「木彫刻のまち・井波」に魅せられた建築家が住まいながら地域循環経済をつくるまで——Bed and Craft 山川智嗣氏に聞く、〈職人〉と〈まち〉
「街づくり」はとても複雑なものです。
住民はもちろん、商いを営んでいる人、デベロッパー、行政……さまざまな主体の活動の上に成り立っています。各々の活動はお互いに何らかの影響を与え、結果的にまちという姿で現れます。そう考えると、それらの主体自身が街づくりを意識することから、本当の街づくりが始まるのではないでしょうか。
総務省の住宅・土地統計調査によると2018年時点で全国の空き家率は13.6%、実に約7戸に1戸が空き家という過去最高の水準を記録しました。加えて人口減少、市町村合併、施設の老朽化により使用されなくなった役場や学校を始めとした遊休公共施設も年々増加しており、小中学校を対象に文部科学省が行った調査では、2018年から2021年の間に約1,000校が廃校になっています。
NTTアーバンソリューションズ総合研究所にも、こうした「まちの使われていない場所をどうすれば上手く活用できるだろうか?」といった相談を寄せられることがよくあります。しかし、「活用すること」を目的に、ただ看板を付け替えて再利用するだけではまちに寄与する場所を生み出すことは難しいでしょう。われわれが目指すのは、まちの人びとの活動を手助けし、まちの主体である住民自らが街づくりの担い手となっていけるようなアクションづくりです。
そうした、まちの主体的な活動を手助けするヒントを求めて、われわれは富山県の西部、南砺市の井波(いなみ)を訪れました。
井波には瑞泉寺という1390年建立の寺があり、江戸から明治にかけて何度か建物の焼失を経験しています。その再建の度に欄間などに施される木彫の技術が発展した歴史があり、今でも多くの工房がまちに点在することから、井波は日本有数の彫刻のまちとして愛好家の間で有名です。
しかしこの数年で、愛好家以外にも井波=木彫というイメージが知られるようになり、特に海外からの観光客が多く訪れているといいます。また、南砺市市長である田中幹夫氏のツイートによると、この7年で42件の空き家の再利活用が行われており、まちが活気付いていることが分かります。
これらのまちに対する好循環の要因のひとつが、木彫りという地元の産業を「街の文化」として継承し、積極的に世界へと発信しきた「職人に弟子入りできる宿」であるBed and Craftというホテルの存在です。
本記事では2016年から井波で暮らし始め、同年に同ホテルを立ち上げたコラレアルチザンジャパン代表取締役で建築家の山川智嗣さんに「職人に弟子入りできる宿」を始めるに至った理由や、その取り組みによってまちにもたらされた変化についてたっぷりとお話いただきました(インタビューは現地視察後、別日にオンラインで行った)。
中国で建築の師に学んだ、地元に貢献したいという想い
——「Bed and Craft」を始めたきっかけはなんだったのでしょうか?
私のキャリアのターニングポイントになったのが、2009年に上海に渡り馬清運氏(Ma Qingyun)氏のもとでチーフデザイナーとして働いたことです。中国人を上司に持つ日本人の設計者は、当時はまだ珍しかったのではないでしょうか。
馬清運氏は清華大学とペンシルベニア大学の大学院で学んだ秀才なのですが、陝西省の西安市という突出した産業があまりない地域の出身でした。中国では今でも100倍以上の経済格差があり、馬清運氏の進学に際しても集落がお金を出し合って彼というひとりの神童を海外に送ったという経緯があるそうです。ゆえに彼自身、地元に対して何か貢献したいという思いが非常に強い人でした。
そこで馬清運氏が有名建築家になって何をしたかというと、2000年に地元である陕西省西安市に玉川酒庄という(Jade Valley Wines)ワイナリーをつくったんです。新しいワイン文化を中国に根付かせよう、中国産ワインとして世界に誇れるものをつくろうと、樽を輸入したりアメリカから専門家を呼び寄せたりして、今や中国の五つ星ホテルに置かれるほどにまで成長しました。そんなことを彼は建築家としてやっていたんです。私も平日は建築の設計をして、毎週末はワインの試飲会をやる日々でした。この経験から、「建築家の役割ってなんだろう?」と深く考えるようになりました。
馬清運氏の設計事務所では、主に大規模な公共建築に携わることが多かったですし、私が学生だった頃も公共建築に関わることが建築家としてスターダムにのし上がるひとつのルートだと言われていました。一方でそれだけが建築家の役割ではないのだろうなと。私が今、住んでいる富山県南砺市は、空き家も年々増えているし、空き家問題に限らずいろいろな社会課題を抱えています。だから、私としては一部のお金を持っている人から仕事を受けて建築をつくっているだけではいけないし、そもそも私たち建築家の職能は、社会課題に対して建築というツールを使って解決を試みていくことにあるのだから、それをもっと社会に開いていこう、と思ったことがBed and Craftを始めるきっかけになりました。
日本一の彫刻のまち。でも、バス休憩で寄られるだけのまち
——どうして井波という場所を選んだのでしょうか?
