頭いいのに
冒頭から手前味噌だが、頭いいんだね、と言われる機会がとても多い。中高生時代の話になると、中高一貫校の出であることを説明しなければならないことが多々あるし、大学名を尋ねられて答えても、全く通じないか冒頭のように驚かれるかの二択である。ここでの「頭いい」というのは学業、とくにペーパーテストの成績のことだろうが、ほとんどの場合には褒め言葉として言ってくれているのだろうと思う。
ただ、自分が卑屈なのかもしれないが、おそらく褒めてくれているのであろうこの言葉を素直に喜べないことのほうが多い。正直面倒に感じてしまう自分がいる。褒められたくがないためにみだりに大学名を開示しないよう気をつけているほどだ。Twitterでは、隠しているわけではないが、具体的な名前を書くことはしない。対面の付き合いであっても、似たような人たちの集まりでない限り、自分からは言わないようにしている。
みだりに自分の学歴を明示することへの抵抗感は、褒められても反応に困るというのを主としているのであるが、ほかにもうすこし重たい理由もある。変な期待を持たれがちなのだ。「頭いいんだからちゃんとやってくれ」「頭いいのになんで」といった類の、五本の指に入るほど嫌な言葉を言われた経験は枚挙に暇がない。頭がきれるからといって高尚で有益なことを言うわけではないのは本やTwitterを見ていればすぐにわかることだし、なにより分野ごとに発達にむらがでるのは当然なのだが、何か失敗をしたときに「頭いいのに……」を言われることがとても多いのである。これを言われるたび、学歴はみだりに明示するものではないな、と信念を固くするものである。
なぜだかわからないが、自分と似た状況にある人は、「頭いいんだね」も「頭いいのに」も、どちらも言ってこない傾向にある。そういう人たちは「頭のよさ」という因子にふつうの人ほど期待していないからかもしれないし、「頭いいのに」を言われるときの心地を知っているからかもしれない。そういう人たちに学歴を知られるのは嫌なことではない。Twitterでも、分かっている人が見たら間接的に特定できるような情報まで隠そうという気概はない。無理に隠そうとは思わないが、かといってはっきりとは言わないようにする、といったところである。
無計画にキーボードを打って頭に浮かぶままに書いていたら、話の行き先を見失ってしまった。いまからプロットを練り直せないかと思って、数分画面の前で考えてはみたものの、思いつかないので、このまま完成稿としてしまおうと思う。こんなこともあるんだよ。頭いいのに……とか言わないでくれるとうれしいな。