クレア・ビショップ『人工地獄』を解読する ー敵対性について
ここ1週間ほど、参加型アートの歴史について、あらためて自分なりにまとめてみようと、クレア・ビショップの『人工地獄』を読み返していました。「参加型アートに対して、どんな批判があるんだっけ?」と考えた時に、まっさきに思い浮かんだ本書の内容を、何回かの投稿に分けて、カジュアルにまとめてみます。
「その実践、アートとしてどうなの?」を考える手がかり
ぼくは「アートエデュケーター」という肩書きを用いて、アート作品を活用した対話型鑑賞やアーティストとのワークショップを設計しています。その目的には、参加者の学習やらエンパワメントやらいろいろとあるわけですが、アートという言葉を用いる以上、「それらの実践がアートにとってどうか?」ということについて説明できるのが理想です。
アートとしての実践を言葉にするときに、いつも手がかりにしているのがクレア・ビショップの以下の言葉でした。
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