私は富山市の出身で、南砺市に住んだことはなかったんです。中国から日本へ帰ってくるときに井波の魅力を知って住み始めました。なので、UターンというよりもJターンみたいな感じですね。井波は人口約8,000人(2019年時点)のまちで、そこに約200人の彫刻師がいます。こんなにもひとつの地域に特定の職能の職人たちが固まって住んでいるのは非常に稀で、日本一の彫刻のまちと言ってもよいと思います。歴史的には、井波別院瑞泉寺の建立に際して京都から派遣された京都本願寺の御用彫刻師である前川三四郎が地元の大工に技を伝えたことが井波彫刻の始まりで、今でもまち中には工房が立ち並んでいます。
井波には「彫刻師」だけでなく「彫刻家」という、彫刻の技術を用いてアーティスト活動している人たちのことを知り、彼らの作品を見に行ったらすごく美しかったんですよね。井波に来るまでは、こんなにすごいものをつくっている人がいるとはまったく想像していませんでした。同時に、こんなに面白い人たちがたくさんいるのに、どうして世の中の人は知らないのだろう、この人たちをもっともっと世の中に出していきたいという思いが芽生えました。
——山川さん自身と井波彫刻の出会いがあったからこそ、「職人に弟子入りできる宿」が生まれたということですね。
そうですね。昔ながらの技を現代に伝える職人たちと手を組むことで、井波を訪れる人に新しい体験を提供できると考えました。ですが、この職人がいる美しい風景を大切にしたくても伝統工芸の市場も従事者も縮小の一途をたどっているのも事実です。
井波彫刻は平成元年には年間約25億円の売上があったようですが、今では5億円を下回っている状況です。日本人のライフスタイルの変化によって東京の百貨店などでもなかなか売れないんですよね。かといってお客さんが直接買いに来てくれるわけでもない。そもそも、井波は観光地というより産業地の側面が強い場所ですからね。
おまけに西には石川県の金沢市が、南には世界遺産の白川郷があって、その道すがらにトイレ休憩で1時間ほど寄られるまち、なんて言われることもあります。その1時間の滞在で30万とか50万の高い彫刻を買う人がいるわけないですよね。それに短時間の滞在ではせいぜい瑞泉寺の参道である八日町通りを往復できるくらいで、このまちのことを何も知ってもらえません。
そこで、どうやったら井波での滞在時間を増やせるだろうか、井波彫刻を肌で感じてもらえるだろうかと考えた時に、圧倒的に宿が足りないと思って、2016年9月にBed and Craftをオープンさせました。
職人と宿泊者を繋ぐ、Bed and Craftならではの取り組み
——実際にBed and Craftが開業してから、どのような変化がありましたか?
