会う人会う人に「私を愛して」と求め歩くよりも、いつもの彼ら彼女らと、馬鹿みたいなこと言って、夢のまた夢を想像して笑ったほうが何倍も楽しいというのに。
結局は、向き合うより同じ方向を見ていたい。
あたりまえになってしまって。それは安心と安定と共に、ときどき計り知れない不安を運んでくる。自分の気持ちと向き合う時間、大切だなあ。好きとか、ありがとうとか、今隣にいる事実とか、私を囲むあたりまえを風化させてはいけないね。言いたいことがまとまらないけど、まとまらない言葉の置き場。
だてに一年間一緒にいたわけじゃない。あの頃言えなかった気持ちとか、言葉。遠慮に負けて隠した感情も、今では何のためらいもなく言えたり。逆に、今だからこそ言えなくなってしまった言葉の数々も。たとえば、私のこと好き?とか。ずっと一緒にいようね、とか。あの頃は幸せだったものたちが、今では
猫の手も借りたいとはこういうこと。忙しさだけに追われる一日だった。無理しないでねの言葉をたくさんもらったけど、無理しなきゃ全体の半分も終わんないくらい忙しかった。おかげで一日があっという間だったんだけど、この忙しさはしばらく勘弁。おつかれ、私。
トゲトゲなこころは、まぁるくして眠ろう。彼の寝息に気持ちを委ねて私も寝ることにする。明日の朝には幸せが訪れていますように。さ、おやすみなさい。
また痛い目見なきゃいいけど。ばかだね、としか言いようがないよ。見守るつもりも応援する気もない。やってることおかしいし、ね。