である。この場所では、廃材を「ガラクタさん」と呼ぶようにしている。
子どもたちはここで、段ボールを用いて家をつくったり、つくらなかったりして過ごす。大人もまた、自分で家をつくったり、子どもをサポートしたり、サポートしなかったりして過ごす。
冒頭に3分ほど説明の時間をつくり、最後の片付けの時間以外、参加者はおもいおもいに過ごす。この場所を運営するファシリテーターもまた、子どもの遊びの世界に入り込んだり、訪れた保護者とおしゃべりしたりしてのんびりと過ごす。
「家 Yeah Park」の制約・見立て・前提
自由に遊べる公園といえど、制約がいくつかある。遊べる時間は90分で、定員は大人と子どもを含めて15人までという運営上の制約がある。そして道具も制約されている。廃材を加工するためのハサミやノリ、ボンド、あるいはペンやクレヨンなどの用意はない。
参加者には、この場所の一つの見立てを伝える。それは「ここはあなたの家であり、みんなの公園である」ということだ。参加者は、段ボールを使って仮設的な家(半家)をつくることで、自分の敷地や使用物であることを表現できる。
そして、2つの重要な前提を伝える。それは「この空間と道具は、あなたのものであり、みんなのものである」ということと、「やりたいことをやってよいし、やりたくないことをやらなくてもよい」ということである。
どのようにしてこの企画をつくったのか、その経緯をここに書いておく。(公共性・公益性の高い内容なので、本記事は無料公開とする。この内容を踏まえた考察は有料記事として書く)
企画の経緯
このプログラムは、毎年秋に札幌文化交流センターにて開催される『さっぽろアートステージ』というフェスティバルの一環として行われている。市民にとっての「アートの入り口」をコンセプトとするこのフェスティバルにおいて、子どもを対象としたプログラムを開催する。
2019年6月、札幌文化交流センターの渡部さん、CAIの佐野さんより連名で、依頼のメールをもらった。その後、オンラインで打ち合わせをする。
打ち合わせでわかったことは「子どもたちの思い思いの創作表現が楽しめる"フリーアトリエ"のような場をつくってほしい」という思いと、「札幌で子ども向けにワークショップをしたい人たちに、ワークショップデザインやファシリテーションの方法論をしてほしい」という思いだった。
これに対して、ぼくは「ファシリテーターを公募する」「アーティストとのコラボレーション企画にする」というアイデアを返した。
札幌文化交流センターの担当の方にぼくを紹介してくれたのは、札幌在住のアーティストの深澤孝史さんだった。ぼくは以前から少し交流があり、その活動を応援していたので、彼とのコラボレーションを希望した。奇跡的にスケジュールが空いていたため、実現に至った。
なぜ「公共性」か?
7月から8月にかけて、深澤さんやスタッフの方々との度重なる打ち合わせを通して「公共性」をコンセプトに据え、「家で1人でやるような遊びを、みんなでやる場」を構想していった。
奇跡的に横浜で集まるスケジュールができ、深澤さんは大阪から、渡部さんは札幌からあいちトリエンナーレ経由で、ぼくは千葉から神奈川芸術劇場で集った。
山東で餃子を食べてから、フレッシュネスバーガーでタピオカを飲みながら、札幌の都市構造の話からクレア・ビショップ『人工地獄』の話をして、最終的に『家 Yeah Park』という名前が決まった。
深澤さんは「公共性」という概念に強い関心をもつ作家である。「公共性」の考え方の一つに「余計者をつくらない」というものがある。
「子どもの遊び」は大人中心の社会にとっては余計なものである。そして同時に、廃棄される予定だった「廃材」もまた余計な物である。余計な活動と余計な物を中心に据える場をつくろうと考え、「家 Yeah Park」の活動は生まれた。
その後、渡部さんを中心に廃材の収集が始まった。
札幌市内の商店や工場から集められた。これは以前札幌文化交流センターで、大月ヒロ子さんをゲストに開催された「クリエイティブ・リユース」のワークショップで培われた関係をもとにしている。そのときのフィールドワークでさまざまな商店や工場におもむき、関係を築いたことが土台になっている。その結果、ピアノのハンマー、額縁のサンプル品、シールのB品、ハンガー、梱包シート、製造前のハンコ、ボタン、机の天板などが集まった。
ファシリテーターの公募
2019年9月23日(月・祝)、公募によって十数名のファシリテーターが集い、深澤さんと臼井による説明会を行った。普段の仕事で幼児教育事業をされている方や、障害のある子どもの福祉の仕事をされている方、エンジニア、デザイナーなど、多種多様な方々が集った。
