神社に行く
神社に行くのが好きだ。行くのは初詣くらいという人も多いところ、最低でも月一回は行くし、前回から一週間しか経っていないのにまた参拝することまである。
けっして熱心な神道の信心家というわけではない。むしろ私は浄土系のある宗派を信奉している仏教徒であって、家のお墓やお仏壇も仏式である。じっさいほんの数年前までは、神社に行くのは初詣くらいで、ある意味ちょっとしたイベントだった。
よく行くようになったきっかけは、バイクの点検を待つあいだ、たまたま店から近かった行きつけの神社を参拝したことだろうか。ちょうど自分の力だけではどうにもならない悩みができていたので、それについて伺いをたてて、おみくじを引くというのをやってみたのである。おみくじに記された教を読んでみて、いくぶんか精神の安定を図れたように思う。
しばらくは初詣などでよく行っている神社に通っていたが、あるとき自分の住んでいるところの氏神様を知りたくて、神社庁に電話してみた。住所を伝えると、そこを管轄している神様の名前と場所を教えてもらえる。電話を切ると、すぐに参拝した。いつも〇〇神社に伺っているどこそこ地区の地衣子と申します。はじめてごあいさつに伺いました。いつもありがとうございます。引き続きよろしくお願いします。以降、普段はその氏神様と、氏神様を管理している本務社さんのところに参拝している。いつも私を見守ってくれている神様に。
いつも神社に着くと、まずは鳥居で一礼して、ゆっくりと境内にお邪魔する。手水舎の水が流れるしゃばしゃばという音、口元に感じるきーんとした冷たさが、日々の喧騒や悩みから私をいったん離れさせてくれる。
参道の左寄りを歩いて本殿に向かう。からん、と五円玉をひとつ。がらがらがらがら。ぱんっぱん。続く静寂。手をあわせて心のなかで居所と氏名を名乗る。日々のお礼とお願いごと、質問を伝える。気がすんだら、静かにゆっくりと一礼して下がる。
おみくじを引いて質問の答えをもらう。ひとしきり一喜一憂したら、引いたくじは財布にしまう。鳥居で一礼して、また喧騒と悩みの日常に戻ってゆく。私には、この静かでゆっくりとした時間が必要なのだ。
むろん、神様にお願いすれば必ず叶うわけではないし、必ずしもおみくじの通りになるわけではないのも知っている。しかし、色々な人や音や通知から少し離れた場所で、誰が権威づけしたのかさえ定かではない「神様」にごあいさつし、最後になんらかの御言葉をもらうという体験は、心の良い拠り所になるのも確かなのだ。静かな境内にこだまする自分の手の音を聞き、そのまま合掌して祈りを捧げる。旅行たのしき旅になる、恋愛今の人が最上迷うな、待人来ずさわりあり……本当にそうなるかは一旦置いておいて、そうなるのだという期待によってどうにか心を落ち着かせて日常を過ごす。ある意味、これこそが宗教の本質的な役割かもしれない。
なんだか最近悩ましいことが多い。じっとしていると心がぞくぞくしてきて、居ても立っても居られなくなる。うめき声をあげてしまいそうになる。こうして文章を書いている今も、ふとつらいことを思い出しては手が止まってしまう。そうだ、氏神さんのところに行こうかな。時計をみると深夜0時をまわっている。おみくじは防犯上の理由でやっていないだろうが、ちょっと手だけでも合わせに行ってこよう。