戦争怖くても死ねなかった、もう未来しかない(ミサイルが落ちた2017年3月から2018年1月までの事)
戦争が怖くて2017年正直死んでた。具体的にいうと初めてミサイルが日本上空を通過したあの日から、私の中で、当たり前だった平和の概念が音を立てて崩れた。
どうせ明日死ぬに今を必死に生きるなんて馬鹿みたいだ、明日ミサイルが落ちて、愛する人たち、今まで必死に築いたもの全て粉々になってしまう、私自身でさえ。なんて考えに思いっきり支配されて何も娯楽を楽しめなくなった。
小さい頃に見せられた戦争は怖いものです、戦争を二度と繰り返してはいけない、という恐怖の番組で、血だらけで死んでいった人たちの顔が、私の大切な人たちになってしまったらどうしよう、なんて妄想に頭を支配される毎日が始まった。不安でたまらなくなった。晴れてる日を喜べなくなった、ミサイルが落ちてくるかもしれないから。曇ってる日を雨の日を喜ぶようになった、今日はミサイルが落ちて来なさそうだから。
一生懸命に生きてる人のこと、明日に希望を持ってる人たちのこと、みんなどうせ死ぬのにそんなに頑張って生きて馬鹿みたいだなって思ってた。でも1番馬鹿みたいなのは結局私で。
こんな事考えてるの馬鹿みたいだな、みんなそういう考えがチラついたとしても割り切って生きているのに、ということは頭では嫌というほどわかっていて、単にこれは私の被害妄想でしかない、なんてわかっていても、どうしようもなく本当に怖くて。3月から10ヶ月、そんな毎日が過ぎていった。SNSも出来なくなった、北朝鮮のニュースを見るのが怖かったから。
2018年1月、苦しみに耐えきれなくなって、初めて人に話した。泣きながら嗚咽しながら話した。笑わずに聞いてもらった時、何も解決してないけど物凄く救われた。弾みがついて他の人にも話したら、やっぱり笑わずに話を聞いてくれて優しく諭してくれた。私は少しずつ少しずつ、戦争で死ぬ妄想に怯えなくなっていった、それが2018年、2月。
あの日ちゃんと話を聴いてくれた人たちに本当に感謝している。2017年3月から2018年の1月まで怯えて無気力で北朝鮮について狂ったように調べる毎日を過ごした。お金を使う理由がなかったので、貯まったお金は、どうせ死ぬからといろんな人に、物を買ってプレゼントした。大体15万くらい。気分は世紀末。
今日、米朝首脳会談があって、非核化が約束された。私は銭湯の待合室でそれを見て、鼻の奥が熱くなった。
私達にはもう未来しかない、その事がこころから嬉しくてまた泣けてくる。貯金しなきゃ、ダイエットも、夏が来る、平成が終わる、私達はまだ生きなきゃいけない。