説明会では、ワークショップデザインの基本的な考え方をぼくからレクチャーし、それに重ねて深澤さんの過去作品と『家 Yeah Park』のプラン説明を行なった。それぞれのフェーズで、参加者からの意見や質問を募り、対話をしていった。
「公共性の実現のために、誰も排除されない空間を作りたい」という思いを共有したうえで、「どうすればこれは実現できるのか?」「こんな場合はどうするのか?」といった疑問が飛び交う。また「これがなぜアートの入り口なのか?」という問いも浮かぶ。とてもいい対話の場であった。
その後、10月にはぼくが考えたプログラムの原案をもとにテストワークショップを開催してもらった。
そこででた疑問を受け取りながら、ぼくは悶々と考えていた。
「半家」という方法に至るまで
11月1日(金)、ついに札幌入りする。このときまで「どうやって子どもに家での遊びを公園でやってもらうのか?」という課題が解決していなかった。子どもたちに「家での遊びを再現してね」という投げかけをしたところで、楽しい活動がスタートするイメージが湧かなかった。
ぼくが会場入りしたとき、スタッフの方々が段ボール製の家をつくってくれていた。廃材を置く場所にするのか目的は決まっていなかったが、タイトルに「家」って書いてあるし、つくっておくか!というようなノリだったのだと思う。
それをつくる過程を見て、ぼくが子どもだったらこの「家づくり」がやりたくなってしまうだろうなと思った。段ボールで家をつくるなんて、どうやったって楽しい。
しかし、屋根をつけて、壁を立てて、装飾していたら、時間がかかりすぎてしまう。そして何より、個室ができてしまい、個の空間に閉じてしまい、公共性というテーマから遠ざかってしまう。
そのとき、ダンボールの切れ端をみて「半分だけ家にすればいいのではないか?」と閃いた。パーテーションのように壁を立て、それを家であると「見立てる」というアイデアだ。ゆるやかな半公共・半私有の場をつくれたら、そこに集めた「ガラクタさん」は、「自分のものだとする」ということを表現できる。ゆるやかな交流も起こることもイメージできる。
「私的な空間・活動を公共の場で共有する」というコンセプトを体現する「半分家」という方法ができあがった。
余談だが、このアイデアは、我が家で娘の活動域を制約するためにパーテーションを用いてキッチンを区切っていることや、演劇カンパニー「チェルフィッチュ」とのワークショップで、子どもたちに「半分透明になるには?」と問いかけたことの影響を受けている。飴屋法水さんの「演劇とは、半々である」というトークセッションも想起した。
『家 Yeah Park』いよいよオープン
前日の夜遅い時間まで準備に準備を重ね、当日を迎えた。結果として、とても素朴で豊かな遊び場ができあがった。
この場所とここにあるものは、みんなのものであり、自分のものでもある。やりたいことをやっていいし、やりたくないことはやらなくていい。ただし、身体や心への暴力によって誰かを排除するようなことはないように配慮する。
段ボール板をつかって「半分家」をつくれば、自分の家/ものであることが表現できる。だがそれも、やってもいいしやらなくてもいい。では、はじめよう。
こんなふうに促してみると、即座に子どもたちは思い思いに自分の「半分家」をつくりはじめた。同じようにつくる大人もいれば、手伝いに徹する大人もいるし、手伝わない大人もいる。
やっていることだけを見れば、廃材を使って家をつくる遊びであり、その風景自体はどこにでもある。
ただ、これは深澤孝史というアーティストの「公共性」への強い関心から生まれたものであり、同時に「信仰」への関心も垣間見える。というのも「ガラクタさん」という言い方は、廃材をゴミと呼ぶのではなく、ある種の「信仰」の対象としてとらえた呼び方でもあるからだ。
もし、このnoteを読んだり、現場を見たりして「公園型ワークショップか!真似してみよう!」と思っていただけたとしたら、「公共性」への強いこだわりと、「信仰」や「見立て」というものへの敬意から生まれていることを承知いただきたい。
開催は下記日程で!札幌にいらっしゃる方は、ぜひ遊びにいっていただきたい。
次回の記事では、この体験を踏まえて、「展覧会/公演」から「公園」へ、というテーマで記事を書いてみようと思う。
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