開業以来われわれは「職人を活かす」「古民家を活かす」「まちを活かす」という三大原則を守り続けています。まずは一番目の「職人を活かす」という面からお話していきます。
普段の生活の中で、自分が着ている服とか何気なく買っているものって、なかなか作り手を意識することがありませんよね。かつては日本でも当たり前に作り手がいて、町には建具屋さんも下駄屋さんもあって、「自分が買っているものはこの人によって作られているんだ」とある程度意識できていたはずです。そうした意識が希薄になった現代だからこそ、職人さんとワークショップで一緒にものづくりができることは特別な価値を持ち、人びとが井波へわざわざ訪れる理由になると思っています。
職人文化に興味のある人に、目的を持って井波に長期間滞在してもらうというのがわれわれの目指すかたちです。実際に、岐阜県の白川郷と共に合掌造り集落が世界文化遺産に登録されている南砺市の五箇山合掌集落の年間インバウンド観光客12,000人と比較すると、2019年は井波の観光客数は約400人と五箇山の1/30程度でしたが、そのほとんどがBed and Craft の宿泊者でした。そして、一人当たりが使ったお金は、平均5万円程度と五箇山の約100倍あったのです。数は少なくても訪れてくれた方、一人ひとりを大切にして、職人のファンあるいはパトロンをつくっていくことがこのまちには重要なのだと改めて感じました。
2023年2月現在、Bed and Craftには6棟の宿がありますが、それぞれを木彫作家、漆芸家、陶芸家、仏師、作庭家の展示ギャラリーとしての機能もあります。
われわれ運営側は作品の所有権を持たず、宿泊料の一部を作家さんに還元しています。宿泊者はその作品を作家から直接購入することもできます。ここで作家と宿泊客の出会いが生まれるわけです。そうすると作家は新しい作品を制作できますし、われわれも新しい作品を置いてもらえて嬉しい。リピーターの方も違う作品が置いてあることで楽しんでいただける。どんどんそれらが循環することによって三方良しの形にしていこうという指針で取り組んでいます。
どこにでもあるような(古)民家を活かす
——現在、宿泊棟は6棟ありますが、最初は1棟からスタートしたのですか?
そうですね。2016年に1棟目の「TATEGU-YA」ができて、それから毎年徐々に増えていきました。「TATEGU-YA」は築50年くらいの建具屋をリノベーションしたものです。古民家かといえば普通の空き家です。今、全国的に古民家ホテルがブームになっていますが、たいていが有名な集落にあるとか、元々豪商の家だったみたいなケースが多いですよね。でも、そうした建物って維持費がかなりかかる。われわれの三大原則のひとつ「古民家を活かす」を実践する上で、こうしたまちのどこにでもあるような建物を積極的に使っていかないと、3つ目の「まちを活かす」というところに繋がらないだろうと思ったんですよ。
2棟目の「taë」は1947年竣工の建物で、まさに戦後の建物で物資が不足している時代、あまりいい材が使われていなかったのですが、地域で大事にされてきた建物でした。井波では、空き家になっていても不動産屋さんや所有者の親戚の方たちの管理が行き届いた状態のよい物件が多いんです。これは空き家を活用する上ではすごくメリットですね。
現在、Bed and Craftでは宿泊棟と飲食棟などを合わせると9施設を運営していて、地元の方から「山川くんは不動産王だね」なんていじられることもあるんですけど(笑)。
われわれも創業間もない会社なので、銀行もそこまでは融資してくれません。直営は1棟目の「TATEGU-YA」だけです。他は各棟にオーナーがいて、われわれが企画運営・設計までワンストップでやるという古民家ホテルの運営では珍しい仕組みをとっています。
例えば外資系ホテルではビルの所有者がホテルブランドのライセンスを買って、運営者を別で入れるケースはよくあると思いますが、こういった仕組みを古民家ホテルでやるケースはかなり珍しいんじゃないでしょうか。この仕組みを採用しているおかげで、開業から7年間、ほどよいスピード感で拠点を増やすことが可能になりました。
まち全体をホテルにすることで、地域内経済を循環させる
——拠点が増えたことによる地域経済への影響はどうですか?
