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針仕事

 裁縫が好きじゃない。
 嫌いだ、と書きそうになるのをぐっとこらえる。そうアウトプットしてしまうと、今手にしている縫い物がきっとうまく仕上がらない。脳は随分騙されやすいんだと。“出来ない”、“無理”、“苦手”、いわゆるネガティブワードに簡単に洗脳されて、「これは達成できない事」と仕分け、力を使わない判断をして全体に伝達する。と、やる気、目、手指すべての細胞が従ってその仕事をしない。しかしやらねばならぬ場合、理性の脳、前頭前野が「やれ」と上書きの指令を出す。これに現場の手指が混乱し、結果出力されるパフォーマンスが大幅に下がるのだと。
 戦っている相手は舞台衣装である。基本お話の会なのだが雰囲気が欲しくて、打掛風に使おうと古着の大島紬をネット購入した。すると袖幅が思いのほか短くつんつるてんで気持ち萎え萎え。きちんとサイズを確認しなかった自分が悪いのだが、己の非を認めるのも脳は嫌う。とにかくご機嫌にいてもらわないと途端にふてくされて逃げるのだ。なんとか仕事を完遂させたい理性は一生懸命、不機嫌な脳をなだめる。
 「せっかく買ったのだから使おうよ。使えるよ。ほら、柄は気に入ったんでしょ、衿も広衿で上等じゃない、ね、まつり縫いぐらいは簡単だしすぐ出来るし」…渋々襟を縫い付けて。
 「ね、仮縫いしてごらんよ、ぐし縫いでいいしさ」…丈を端折り、何とか形になり。…羽織ってみたら、まあなんて似合わない。不機嫌さMAX。鏡を前に前頭前野も黙った。演出的コンセプトは良いのだが、こんなに女優のテンション下がる着物いらねえよと苛立ち、余計な出費に腹立ち、しかし、ここまで不機嫌を押してした作業が惜しくて、稽古で劇団員ふくいに羽織ってもらったら、あら似合う。女の質(たち)が違うのだな。
 「ほーら、良かった。じゃあ後は本縫いすればいいだけよ。布が重たいから本返し縫いね」理性がにっこり私に命令して、今に至る。はあ。
 手の仕事は大抵、ご機嫌になるのになあ。かぎ針編み、台所仕事、単純事務作業も無心になれて好きだ。おそらくセロトニンか何か脳内物質が出ている。裁縫はどうもそのように調子が出ない。
 なので、かようにnoteを書いたり、普段二の次になる掃除、整理整頓に手を出したり、今から買物に出かけようと支度をしてみたり、そうだ、マスコミなどに宣伝しようと思ってたんだったと、ztvに催事案内のメールを送り、大津おやこ劇場に電話連絡をとった、不在。
 「おやこ劇場」は親と子のための観劇団体である。ここで子供のころから演劇に触れていたのが、今の活動の根であろう。人形浄瑠璃「女殺し油の地獄」、コンガの語り演奏「二匹の鮭」、青年座「ある馬の物語(トルストイ)」などなどの舞台、感動。それらは脳のどこに仕舞われたろう。
 すぐ折り返しお電話を頂いた。お知らせとご招待、また中高生の頃、青年部に在籍していたことなどを伝える。聞けば、設立50周年の記念事業を催され、当時お世話になった旧事務局長さんらのトークショーもあるという。なんと、うちの公演日と同日、3月22日。

 大津おやこ劇場様、設立50周年おめでとうございます。設立当初から、おそらくその設立理念の薫陶を受けて育った私は、紆余曲折ありながら演劇に関わり続け、奇しくも同じ日に会を催します。長らく活動を続けてこられた結果の一つでしょう。あの頃、会の運営に力を注いでおられたお母さん方の熱を確かに思春期の私は受け取っていました。それが今回の、大津に関わる会にしよう、大津ゆかりの人の思いを作品にしよう、という衝動につながっていると感じています。
 どうぞ、これからの50年また先へ、演劇を通じて人と思いが繋がっていく「場」として在り続けてくださいますようお願い申し上げます。

 私も精進せねばな。そして針仕事に戻らねば。よし、うちの看板女優ふくいがなお素敵に見えるような衣装にしてやろうじゃないか。お、これは大分機嫌を持ち直せる声掛けだなあ、我が前頭前野どの。誰かのための仕事は思わぬ力が出る。大津おやこ劇場の皆さんもそうだったんじゃなかろうか。
 見出し写真の針刺しはそのおやこ劇場で演劇に触れ初めた頃に作った。当時家で髪を切っていて中身は小学生の私の髪の毛。針が錆びたことはなく、今日の縫物に役立っている。時は地続きに積み重なり、いつだって今はそれまでの集積のアウトプットだ。
 3月22日、盛会でありますように。

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