今朝見た夢の話

おことわり:夢の話なので、一部事実と異なる箇所や架空のものごとがあります。


舞台は温泉施設の大広間か休憩室のような、畳敷きの広い部屋。友達(Aくん)とふたりで、わたしの好きなひとの話をしている。なんでも、Aくんは好きなひとの秘密を知っているという。

Aくんはスマホで、好きなひとのインスタをこれ見よがしに見せてくる。縦長の画面に燦然と輝く好きなひとの名前と、iPhoneのウォレットみたいなアイコン。なんであなたがアカウントを知っているんだ、しかもわたしの見たことのない投稿がたくさん表示されているではないか。口には出さずにちょっぴり嫉妬していると、Aくんは「8月から様子が変わってない?」とわたしにクイズを出してきた。Aくんは面白がってか、わたしを試しているのだと思った。

少し遠慮がちにざっと見ると、それまで食べ物や風景の写真が並んでいた投稿画像が、8月25日を境に文章というか、白地に黒い字がわーっと書かれた、まるで芸能人の結婚報告のような投稿ばかりになっているではないか。しかも、それまで週1回か月1回くらいだった投稿の頻度が、毎日かそれ以上に急増していた。8月かあ、そういえばその頃からストーリーに既読をつけてくれるようになったなあ、なんて思い出したので、「まったく何も思いつかないわけじゃない、関係あるかわからないけど……」と言いかけた。

言いかけたところ、もうひとりが廊下から部屋に入ってきた。好きなひとの親友であるBちゃんである。BちゃんはさっきまでのAくんとわたしとの会話を聞いていたらしく、意味ありげな顔をしてステージのほうを目配せしてきた。見ると、ステージにはめいっぱいに人がいて、ちょうど天野春子(小泉今日子)の「潮騒のメモリー」を歌い始めるところであった。連続テレビ小説「あまちゃん」の劇中で登場する曲である。

北へ帰るの 誰にも会わずに
低気圧に乗って 北へ向かうわ

「潮騒のメモリー」(宮藤官九郎作詞)

置いて行くのね さよならも言わずに
再び会うための 約束もしないで

「潮騒のメモリー」(宮藤官九郎作詞)

感傷的な旋律を聴いていると、どういうわけか天啓を得たかのように、わたしの好きなひとが亡くなったことを悟った(わたしの夢では、何の根拠もなしになにかを悟ることがとても多い)。わたしの好きなひと、好きだったひとは、もういないんだ。なんだか受け入れられるような受け入れられないような、とりあえず感情のスイッチが切れて心のなかが虚無になるような、そんな心地がしながら、潮騒のメモリーを左から右へ聞き流していた。

潮騒のメモリーを聴いていたら、さっきまでいた大広間から突然ワープした。あまちゃんの舞台、岩手県三陸沿岸。蒸し暑い真夏、やませの霧のなか、視界の左下に「連続走行時間 16時間45分」という白いテロップが浮かぶ。自分で動かなくても景色が勝手に右へ左へ動くので、何か報道カメラか記録映像の中にでも入った気分である。ランニングウェアを着た好きなひとが、コンクリートの岸壁で汗を流して苦しそうに走っていたので、生前の回想映像か何かだろうと思った。

霧に包まれた湿度100%近い夏の三陸を、17時間近く走り続けているらしい好きなひと。後ろから「野尻島汽船」と書かれた総トン数300トンくらいの旅客船が抜かしていく。マラソンは学校のマラソン大会しか経験していないわたしは、「大丈夫かな……あの船に乗れば楽なのに……」と心配しながら見守っていた。

さっきからずっと流れていた潮騒のメモリーが止むと、はー、とか、ひぃー、とか、きわめて甲高いかすれた悲鳴が聞こえてきた。蒸し暑いなか長時間走り続けている好きなひとである。あまりにも痛々しい、高くて枯れ気味の声が、多少化粧が崩れながらもその人とはっきりわかる顔から発せられていた。カメラの中に入りこみ、なんの当たり判定もなくふわふわ移動しているだけのわたしは、手を差し伸べることも叶わず、ただただ心を痛めながら見守っていることしかできなかった。

一生懸命走っている好きなひとと音もなく浮遊しているわたしは、やがて船着き場についた。さっき抜かれた野尻島汽船の発着場である。好きなひとは、もう限界といったふうで足を止め、息も絶え絶え悲鳴をあげつつ、船着き場に掲げられた時刻表を指でなぞる。ランニングを諦めてこの先は船で移動しようと考えたのか、冷房の効いた船室に助けを求めようとしたのかはわからないが、次の便がいつ来るかを確認しているようだった。
「えぇ、つぎ18時34分までないの……」
悲鳴の合間に絶望まじりの甲高い声が聞こえたと思ったら、好きなひとが崩れ落ちるのが見えた。好きなひとの姿が見えなくなって、自分がいま何を目撃したのか理解した次の瞬間、わたしの網膜には自分の部屋の天井が映っていた。

夢でよかった、という安心もあるにはあるが、それよりも霧の立ち込める三陸に響いたあまりにも痛々しい悲鳴が耳に残る。最悪の目覚めである。現実の好きなひとは暑いなか16時間45分も走り続けたりはしないと思うが、それでもわたしの寝起きの頭には、実際に好きなひとの身に遠からざることが起こる可能性もゼロではないように思われた。好きなひとの無病息災を心から願いながら、おもむろに朝ごはんの支度にとりかかる。改めてわたしはその人のことが好きなんだと確認しながら、まだおぼつかない手でお米を3合お釜にとった。いつまでも元気でいてほしい。切に願う。

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