あたまにひびきわたる音

受け入れがたい事実を突きつけられたときや、堪え難い絶望を味わった時の漫画などにおける表現に「がーん!」というのがあるが、まさか本当に頭の中に「がーん!」という音がなり響くとは思っていなかった。


うそではない。


実際に体験したので、本当のことである。
正確には、「がーん!」ではなくて、「ぐわわわわわわんんんん」とアルミの洗面器が空高くから落ちて来て目の前のコンクリートで跳ね返ったときに空気に放出される音波が反響したようなものが、耳の奥底から入り口にかけて押し寄せてきて、耳は蓋をされ、他の音や人の声はいっさい聞こえなくなり、洗面器の跳ね返った音だけが頭の中に鳴り響く。

彼と一緒に暮らし始めて2年ほど経った。
夏に付き合うようになって、秋、初冬と週に何回かのデートを繰り返す熱に浮かされたような時期があり、初めてのお正月に彼の実家に呼ばれ、彼の両親に会った。私が帰る時、駅まで送ると言って車を出してくれた彼は、駅ではなく私の住んでいるアパートまで車を走らせ、そのまま実家に帰らずにずっと私のアパートにいる。

春頃から、彼の咳がひどくなった。
私と付き合う前、すこしタバコを吸っていたのでそのせいかもしれないし、喉が弱いし花粉症もあるからとあまり気に留めなかったのだが、聞いたことのない、金属的な乾いた高い音で咳をするのだ。
そのうち、軽い咳から始まって、止まらなくなり、血反吐を吐くような咳に変わってからおさまるようになった。
そしてある時本当に血を吐いた。
吐いた、というよりは咳とともに出された痰に、うっすらと血が混じっていた。
長くひどい咳をするので、喉のどこかが物理的に損傷して、毛細血管が切れて血が出たのではないか。そんな推察をしたくなるような、細い血の筋が吐かれた痰に描かれていた。
血が出るというのは、なにか体に良くないことが起きているはずなのに、その時はなぜか、大したことではないと思いたかった。

夏の香りが空気に混じるようになったころ、突然彼は高熱を出した。
ただの風邪だろうと、解熱作用のある鎮痛剤を飲んで、きっちり二日間寝ていた。
だがいっこうに熱は下がらないし、眠ろうとすると例の咳が出て起きてしまって寝不足だし、これはさすがにお医者にかかったほうがいいね、お医者の薬ならよく効くからね。と言って、歩いていけるところにある町医者へふらふら出かけて行った。
付き添いはいらないというので、部屋で洗濯をして待っていた。

ほどなくして、彼がかかった町医者から電話がかかってきた。
彼の状態について、説明をしたいというのだ。
歩いて五分の内科に、急いだ。
歩いたのか走ったのか覚えていない。早かったね、と言われた。
診察室に入ると、胸のX線写真を見せられた。
こんなものは素人が見てもなんだかまったくよくわからないものなのだが、その時ははっきりとわかった。
肺が真っ白だった。なんの医療の心得のないものが見てもはっきりわかるほど、白かった。

私たちより少し年上に見える、顔の四角い内科のお医者さんは
「すみません、ここでは手に負えないので大きな病院へ紹介状を書きます。なるべく早くそちらを受診してください」
といい、続いて
「近くの私鉄の沿線にある大学病院と、少し離れますけど労災病院に専門の科がありますが、どちらがいいですか」
と丁寧に尋ねてくださった。
私立の大学病院なのが少し心にひっかかったが、近い方が行きやすいだろう。通りかかることが多いから場所もよくわかっている。
大学病院への紹介状を書いてもらった。

「肺炎かな」
肺炎なら、抗生物質と療養で治るだろう。
体格はいいし、普段体も動かしているのに、疲れが溜まって抵抗力が落ちていたのだろう。とにかく大きな病院に行こう、すぐに良くなるだろう。
会社には連絡すればいいし、朝早起きしなくていいから私も楽だ。
数日か、数週間かわからないが、ゆっくり療養を楽しもう。
その程度の気持ちで、大学病院の受付に紹介状を出した。