Bed and Craftはいわゆる分散型ホテルで、われわれは「まちやど」と呼んでいます。このまちやどが地域に点在しているからこそ、宿泊者はご飯を食べたり、お酒を飲んだり、買い物をしたりといった経済活動を地域全体でしやすくなります。これが都市部のタワー型ホテルだと、経済活動がホテル内か近隣のツーリストサイトに限定されてしまいがちです。そういう意味で、Bed and Craftはホテルでありながら、宿泊客と地域を繋ぎ、地域経済を循環させていくための活動体でもあると思っています。
われわれとしては、やはり地域経済の循環が最終的に重要だと考えています。
Bed and Craftは、国の補助金などを使わず、完全に自分たちだけでやっていますが、自走していける力があることは企業でもまちでもとても大事なこと。それは伝統工芸の分野でも同じです。もちろん文化を継承することは必要ですが、「残さなきゃいけないから」と盲目的に税金を使い続けている今の状況は違うと思っています。ひょっとすると今200人いる職人の数は多すぎて、50人程度が適正規模かもしれません。街づくりはやりっぱなしではいけないし、必ず経済が循環して持続可能なかたちまで持っていく必要があります。ならば、こうしたところまでシビアに考えてく視点を持つことも重要になるでしょう。
地域経済を考える上で「経済効果」という言葉をよく耳にしますが、少し気を付けなければいけないことがあるんです。例えば東京オリンピックの経済効果がウン兆円あったという話がありますが、この数字は生産ベースで算出されていて、そこで出た利益が本当にその地域で使われているかは考慮されていないんです。
そこで「地域付加価値創造分析」という地域で生み出されたお金がどれだけその場所で使われているかを示す指標を用いて、京都大学の稲垣憲治先生に実際に調査いただいた結果、Bed and Craftは従来ホテルに比べて地域付加価値が7.5倍あることがわかりました。
われわれは100%地元あるいは移住者の方を雇用しているので、従業員はその給料をほぼ100%地元で使っているわけです。それから新しくリノベーションを行う時もすべて地元の事業者に発注しています。一方従来のホテルは、工事で地元企業を使わなかったり、スタッフも地元雇用の割合が少なかったりする。そう考えると、企業誘致は街づくりの起爆剤みたいに過去は言われましたけど、それよりもその土地らしいスモールビジネスでもいいから、地元で立ち上げさせるような環境をどうやって行政がバックアップしていくかということの方が非常に重要だと考えています。
——Bed and Craftができたことで、井波に変化はあったのでしょうか?
開業当初は、お豆腐屋さんや八百屋さん、お寿司屋さんなどの地域に元々あったお店が経済活動の中心でしたが、少しずつ、地元出身の方がUターンしてきたり、移住者が起業したりして、パン屋さんや、コーヒーロースタリー、クラフトビールのブリュワリーなんかが新しくできました。2016年以降、Bed and Craftでリノベーションしたものを含めて、42棟の古民家や空き家が再活用されていて、まちを彩る小さな場所が徐々に増えてきています。将来的には金沢や富山に行かなくても井波で1週間過ごせば楽しいよね、ということをより多くの人に知ってもらえたら嬉しいですね。
ただ、やっていく中でいろいろと問題も出てきました。例えば開業以来、宿食分離を掲げて、どんどん宿泊者に外に出ていってもらうように働きかけていましたが、実は井波には朝食を食べるところがあまりなかったんです。スコットランドから来た宿泊客がコンビニでサンドイッチを買っている姿を見た時に、「これは良くないな」と痛感しました。
そこで、地元らしい朝食を提供する飲食店を自分たちでやろうということで「nomi」という燻製料理店をはじめました。彫刻家からいただいた木屑を使った燻製のサンドイッチや燻製の盛り合わせを作ったり、井波らしいグルメとして開発しています。
それから、「彫刻のまちに来たんだから何か欲しい」という声も聞こえてきて。でも、30万円も50万円もする彫刻には手は出しにくいので、「季の実」というライフスタイルショップもやっています。5万円以内ぐらいで、職人さんの手づくりの作品が買えるようになっています。
こうして井波を訪れた人と作家の縁を増やしていくことがBed and Craftのミッションかなと思っています。もしかしたら家を建てるとか、子どもが生まれるとか、人生のターニングポイントが訪れた時に「あの人の作品が欲しいな」と思い出してもらえるかもしれませんしね。
——海外から訪れる方が多いとお聞きしました。
私がバンクーバーや上海にいたこともあり、海外へのPRは力を入れていました。「海外からの宿泊が7割の宿」としてメディアで取り上げられるくらい多くの方に来ていただきました。特に欧米の方が非常に多い上に、ほとんどが長期滞在なんです。これは、私たちも一緒で、ヨーロッパに訪れるなら1週間滞在するけど、韓国なら3泊みたいな感じで距離に比例するんですね。
日本人の方もメディアで噂を聞きつけて泊まりに来てくれる方が増えています。ただ、ほとんどが自家用車かレンタカーで来られるので、深夜にチェックインして、朝にはもうチェックアウトして隣の街に行ってしまう。街を回遊しないという問題が出てきたんですね。そこで、「BnCラウンジ」という各宿から少し離れた場所にチェックインや受付機能を置いて、車を止めて街を散策しながら自分の部屋に行ってくださいね。というスタイルでやってます。部屋への道すがら、工房や飲食店の前を通ってもらい、少しでもまちとのコンタクトポイントをつくってもらえるようにしています。
ひとりの暮らしの主体者として、まちにできること
——県内の出身とはいえ、よそ者として井波に入っていくことは大変だったのでしょうか?
