Vtuber警察コラボ動画削除の件の再反論
イチから経緯をまとめるのは辛いのでこちらを参照。
以下、こんな例えを元に考えてみよう。
「スケボーなんかやってるとこ見て子供が不良になったら困るからオリンピック競技にはするな。それ以外のとこで勝手にやってていいからさ」
これが不当な言いがかりであり、これを言う人がスケボー文化を「尊重」してるなんて誰も考えない。言われたらスケボー関係者は当然怒る。
これを今回の件に置き換えようとした場合、予想される(あるいは私が観測した)反論は以下の通りだ。
①「スケボー→不良」は偏見だが「性的な恰好→性犯罪」は論理的につながっている
②スケボーはスポーツだからオリンピック競技に採用されるが、公的機関である警察とのコラボで性的なVtuberである必要がない
③クレームが不当なら、これを受け入れたIOC(=松戸警察)に責任を問うべき
これらについて妥当性を検討してみよう。
①「スケボー→不良」は偏見だが「性的な恰好→性犯罪」は論理的につながっている
これがまさに今回カウンター抗議で問題にされている点であって、フェミニストとオタクが昔からずっと衝突している原因であるとも言える。
萌え絵が女性(偶像を含む)の性的消費を経由して女性蔑視・女性差別であるとする主張は以前からあるが、この点については明確な結論が出されていないのが現状である。
今回の件でフェミニストの意見が明文化され、議論が前進することが大いに期待できる点でもフェミ議連の回答が待たれる。
②スケボーはスポーツだからオリンピック競技に採用されるが、公的機関である警察とのコラボで性的なVtuberである必要がない
これはネット論壇に一番多い、TPOを考えろという意見も含む。
警察の服を着させてれば、胸を揺らさないようにすれば、性的な要素は不必要だったのに…そういった意見が中立論であるかのように述べられている。
まず第一に、上記の通りフェミ議連からの抗議は明確な根拠なくキャラクターの容姿を犯罪に結びつける不当な言いがかりであり、これは警察とのコラボ関係なく問題である。
これだけで充分カウンター抗議を行う意義はあるので、これに対する反論としては不十分である。
次にキャラクターの同一性の問題である。キャラクターのデザインは当然服装も含めて行われており、服装を着せ替えるのはその同一性を棄損させる可能性がある。
今回のキャラクター像が人によっては性的に見える点は否定しないが、やたらにキャラクターの要素に「必要性」を求める人は一部を切り貼りすることが「簡単なこと」であるかのように言うべきではない。
品行方正な両津勘吉はもう両津勘吉ではないので、「言葉遣いが悪い必要がない」などと言っても無意味なのだ。
そして最後に、そもそも採用された目的から言って決して不必要とは言えないだろう。
今回Vtuberがコラボとして採用された経緯として若い世代に対し訴求する目的があるのは間違いないが、警察の服装をさせることで「警察のキャラクターである」と誤認される恐れがある。
印象論として最初から公権力側の相手からのアクセスか否かは訴求対象にとって明確に違うものであることは想像に難くないだろう。
すなわち普通のVtuberらしい恰好のまま交通マナーのキャンペーンを行うことは全く不要なことではない。
③クレームが不当なら、これを受け入れたIOC(=松戸警察)に責任を問うべき
これについては完全に否定できるものではなく、仮に警察がフェミ議連の抗議内容に賛同して動画の削除に至ったのであれば同様にカウンター抗議の対象になりえる。何度も言うように最初に不当な言いがかりをつけたのはフェミ議連なので、そこに対する抗議が先になるのは当たり前。
しかしながら警察は削除の経緯について明言しておらず、「影響があった」と述べるに留まっている。
9月9日のフェミ議連の抗議に対する回答においても、これを受け入れる旨は述べられていない。
もし今後の展開としてフェミ議連が抗議を取り下げるようなことになれば、次の一手として警察に「削除する理由はなんですか?」となるだろう。
しかし上述の通り性的である点は個人の評価において否定できず、これを理由に「不快である」という単純な理由のクレームを受けての削除ならそこに問題はないことになる。
その点、今後も展開を注視していく必要があるだろう。
お寿司を食べます。