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【カンボジア🇰🇭ひとり旅】カンボジアの悲しい過去

10数年ぶりのカンボジア
チョムリアップスォ♪
12/25-29日でカンボジアの首都プノンペンに行って来ました!

ホテルからの景色

カンボジア渡航は2回目。
プノンペンがこんなにも発展してるなんて想像もしていなかったので朝起きてこの景色を見て驚きました!

今回はカンボジアに帰国した学習者さんに会うためとNPOのイベントで販売する現地のモノを調達しようと思って来ました!
そしてもう一つカンボジアについてもっと詳しく知りたいと思って学びに来ました!

ポルポト時代
日本にはインドシナ難民が多く入って来ました。
今教えている40〜60代のカンボジアの方々は皆さんそのインドシナ難民として日本に来た方々です。

【ポルポト政権の大虐殺】
これはとても有名な話ですが実際に何でこんなことが起きたのか?私は全く知りませんでした。
そのため今回どうしてもトゥールスレン虐殺博物館とキリング・フィールドに行きたかったんです。

※見て来たもの、事実をそのまま載せています。骨などの写真等がありますので、閲覧ご注意ください。

【トゥールスレン虐殺博物館】

トゥールスレン虐殺博物館の入り口

私が泊まっているホテルから徒歩15分という街の中心にあるこの博物館はプノンペンを訪れたら是非行ってもらいたいです。

こちらがその場所です。

博物館には収容された人々の写真が展示されています。
子どもも女性も多く収容され、殺されました。
また収容所の中で死にゆく者もいたそうです。

学校であった場所が刑務所へと変わった
最後にここで殺された14人の墓地
最後にここで殺された人たちのベッド

案内してくれた友人のTakさん。
彼は日本語ガイドをしていて昔シェムリアップに行った際に知り合いましてた。
彼はここを見る前に歴史について教えてくれました。

トゥールスレンは4つの建物がある

【Takさんの話】
「ポルポト大虐殺」を語るにはまずベトナム戦争から語らなければならない。
ベトナム戦争はベトナムが勝利した。
それにはカンボジアも大きく関わっている。
ベトナム戦争中にカンボジアの王がベトナムに程近い領土を貸すことを許した。
そしてベトナム人がカンボジアにたくさん入って来てカンボジアでもベトナム戦争が起きた。
そしてベトナム戦争が終結後、領土は戻され、多くのベトナム人もカンボジアに残った。
そして人民党と結託し、クーデターを起こしポルポト政権が力を増していった。
ポルポト首相は悪い人ではなかった。
しかし、上へと上り詰めたいと思うベトナム人の幹部らが国を治めたい欲のために大虐殺を決行した。
国民は逆らうこともなく、ひたすら働いた。
反対するもはその場で殺され、それは子どもも女性も関係なかった。

逃げないように鉄条網で囲んでいる
逃げないように足を鎖で繋いでいた
整列する際に番号のところに立たせた
収容所の様子
各ブロックに数字がふられている
この収容所でのルールが書かれていた
ルールの内容
実際に使われた拷問の柱とかめ
ここで殺された方々の骨が展示されている
穴が空いているのは銃で撃たれたもの

もともと学校だったこの場所が突然刑務所へと変わり、悲しい場所へとなりました。
この収容所に運ばれた人々は拷問を受けた後、少し離れた場所へと移動し、処刑されました。
その跡地がキリング・フィールドです。

【キリング・フィールド】

トゥールスレン虐殺博物館からトゥクトゥクで約30分。
そこにキリング・フィールドがあります。

キリング・フィールドの入り口

私が行ったこの日も多くの観光客が訪れていました。

トゥールスレンからトラックで運ばれて来た人々はここで毎日殺されていました。
一つのトラックに大体40名程度。
大きな穴を掘り、目隠しした状態で一人一人首を切り殺していったそうです。

丈夫な木の皮を鋭く磨き鉈として使った

キリング・フィールドには穴がポコポコとあいています。この穴から殺された方々の骨が出てきたそうです。

凹んでいるところは骨を回収するため掘り起こした

各穴から何人の人が埋められていたかも全て記載されています。

450人の犠牲者の骨が出てきた
166人の犠牲者の骨が出てきた

まだまだ掘り起こされていないエリアも多く残っています。
また、赤ちゃんや小さな子どもを殺す際は足を持ち、木に頭を何度も打ち叩き殺したと記されていました。

埋められている骨
当時のまま残されている
衣服だけでかく骨も多く残っている
子どもたちが殺された木
たくさんの飲み物とミサンガで供養されている
土の中から出てきた衣服

キリング・フィールドのゲートを入ると正面に供養塔があります。
そこにはここで発見された何百もの遺骨が収められています。

供養塔
「私たちは民主カンボジア政権が犯した過去を決して忘れてはいけません」と記されている

Takさんが回っている間何度も繰り返し言っていました。

「なんで同国人同士で殺し合わなければいけないかのか?理解できない。悲しすぎる。」

カンボジアの今
昨年の選挙で新しい首相が誕生しました。
この大虐殺に関わった幹部の息子であり、父からバトンを渡されて親子2代で首相となりました。
カンボジアはまだまだ民主化されたとは言えない状況と言えるそうです。

教えている学習者の中にも実際に難民として日本に来ている方もいます。

彼らと向き合うために実際に何が起きたのか、何が起きているのか目で見て学ぶことは大切であると思っています。

私たちにできることは一つしかありません。
それは【日本語を学ぶためのサポート】です。
しかし彼らが置かれている現状を知ることはとても大切です。

今回学びの多い旅となったこととても嬉しく思います。

案内してくれたTakさんありがとう!
また会いましょう(^^)

最後まで読んでいただきありがとうございました♪オークン🙏

解放された日、子ども達を支援する収容所の看守たち

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