最初は「上海から来た中国人か日本人かよくわからんやつが宿泊施設やるなんて、絶対成功しない」なんて噂されていたらしいんですね。よくわからない人が地元で商売を始めたらそれは怖いですよね。
だから私が唯一取った行動としては、自治会とか、商工会とか、青年会議所とか、いろんなところにプレゼンしに行ったんです。そのときに「助けてください」とか、「仲間になってください」とかは一切言わなくて、ただ「見守ってください」と伝えたんです。そうしたら良好な関係が築けた。おそらく、みんな本当は頼られたいけども、それが難しい状況もあるんだと思います。だから知っているという状況だけをつくってあげる。「あいつ知ってるよ。挨拶に来た」くらいに認知してもらえることがまずは大事。そういう状況を少しずつ積み重ねて今があります。
おかげで、地域の方々や自治体とも一緒にお仕事をさせていただく機会も増えました。2018年に、井波が文化庁の「日本遺産」に認定されたのがきっかけで、「ジソウラボ」という井波の街づくりを考えるグループが立ち上がりました。そこで熱く議論したのは、建物をつくるんじゃなくて、人づくりをするということでした。
結果、京都・東本願寺の御用彫刻師・前川三四郎が地元の宮大工に彫刻の技術を伝えたことから井波の木彫文化が育っていったように、100年後の新たな文化をつくる人を井波から輩出していこうという「ひと」づくりプロジェクトがスタートしました。もしかしたら100年後は「パンの街井波」って言われるかもしれないし、「eスポーツの町井波」って呼ばれているかも。よくある移住施策をやってまちに1,000人呼び込むのではなくて、文化の源泉となる10人を呼ぼうという想いが根底にあります。それもあって、私も「こういう人が来たらお互いにハッピーになるよ」っていうことを逆に発信し始めました。
それで最初に呼び込んだのがパン屋さんでした。井波には路面店のパン屋が一店もなかったんですよ。あと、地域内交通が弱いので、地域内のモビリティを新しくやっていくマネージャーを募集しようとか。そうしたことをジソウラボの中であぶり出していっています。なので、結局われわれは数を追っているわけではないんですよね。1個1個を丁寧にまちにインストールしていくってことをやっています。そして、1番星が入ってきたら、2番手3番手が勝手についてくると私は思っていて。実際に2023年には、2軒目の新しいパン屋さんが移住してきました。これからもっと活気づいていくと思いますよ。
——Bed and Craftに限らず、さまざまな活動をされているのですね。山川さんにとって、これらの活動の原動力はなんだったのでしょうか?
「なんでそんなことやっているんですかって」本当によく聞かれるんですよね(笑)。結果的に、私は暮らしの主体者であるという意識が一番大きいんです。私はBed and Craftを運営していますが「Bed and Craftが良かったよ」と言われるよりも「今日はどこに泊まったんだっけ? それにしても井波って良いまちだったな」と言われる方が、いち住民として嬉しい。パン屋さんを呼ぶとか、新しく宿ができるってことは、自分自身の友人がまちに来てくれる機会が増えることに繋がるし、実際に自分が美味しいパンを朝から食べられることに繋がります。これって本当に幸せなことなんですよ。
だから突き詰めて考えると、自分の生活を豊かにしたいからやっている。同じ想いの人がひとりでも増えれば良いかな、というくらいです。「自分は朝に美味しいクロワッサンを食べたいけど、みんなも食べたいよね?」みたいな、そういう気持ちが原動力になって、やり続けていますね。
(2022年10月14日収録)
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聞き手:今中啓太・齊藤達郎(NTTアーバンソリューションズ総合研究所)、小野寺諒朔
構成・編集:小野寺諒朔
編集補助:春口滉平、福田晃司
デザイン:綱島卓也