通された診察室には、最初にかかった内科からX線写真が届いていて、それを見ながら顔の細長い先生がぽつりぽつりと説明をする。
肺に白い影があって、それが肺をほとんど覆っています。
今の状況として肺炎、ということになりますが、肺炎を起こした原因がわからないと治療の方針がたたないので、少し入院して検査をしましょう。
検査入院ということで、手続きをとってください。

肺炎ならば入院はしかたないだろう。
毎月高い社会保険も払っているんだし、有給休暇も残っているし、大丈夫。大丈夫。

入院は内科の病棟だった。
内科の病室は内装が明るく、病室というよりはホテルのようだった。
私立大学の病院は違うねえ、などと、呑気な会話をかわしていた。このころには肺炎の直接の症状を抑えるための治療が始まっていたので熱は下がり、見通しは明るかった。
定期的なX線写真撮影、内視鏡、そしてCT、と肺炎にしては少し大掛かりな検査のメニューを示されたが特に疑問はなかった。
先生の説明は、ここまでの肺炎になると、結核を疑っているとのことだった。結核と聞いても、入院が長くなるとやっかいかな、としか考えなかった。結核は治る病気だ。つい先日もニュースで、肺結核は今でも年間18,000人の罹患者がいると聞いたばかりだ。大丈夫何も心配ない。だってもう、病院にいるのだから。

何回めかの内視鏡検査のあと、先生から家族に治療の方針を説明したいという話をされ、彼の両親を呼んだ。
もうこのころは肺炎が治ったら式の段取りをする予定でいたから、彼の両親は、私にも、そして私の母にも話を聞いてほしいということだった。私の母は医療従事者だったので、どこか内心頼りにしたかったのだと思う。
説明の日、私たちは診察室ではなく、相談室とかかれたすこし大きな部屋に通された。
先生はまず経過を両親に説明し、X線に続き内視鏡で撮影した画像を私たちに示した。
それを見た母が、一瞬息を止めるのが、わかった。
先生が私に向かって「毎日病院に来てくださっていますが失礼ですが患者さんとは・・」と尋ねた。
「婚約者です」と、彼の父親が答えた。
「そうでしたか、それはそれは・・・」

内視鏡の写真には、黄色いツヤツヤぼこぼこしたものに、細い血管が走っている肉のかたまりが写っていた。
先生が、それを示しながら、空気を一つ一つつぶすような慎重な声で話し始めた。

鼻や口から入った空気が、右の肺と左の肺に分けられるところに、気管支というものがあります。
これはその気管支で別れて右の肺へつながっている気管を内視鏡で撮影したものです。
このかたまりは、これは腫瘍です。この場所にできるのは、たいへん珍しいです。
このかたまりのせいで、右の肺には空気が入らない状態になっています。肺炎の原因は、これです。
このかたまりが、いいものなのか悪いものなのか、内視鏡で写真を撮るときに組織をつまんで調べてみましたが、腫瘍の場所が奥すぎて患者の体に負担がかかり、生理的検査ではっきり結果が出るほどの組織が採取できませんでした。
ですが、画像を見る限りではこれは、悪性の腫瘍、いわゆる、癌というものでいいとおもいます。
場所からするとつまりこれは肺癌というものです。

それから先は、アルミの洗面器がコンクリートに当たったあとに跳ね返ってまた放つ、ぐわんぐわんという音に頭が支配されて、もう先生の声も聞こえはしなかった。
でもなぜか私は、彼のお葬式で会社の同僚たちに声をかけられて涙にくれる自分の姿を想像したりして、なぜだか、なぜなのか、すこし心が踊っていた。

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うそじぞう
ありがとうございますはげみになります 生活の足しに・・